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みんなの「御恩」ブログ


頭を削って帽子を合わせる

2015/07/11 09:02

 普通は帽子を作り換えるでしょ。
 オリンピックの会場も予算や設計を立て直すのが本筋です。
 憲法9条に外交や政策は合わせずごまかしてはなりません。
 宗教学者は信仰抜きに学問の為の講義や議論をしてはなりません。

 とてもショックなことがありました。
 ある先生に、マルクス主義が毛沢東により伝えかたが変わったように、
法然聖人が山の上の仏教を民衆に向かって伝えるために教えをわかりやすくするために「念仏を称えれば助かる」と説いたと言われたことです。
 法然聖人は善をすればそれが救いの資助になるとは一言も説かれていないし、念仏を称えることで助かるとも言われていません。
 御仏に対する疑いが晴れて自力が廃り、仏さまと一体になる他力の信心を賜らなければ助からないと言われています。
 どうして一般の人は学者と言われる人でさえこんな風に教えの大切な要を誤解させるような言い方をするのか私には分かりません。

 信心でしか助からないこと、疑い=疑情が六道から出られない原因であるとは『正信偈』の中にあります。「還来生死輪転家 決以疑情為所止 速入寂静無為楽 必以信心為能入」これは「生死輪転の家に還来することは、決するに疑情 を以て所止となす」ということで 親鸞聖人が、非常に尊敬しておられる師・法然聖人の、主著『選択本願念仏集』の最も大事な所を教えられたお言葉です。だから親鸞聖人も生涯「信心正因 称名報恩」を徹底して説かれました。
 それを貫いたから法然聖人は四国に流刑になっています。もしも善や念仏で助かると安易な教えの捻じ曲げ方をしていたなら、一生裕福で安穏とした日々を送っていられたでしょう。そうされなかったからご自身もお弟子の親鸞聖人も流刑の憂き目に遭われたのです。
 たくさんの人に教えを伝えることは大切ですが、教えの大切な所を捻じ曲げでは栓がありません。

 人々を本当に幸せにすることをその道の専門家は常に考えねばなりません。
 オリンピックの為に国民の大切なお金を使うことで福祉が削られてはなりません。戦争で儲かる死の商人の為に若い人たちが戦争に行かされたり、日本国土が戦場になることは絶対阻止しないとなりません。
感謝していること
 沢山の方々から誕生日のお祝いのメッセージを賜りました。有難く感謝し益々精進していく決意を新たにいたしました。今後ともいろいろ御教導ご鞭撻を賜れたら幸いです。
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年齢を重ねるにつれて寛容になるのはなぜ

2015/07/09 07:18
 たくさんの方から恩を受けたと分かるから
 自分一人では何もできないと知らされるから。
 自分も失敗するように人もし損ねてお互いさま
 昨日できたことが今日できなくなっている
 大抵のことは突き詰めない白黒はっきりさせない方が上手くいく経験がある。
 ほとんど褒めた中に少し注意点をさらっといれ、また褒めて終わる話ができる
 大勢の中で恥をかかせない配慮が出来る(自分がされて死ぬほど嫌だったから)
 死ぬこと以外は大したことがないとわかる
 周りの人が笑って嬉しいことこそが自分のよろこびになっている
 運・鈍・根を身体にかけて分かった
 縁などはかりしれない、自分の努力だけでどうにもならないこともあることを知っている
 全てのことが昨日より、一瞬前よりよりよくなっていることを体感している。
 感謝してること
  寛容に・緩く・笑って過ごせることに感謝します。
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信じられないかもしれませんが、救われているかそうでないかはおおよそわかります

2014/03/13 17:25
 最終的には御仏とその方との間のことなので、完全に分かるとは断言できませんが、ほぼ間違えません。救われても本人が気が付いていない場合があってそれはどうにもなりませんが。起きている子どもは起こせないように。絶対救われていないと、思い込んで、そう主張するのですから、放っておくしかありません。お浄土に参れるのですし、いいでしょう。
 
