テーマ:生き方

完全にまかせきれたら独占も執着も要らないのに・・・・・・

 阿弥陀佛のことが何の疑いもなく信じられたら他力に救われ、自力の臭みが消えます。   この世のことでも、大好きな誰かのことが心の底から信頼出来たら、不安は消えます。  自分に対して自信がないから、疑ってしまうのです。人と人は相手の容姿など外見でもなく、能力の有無や名利などの持ち物で一緒にいたいわけではありません。同じ価値観や未来へ…
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理不尽、不条理なのが娑婆世界ですが・・・・・・

 「人生は苦なり」と佛教では教えられます。  年齢を重ねるにつれて首肯できることであります。  正当な努力が報われない、自分では何も悪いことをしていないはずなのに攻撃される、好きな人と別れなければならず、逢いたくない人と毎日顔を合わせる等々、 苦しく辛い毎日が当たり前のように過ぎていきます。  これが人間の世界であり…
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阿弥陀さまに常に護られていると聞かされる人生

  私は昨年の春頃から、京都の堀川通りの聞法会館で時間を見つけては聴聞させていただいております。日本全国の布教師の方が、その土地の方言も交えてお話ししてくださいます。ほんのたまにですが、お話が終わった後に、御説法のお話や、質問をさせていただいたりします。   布教師の多くの方々がお寺に生まれられていて、祖父母と共に幼少期を過ごして…
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人間同士大差はないのになぜ比べるのか?

 生きる目的を知らないから、もしくは自分の矮小さが分からない井の中の蛙だからでしょう。  生きる目的は生死を超えること、今臨終がやってきても、泰然と死んでいけるいきかたができることです。生死出づる道も知らずにいる中途半端な輩が、若くて元気の有り余る時、いくら威張ってみても臨終には後悔の涙を流すのがオチです。  ひとは長く生き…
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知識が増えても・・・・・・

宗教学・哲学・心理学などいくら座学を繰り返して知識量を増やしても、 本人が智慧も慈悲もなく、腐っていたらズルズルドロドロで何の役にも立たないばかりか、 周囲に腐敗臭をばら撒くだけです。 そんなものが集まるとさらに酷い状態を招きます。 きづいていないのは本人たちだけです。
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親子でも実はそこまでしてくれなくてもいいという線引きをして他人と同様に生きている現実

 人間はその人の能力を超えることはできません。無理をすると身心が壊れます。肉体の病気に罹り、精神が狂います。だから、お互いに遠慮しつつ、様子を伺って生きています。乳飲み子でも放って置かれるのに慣れると、泣かなくなります。   歳を経るにしたがって、このような不条理さを身を以て体験する祖父母たちは孫たちに対して寛容であり、自身のでき…
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生死を超える目覚めとは、無常・罪悪の中で生きる周りの悲しみ・苦しみ・悩み・痛みを感じる身になること

 昨年の夏以降、私は友人を失う悲しみの中に身を沈め、どんなことにもよろこべず、体調が優れないことも手伝って、生きる意欲も失いかけていました。いまだに心身ともに傷ついて、万全の状態ではありません。それでも、何の不思議か、私には御恩報謝をさせていただきたいという気持ちが湧き出てきて止まることがありません。  2016年に父を看取りまし…
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世の中がよくならないのは政治家と研究者などが世間を知らないため

 大学院の博士課程に身を置いて3年が過ぎようとしています。やっと学会誌に論文が一つ通り、もうすぐ世の中に出ます。ここで、ひとまず1年ほど休学して残り2つの論文を書き上げ、修了の運びとする計画を立てました。  どうして、大学院に進んだかと面接で聞かれた時、大学で教師がしたいからだと答えました。先生方がどのように講義をするかを実際に受…
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ひとが救われていく課程の理解

 「機の痛み」を脇に置いていないひとは優しく、温かいことを知りました。  どうしてこんな辛いことばかりが次から次へとやってくるのだろうかと物心ついたときからずっと感じていた人生でした。楽しいときは一瞬で過ぎ去り、私の人生のほとんどが悲しくて、遣り切れないことばかりで、人生は苦しみの連続でした。 何で私ばかりこんな悲しみの疼…
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ひとのいのちを奪う権利はほかの人間にも、ましてや国家にもない