 対機説法で面談や電話ならよりハッキリします。チャットでも数少ない例ですが大体このくらいの時に「廻心」の体験があったことがわかります。
 誰でもできるかと言えば、自身が救われても、その後、何時間も、何人もの方と話して練習しないと勘は養われません。

 ただ、能力が高くてとか、人格が優れていてそのようになるのではありません。
 あくまで、先天的なものや御恩報謝させていただきたいという気持ちからの研鑽によるでしょう。
 何もしなくても霊感が強くて一般の人が見えない霊が見えたり、話が出来たりする人も結構います。未来を予言が出来る人もいます。
 それでも残念なことですが、その人たちが全員徳が高くて他人の幸福を願う人とは限りません。中には自分の名利の為にその能力を使って、他人を利用する人たちもいます。そういう例を私は、結構見聞きしてまいりました。

 救われる前からおそらく大学や街頭での勧誘も含め、33年間で、5万人〜10万人くらいの人たちに私は仏教の話をしてまいりました。
 救われる前でも、振り返ってみると、この人は自分より縁が深いか、理解が進んでいるかなどは、その時点の自分の御仏の縁や理解の進んだところが何となく分かりました。
 救われた後は全体が分かったので、なおさらよく分かります。
 大体この辺りとか、こんなことでつまずいているのだということが俯瞰できるのです。

 ただ、上記の霊が見えたり、未来を予知できる人と同様に、私も相手さまが望まないならそれは言いません。
 御縁の深い人たちは「もうすぐ救われる」というのをとても喜んでくれますが、信心の会合などでその中に一人でも「無宿善」の人がいたら、誹謗中傷の種になり、周りにも佳い影響を与えません。だから気を付けなくてはなりませんが。

 縁の薄い人ほど、根拠のない自信を持っていて、自分は救われているなどと思い込んでいたりして、私が大体は救いを賜ったかどうか分かるということに反発します。
 酒に酔った勢いでか、「あなたのような素人の話を私は聞きたいわけではない」とある方にはっきり口にされ、唖然としたことがありますが、仕方がありません。

 布教活動というのは多くの縁の薄い人たちに疑われ、見下され迫害を受けることを覚悟しないとやっていられませんが、それは楽しくありません。楽しくなくても御仏の御恩を憶うと休んでおこうといった先から、また何か書いております。私はどうも懲りない性質のようです。

 ただ、話をする者が相手さまの様子や言動やオーラなどで感じたり、判断できなければ信心の沙汰にはなりません。
 人間のカウンセラーでさえ、大体こういうことが障りになっていて、これを本人はこのようにしていこうと思っているので、それをきがつかせるには、自分から改善するためにこうしようと思うように励ます方法を経験など知っていて、そのように持っていきます。

 いい人になったり、色々なことが出来るようになって助かるのが御仏の救いではありません。何もできない、恩も恩とも感じない暗い心を持っていたことに心からきがつかされ、御仏におまかせして、その後、御仏と共にお浄土への道を一緒に歩かせていただくことだと私は現在、感じております。
 だから、私自身は自分をいい人だとも徳があるとも優れているとも生まれてから一度も思ったことはありません。
感謝していること
 しかしながら、救われてからは、御仏のお蔭で、心が明るく日々安心して生きることが出来ています。
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どちらかというと情緒的でなく理屈が先行しているかもしれません

2014/03/13 12:13
 感情的に思い込むと、その先に進めないので冷静に物事を進めてまいりました。それもいいときとそうでないときがあるのかもしれません。
人を好き嫌いで判断しないようにしてはおりますが、相手さまが聞く耳を持たない場合は距離を置いて離れた場所で、またご縁があることを願って身を引いています。
 
 他人さまからどう思われようとも、真実は曲げられないし、伝え切らないとなりませんが、縁が熟さない人に話すと反って、御仏を謗る縁を与えてしまうことになり難しいです。よろこんだり楽しい状態は表に表しますが、マイナスの感情は封印してしまい、出せないでいます。
 「無宿善」の人に対しては、残念で悲しいのですが、どうすることもできません。人を選んで厳しい話でも信心を賜るために聞かれる方を選んで話していくことが肝心なのかと、蓮如さまの「御文章」などからも感じます。

 私自身は自分が能力があるとも、偉いとも何とも思っていません。ただ一人でも多くの方に御仏の願いをお話しすることを嬉しく感じております。それだけなのですが、劣等感のある人やわざと曲がって他人を見る人や権威に縋る人とは離れないといけないと最近は知らされます。
 自分が善意でしたことも、相手が受け取らないばかりは誹謗中傷の種になるのであれば、そういう人たちにとは距離を置いていこうと過去に決心したのに、まだ懲りていないのか何度も同じ轍を踏んでしまいます。
感謝していること
 それでもいつも御仏に対する御恩を寝ても醒めても忘れることがないのは不思議です。
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恩師方は常に積極的・肯定的な言葉を掛けてくださる

2014/03/11 22:30
 今日は私の筆跡診断と子どもの書道の先生の所に伺いました。
 コンピュータやブログやFBでお困りのようだったので、私の分かる範囲を説明させていただきました。
 ブログでエッセイとツキを呼ぶ文字の書き方を載せていらしゃったのに、最近はエッセイだけになってしまっていたので、どうかされたのかと心配しておりましたら、ピクチャーのホルダーの整理が分からなくて、満員になっていたようでした。とりあえず解消できたので、また美しい文字のおけいこにお目にかかれる日が待ち遠しいです。

 いつも、先生には恵まれていることを記事に書いておりますが、本当に不思議なほど皆さまによくしていただいております。
 今日の先生にも、子どもと私のお祝いにお菓子を頂戴したり、とてもよろこんでくださり、励ましのお言葉を賜りました。
 通信の時お世話になった先生方や臨床心理士の先生方もいつもいつも本当にお優しいお言葉をくださいます。

 御仏に対しても御恩返しがなかなかできませんが、恩師の先生方に対してもお世話になるばかりで、何もできていません。これからちょっとずつでも先生方によろこんでいただけるように精進してまいります。
感謝していること
 明日12日水曜日は龍谷大学の大宮校舎の南の101号室で夕方6時から「真宗談話会」があります。ご縁を求めてのご参加をお待ちしております。ご縁をくださる友久久雄先生には有難く感謝しております。
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専門職における研鑽の必要性

2014/03/09 21:34
自動車でも医師でも免許を取った時はほんの初心者です。
 そこから何回も実際公道を運転したり、患者さんを診察しながら熟練した技術が体得できます。
 ずっと信心を賜っても、それは単なるスタートであって、ゴールではないといってきました。もう二度と迷いの六道を廻らなくてもいいですが、それから後も長い長い御恩報謝の活動が待っています。

 子どもの頃、医師の筋肉注射を足に受け、下手をすると歩けなくなるような目に遭ったので、私は医者を信用しません。薬も飲みません。歯科と眼科だけは受診しますが、ほかはけがをした時の外科など以外はいらないと思っています。
 
 医者でも上手な人とそうでない人がいることをよくよく考えて受信している人は少ないかもしれません。タクシーを利用しても滅多に自己には逢わないのと同じように考えているのかもしれません。
 場所の移動ならそれでいいのでしょうが、医療は命にかかわることですので慎重に医者は選ばないとなりません。
 技術ばかりではなく、どんな気持ちで患者さまの身体に向き合っているかという心構えも大切です。本来なら技術と心構えが両方しっかりした人でないと大切な身体を任せられません。

 また技術が一定のレベルであったとしても、お金儲けを目的に箱物一つでも多くを増やすことにウエイトが置かれ、周りの同業者たちの気持ちを踏みにじるような行為をしている医療従事者などにかかるのは止めた方がいいでしょう。
 古い人間の私は恩を仇で返すようなやり方で、診療所を増やしたりするような人はいかがなものかと考えます。嘘や誤魔化しは直にばれるのに何故そんなことをするのかよく分かりませんが、人間の欲の深さには驚かされます。