 20世紀は金銭欲を満たすための戦争の世紀でした。国家宗教を使って偽の死後の安寧を騙って多くの人たちが戦場で果てました。国家宗教の代わりに財力を持つ大きな団体によって、今世紀も戦争が引き起こされて、未だ大量の殺戮が止みません。一人一人の命の重みを伝えることでしか、このような状態は変わりません。私たちは真理からの目や耳を頂いて、もう争いや…
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宗教観を持たない東大をはじめとする有名大学の男子学生の頭の中身は幼稚園以下

 決して、幼稚園児を馬鹿にするわけではありません。幼稚園児の中にも宗教観が育つ環境にあり、真剣に人生と対峙している男の子がいることを幼稚園の教員資格を持つ私は知っています。彼らに対しては尊敬の念を持って未来に素晴らしい活躍をされることを願っております。   馬鹿野郎という言葉があります。この言葉においては、馬鹿は男と相場が決まって…
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法然聖人のお言葉

「生けらば念仏の功つもり 死なば浄土へまいりなん とてもかくてもこの身には 思いわずらうことぞなき と思いぬれば 死生共にわずらいなし」(『法然上人行状絵図』巻第二十一)
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平成最後の新年のご挨拶

本年もよろしくお願いいたします。 今年は1月の末から2月の初めにかけてトルコに旅行に行きます。 大好きなヨーロッパにもまたいつか行けたら嬉しいです。今度はポルトガルに行きたいです。 キラキラと輝きながら、ときめく時間を十分味わい切り、一瞬一瞬を大切に生きていく所存です。 軽く明るく楽しくが今後のキーワードです。 …
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罪悪感の追求から離れられるまで

 真理を受け取ろうと邂逅を望んだ時、いい人にならねばと考える人が多くいます。悪を止め、善を行じる仏教でいわれる廃悪修善のことです。  しかし、悪は底なしです。それを見ていっても、限も際もありません。そして三次元の人間として、生きるためには悪は造らなければならないものです。  問題はそこではないのだときづいたときから、真の意味…
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一番大切なひとに、激怒したり無視したりして拗ねて甘えるのは淋しさから

 本当は大切なひとに優しくしたいのに、裏腹なことをしている人たち見ているととても胸が痛みます。怒りや無視や拗ねる心の底にあるのは淋しくて甘えたい気持ちです。それを上手く表現できなくて、本人も気が付かずに、ネガティブな表現をしてしまいます。  仏さまや親なら、それも含めて包み込んでくださいますが、それ以外の人たちに拗ねて甘えると遠ざ…
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全面依存(無条件降伏)していいのは親ではなく真理

 モラハラ加害者と被害者は親に自分は精一杯あなたの心身の面倒はみるけれども、本当に向かうべき先は別のものであると知らされてこなかった、ある意味、気の毒な人たちです。ある程度の温かな関わりが持てはしても、これが限界だと知らせてくれるいいか悪いかは分かりませんが、平凡で善良な親を持ちませんでした。加害者も被害者も虐待や放置をされるか、反対に…
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悲しく残念な気持ちは味わい切って、そっと手放す

 一度十分に味わい切らなければ、ずっと引きずります。  こんな言動を私に対してする人を私は悲しく残念に感じているという気分を味わうのはとても嫌ですが、それを通り越さないと本当の意味で、さよならできません。   おそらく、嫌なことをしてくる相手というのは、その人自身仕合わせではないのです。いろいろな事情があって、他人に嫌なことを…
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社会・労働改革運動家・慈善運動家とかいわれる人たちは自己矛盾に気づいているのか?

 偉人といわれる人たちが、家族や身近な人たちに冷淡だった話をよく耳にします。名利が得られるなど自分の手柄になることには必死ですが、それに忙しくて、何か話をしようとしても無視や後回しにされる例を沢山見聞きしていました。身近な人ほど大切にしなくてはならないと私は感じます。それらの人たちを自身の活動のための手足として当たり前のように感謝せずし…
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そもそもチャンネルを持たない人たちがいるという驚き

 首都圏や大都市圏以外の人たちの場所にはテレビの民放が2つしかないところがあるということを九州のとある県出身の人と話していて二十歳前にひどく驚いたことがありました。私が住んでいた地域の民放は、4,6,8,10,12とその当時5つありました。同じ日本でも場所によって差異があるのだと知りました。  最近、異なる考え方を持たないと、わか…
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全く別の異なる視座

悩みはグラデーションだけ違う同じ視座を持つ人の間では解決できません。そこを既に抜けた別の視座を持つ人がまるで魔法のような解決方法をスッと出してくれます。同じ枠内の考え方のメンバーでいくら頑張っても、グダグダの泥沼になるだけで、さらに事態は悪化します。
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自分の仕事を淡々としている周りの人たちがいい!