 御仏の願いを聞かせていただくのでも、お話ししてくださった方がどういった方かということで、その後の御恩報謝の活動が違ってきます。
 信心を賜った人に、御仏のお名前を称えつつ、自分の出来る範囲で御仏の願いをお伝えするように勧めてくださる方が真の善知識であると私は感じます。
 実際、法然さまも、親鸞さまも、蓮如さまもそのようにされていました。
 
 人間の資格のある人でも、僧侶でも布教師でも関わる人を吟味しましょう。
 ご自身も磨穿鉄硯の熱い情熱と真摯な態度を常に示される方々に教えていただくには自身も研鑽して、そういう方々に相応しい者にならないと、何も得られません。何か見聞きしても素通りしてしまうので、勿体ないです。
 怠惰な気持ちを教えてくださり、我が身が成長するように励ましてくださる方と常に一緒に居て、見習わせていただきたいものです。
感謝していること
 筆跡診断の講習が最後まで終わったと思っていたのですが、何回分か抜けていたと先生に教えていただきました。大学院が始まるまでに講習を受けさせていただくことになりました。気が付いてよかったです。
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たくさんの中から、どんなことで御恩返しができるか楽しみです

2014/03/08 20:22
 昨年は子どもの中学受験があり、落ち着かず、結局何も実入りがなかったと諦めていましたが、昨日の大学院の試験に続いて、産業カウンセラーの試験の合格通知が今日郵送されていました。
 前半の選択試験で二肢に絞り込んでからどちらが正解か分からないものが、何題かあり、後半の事例の選択問題もラスト五分で見直していると、正しいものでなく間違っているものを選びなさいと書かれている問題があって訂正したり、ドキドキの冷や汗ものの筆記試験だったので、あまり期待しないでいました。

 縁のある所に収まることと、努力は裏切らないということは知らされました。
 大学院は結局心理ではなく、比較文化を研究することにしました。
 内観療法がなぜ信心の部分を抜いているのかどうしても納得できなかったことや、国家資格の「心理士」に移行する過渡期なので、またもう一度試験を受けるなら、もう少し様子を見ようとも考えました。
 産業カウンセラーの方が、仕事や家庭での経験も生かせ、臨床心理士よりも役に立てることもあるのではないかとも何となく感じていました。

 昨年産業カウンセラーの筆記試験を受け直しと分かってから、何となく見直しをせずに来てしまって、ラスト一か月で、ひたすら産業カウンセラー協会の出している厳選問題や改正になった新作問題や教本の該当部分を読み込んだり、ほとんど完璧に仕上げましたが、本番の試験では意味がよく分からないものが出たり、事例はその場で考えなくてはなりませんでした。ただ、ずっとしている信心の沙汰のような対話型で、慣れ親しんだものだったので事例問題は解けている手応えもありました。

 何だか取ったものの使えていない資格ばかりがありますが、今後はそれらを十二分に生かして、みなさまに還元させていただく覚悟です。何かお役に立てることがございましたら、お気軽にお声かけください。お待ちしております。もちろん救いの話をして欲しいというのも大歓迎です。
感謝していること
 諦めないで続けて精進しているといいことがあるものだとよろこんでおります。
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救いだけなら子どもでも賜れますが、その後の人生はその人次第です

2014/03/06 21:30
ご縁の深い人が周りにたくさんいます。
 そういう方々は、実際逢って沙汰をしなくても、極端な場合、私が書いた文章を何度か読んだだけでも簡単に早く救われます。過去にもそういう人が結構いました。

 ところが救われることは救われますが、それで満足してしまって、残りの人生を煩悩に翻弄される酔っぱらったような勿体ない生き方をする人がほとんどです。ご縁の問題といえばそういうものなのでしょうが、何だかな〜という感じです。
 せっかく救われたのだから、ご両親や家族や周りの人に話をしたらいかがでしょうかとお勧めしますが、実践している人はほとんどいません。
 御仏の御名を称え、御仏の有難い法話はよろこんで聞きますが、自分から動かない人ばかりです。それでも別にその人の生き方なので問題はないのでしょうが。

 人に話をすることは大変なこともありますが、相手さまがよろこばれるお手伝いをすることほど嬉しいことはありません。
 やってみた人だけが知らされることです。

 既に救われている方、そしてこれから救われる方には、自分ばかりでよろこんでいないで、御恩報謝の菩薩行を実践していただきたく存じます。
 御仏は本当にこんなに素晴らしいことをさせてくださっているのだというよろこびを味わってください。
感謝していること
 出先で雪がひどく降っていましたが、帰るころには止んでいて助かりました。
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もうちょっと生きてたら、一緒に御恩報謝できる人と遇えるのでしょうか

2014/03/05 01:24
元々人間というものはどんなに親しくても信用ならない者だと思って接してきました。おばあちゃんや両親にさえ全面的な信頼を持ったことはありません。
 限りある自分の命を持つ身であり、救われていないから煩悩に翻弄されて生きているのは仕方がないことだと、恨みもしませんしそういう物だと達観しております。

 だからこそ、清浄な一点の曇りのない智慧と慈悲の御心で利他行をされる御仏に救われたときは、やっと安心・満足できました。こういうことだったのかと信知させていただきました。人には何をされるか分からないし、完全におまかせなんてできないけれど、御仏がお望みならどんな境遇でも不平不満や愚痴も言わずに、そこで私に与えられたことをさせていただく覚悟はその時にできました。

 それからは、御仏の願いをどうしたら早く、どうしたら一人でも多くの方々にお伝えできるのかをずっと暗中模索しながら、それだけ考えて生きてまいりました。
 何人もの方々の救いを賜るご縁になりましたが、一緒に御恩報謝しましょうと積極的に活動してくれる人とはいまだ出遇えていません。
 私が怠惰でつまらない人間なので積極的で活動的なご縁の深い人とは遇えないのかもしれませんが、あまりに悲しく辛く残念でなりません。

 こんなに不思議で思ってもみなかった境地に出させていただいているのに、ただ投稿記事を書くだけ、ほかにこれといった活動も思いつかず、怠惰な日暮しをしていることが本当に申し訳なく情けない限りです。
 
 親鸞さまが法然さまのような師匠にお遇いできたことは私にはないかもしれませんが、せめて一緒に御恩報謝の活動をしてくれる真摯な法友・同朋に遇えたらと思います。
 あとちょっとの限られた命の内にそんな人に巡り遇えるのでしょうか。
 一人で出来ることには限りがありますが、一人増え、二人増えしていくうちに何十人、何百人と御仏の願い・御名を称える声が広がっていく夢のようなことが今後あるのでしょうか。
 きっと御仏がそうなるようなご縁を与えてくださると信じつつ生きてまいります。
感謝していること
 ミシンをかけていますが、もう少しで終わりそうです。
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暗い心が晴れ救いはハッキリするけど、御恩報謝は臨終まで続きます

2014/03/04 23:10
 この世のことでも、目標が達成した先のことまで考えられていないと、そこで燃え尽き抜け殻のようになってしまいます。
 日本や世界でトップクラスの大学に入っても、そこで研究することが決まっていなかったり、資格試験に受かってもそれを生かして周りの人の為にこれをしたいということがなかったら、そこから先に進めません。

 同様に、信心を賜りたいとそればかりを目標にしてきた人たちは、その先信じられないようなことをする人もいます。名利に走ったり、色欲に溺れたり、色々な例を見てきました。煩悩が中心の信前から御仏を主人にする信後に変わったはずなのに、煩悩の酔いが醒めないのか、御恩報謝を忘れ、御仏の願いをお伝えしない、御名前さえも称えないような暮らしをしていてはもったいない気がします。

 御仏の願いをお伝えして、相手の方が信心を賜って、共によろこぶことがどんなに嬉しい事か実際してみたらわかりますが、どうしてなのかそれを実践している人に滅多にお目にかかれません。
 何にしても、何かを成し遂げた後のことまで考えていないと、その先の人生はしょぼくれてつまらないものになってしまいます。
感謝していること
 今日も片づけが順調に進んでいます。
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タイトル 日 時
不浄説法
いまだ御仏に救われていないのに、説法することを不浄説法といいます。  この言葉を昔救われていない前に聞いたのと、今とでは重みが違います。  救われていない僧侶の方はよくよくこの言葉を心に留めて、一日も速く救われ、説法されることをお念じ申し上げます。 ...続きを見る

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2014/03/02 19:39
どんなに小さくても独立して一国一城の主・お山の大将で人に使われたくない
 弁護士や医師などなら個人事務所や診療所で開業する人も多く、別に大して問題も起きませんが、宗教団体や企業から同じようなことで独立しようとすると、大変な抵抗に遭うようです。 ...続きを見る

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2014/02/28 19:03
大人になったと自覚する時とは
 「人生とは苦しいものとの認識があり、そこに身を沈めて、他人から何かしてもらうことから決別し、自分が何かさせていただく覚悟をしたとき」  こんな時だと多数の人は感じるようです。  ただし、大人の自覚があっても、実践していくことはなかなか大変です。    赤ん坊の時は身体的にも身の回りのことすら全部手伝ってもらわないと生きていけませんが。歩行が出来、食事や排せつが一通り出来、話せて聞けるようになったときからは、既に大人になる準備が出来ているような気がします。  2,3歳の頃から、先述のよ... ...続きを見る

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2014/02/28 12:20
楽をする・逃げる人には貧しさと恥が待っている
 救われて楽をしたいとか、現在の苦しみから解放されようとしてもそれは叶いません。  ちょうど、自分の思うようにならない会社から解放されて、気に入らない上司から逃げようとするのと同じようなものです。 ...続きを見る

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2014/02/28 00:31
救いを賜ったり、金メダルを獲得した者が生涯それに相応しくある使命
  救いも金メダルもそれはあくまでもスタート地点です。   賜り、獲得したその時より責任が生まれます。   いまだ未熟であるなら、相応しくなれるよう日々精進していかねばなりません。   それを怠ると御仏を反故にしたり、金メダルの価値を下げることになります。     誰にも叱られたり、罰を受けたりはしませんが、自分自身が真摯に生きていくために、御仏や世間が与えてくださったものに感謝していくことが肝要だと身を引き締め、言動に注意して生きていく所存です。 ...続きを見る

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2014/02/25 19:16
大笑いしたこと
 子どもが「シークレット」の動画が欲しいと言います。  昨年、音源を譲っていただいたのを聞いていたら、受験の終わった子どもが動画を買ってくれと言います。  「シークレット」の中に出て来る人はみんないろいろな願いがかなって羨ましいから、自分も同様に叶えたいと訴えます。 ...続きを見る

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2014/02/20 01:59
18歳未満と75歳以上の人たちをその間のみんなで支えませんか?
道路や橋や箱物を建てる予算を高校生までの学生や高齢者の医療費に回している自治体が東京都にあることを初めて知りました。きっと日本のどこかのほかの自治体でも同じような予算を立てているところがあるのかもしれません。  医療費が何とかできるなら、高校までの教科書を含めた教育費や給食費も出るのではないかと考えました。  そして、大学で学びたい低所得世帯には、貸与でなく給付の奨学金を出すことも可能なのではないでしょうか。  子どもを産むことが贅沢だという感覚を若い人が持つ国は子どもが増えるはずはありま... ...続きを見る

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2014/02/15 00:57
子どもたち、そしてこれから生まれてくる未来の子どもたちのために
 正直言って、最近、疲れています。  簡単なことなのに、大人たちはなかなか、難しく捏ね繰り回して、素直に聞いてもらえません。  どこをどう考えたら、そんなに頑なに、ひねくれられるのだろうかと不思議です。 ...続きを見る

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2014/02/10 19:56
人間は「真摯な報恩」と「我欲の恩知らず」の二種類かも
 「恩知らず」と言われることは死ぬほど辛く悲しいです。  「能無し」などの言葉なら、それはそうだと納得もし、出来ないながらもちょっとでも精進する気持ちになれます。  しかしながら、「恩知らず」とだけは絶対に言われたくもないし、自分で言いたくもありません。 ...続きを見る

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2014/02/09 12:29
今、救われることになぜそんなに躊躇するのか分かりません
迷いが深いのか、心がいじけているのか、自惚れが強いのか何だかは分かりません。  救われたいという人に、何人も話してきました。そして救われるところまで話し切りましたが、自分からほかの人たちにも積極的に話そうという人にはいまだ遇えてません。 ...続きを見る

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2014/02/08 16:26
御仏を仮想敵にして戦い、完全降伏して救われる
 真理の存在を仏としても神としてもいいのですが、何故救われないのかが問題です。  救われてから5年にわたる布教の経験からいくつかのことが分かりました。  もちろん前提として、ご本人がどうしても救われたいというところまで縁が熟していることは外せませんが。 ...続きを見る

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2014/02/06 21:08
救われた後は御仏と共に生きてください〜私には時間がありません〜
 自分一人ですることには限界がありますので、誰か手伝ってくれる人があれば、今すぐでも即戦力として活躍して欲しいです。  ただ、それはとても難しいことがよく分かってきました。    かなり精神的に大人でタフでないと難しいでしょう。  世間的には頭がよくなくてもいいけれど、機転が利いたり、媚びたりすることがない、挫けない潔さで「真摯」に生きる姿勢を持った人でないと無理かもしれません。 ...続きを見る

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2014/02/06 12:55
何だかちょっとだけ残念〜救われたらみんな常に御恩報謝せずにいられないのかと思ってましたが〜
  迷いを断ち切ってくださり、もう一切何も求めないでも、死後の不安が無くなる身に救っていただいたことは、人生が大変わりした「廻心」の体験でした。  こんなことはもうないという心変わりが出来たことをよろこぶなら、誰でもが、御恩返ししようという気持ちになるはずだと思っていました。    しかしながら、世間のことでも恩の感じ方は様々です。  「知恩・感恩・報恩」は人それぞれなのだと知らされます。  親が人間として生んでくれたから、御仏の救いを賜ることが出来ました。  親を産んでくれたおばあ... ...続きを見る

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2014/02/05 23:55
どうか、今、救われて御恩報謝の嬉しさを思う存分味わってください
 「食べ物と念仏」は分け合ってよろこぶものだとおばあちゃんはよく言っていました。  幼い私には何のことかよく分かりませんでした。  おばあちゃんは、念仏講で配られるお供物の饅頭などのお菓子を自分は食べずにいつも私たち孫に3つずつ持ち帰って来てくれました。2つしかないときはそれを均等になるように分けて与えてくれました。  「おばあちゃん、いつも私たちにお菓子のお土産をくれるけど、おばあちゃんは食べてるの?」  あるときこのように尋ねました。するとこのように答えてくれました。  「孫がいな... ...続きを見る

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2014/02/04 07:32
全てのことからへの御恩について
  人生のほとんどの時間を息をつく暇もないほど、全力で駆け抜けてまいりました。   そのことに対しては全く後悔はありません。   御仏に救われるまでは、かの仏さまの無限に明るい智慧と慈悲の中にいるにもかかわらず、自分自身が目をつぶっていて、それが実感できずに、信じられずにおりました。   それでも、絶望して死なずに済んだのは、自分には見えないけれど、本当は絶対的な真理に護られているのではないかと感じられていたからなのです。  何も見えず確かに暗いのですが、外からは明るさが何となく感じられ... ...続きを見る

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2014/02/03 00:51

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