 私には生き方が好きなひとが結構います。  いつも、いいなって、羨望の目で見ています。  特に今まで苦労してきたひとたちがいいです。  その中のある方は私同様言葉のことで大変なおもいをされてこられています。  だから、何となく気持ちがわかる気がします。 辛かったら泣いちゃいます 嫌なことされたら許さなくて…
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最期にきちんと死ねることが私たちの生きる意味

 きちんと死ぬためには、きちんと死ねるようにする力のある方にまかせるしかありません。それなのに自分の力で何とかしようとするから、生きている間中苦しくて、ほとんどの人達は、きちんと死ねないで後悔する最期を迎えます。  他の事は出来るかもしれないけれど、きちんと死ぬことは絶対に人間の力では不可能だから、真理に身をまかせるしかないと教えてく…
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なぜ多くの人達は完全な安心満足の状態を求めることを諦めるのか

 そんなものがないと初めから求めない人もいます。その中の多くは安寧の気持ちをペットなどに求めたりもします。一般の人と呼ばれる人たちです。自分がいい人だと思っているのがたちが悪いです。  途中で世間的に上手く生きているような偽善者に魂を売り渡す人もいます。これがモラハラになります。  ずっと諦めないで、苦労して努力して、人間で…
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自分を善人だと信じて疑わない一般人のあなたのためにという明らかに弱い者いじめの説教は不気味で不快

 何とも言えず善人ぶったところが中途半端で超不快。  もっと自分を知りなよ。 偽善なんじゃないかなって。  それと、ジワジワ真綿で締め付けるように他人の善意や道徳心を責めるのよしな。  問題はそこじゃないでしょ。  本当に賢く人格的にも優れてる人は、言いたくても黙ってるし、言いたくない事でもいうときもある。 …
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自力の話をいくら極めても他力にはならず、別の方向に行く意味

 自力を積み重ねた先が他力ではないからです。自力の最高峰が他力でもないです。  全く性質も次元も異なるものです。  法然聖人も親鸞聖人も蓮如上人も信心を得る過程の具体的体験はほとんど語っていらっしゃいません。私も聞かれれば話しますが、自分からは言いません。また、具体的な話をするとそれにこだわってしまい、救われるのが遠回りになり遅…
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結婚はモラハラ目的ではなく、お互いをありのままに受け要るためのもの

 余計な執着や比較を持つ人と、それを超え、そんなことでは安寧満足の内に生きられないことにきづいている人とでは住む世界が違うのです。だから相交わることはありません。途中で片方がきづいた場合、モラハラは逃れられますが、きづかない相手と違う世界で生きることは一種の修行のようなものとなります。その修行で一生を終えるか、別の環境で自分が成すべきこ…
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ひととしての真摯さや矜持を持つことを頑なに拒否するモラハラ加害者の生き方

 自分自身をメタ認知できる能力があり、どうするか選べる知恵を持つ人達には、罪悪感を感じるのを拒否する生き方を選べます。 そして楽に楽しく生きる方法として、他人に虐待し、責任を押し付け続ける生き方を選択します。こんなことをすると自分自身の魂を何者かに売渡し、真理からどんどん遠ざかる気がします。それでも、そうせざるを得ない状況に追い込まれ…
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一緒にいて消耗する人とは距離を置く癖をつける

 特別、なことをしてくれる人なんて要りません。  相手が、気分の悪くなるイレギュラーなことをしてくれなければそれでいいです。   何か聞いて、もし知っていたら、それに対して真摯に応えてくれる。  知らなかったら、知りませんとだけ答える。もしほかに知っていそうな人がいたらそれを紹介する。とても簡単なことです。  誰かの何かの役に…
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傾聴的カウンセリングと信心の沙汰の関係性

 生まれてから今に至るまで、ずっとですが、私は人間の煩悩の喜怒哀楽にさほど関心がありません。醒めた目で世の中を眺めてきましたし、ずっと変わりません。どうせ今生、後は死ぬだけなので、私にとっては、何もかもが、どうでもいいのです。ただ、例外として、親しくしていた身近な人が死ぬという最悪の事態だけは耐えられません。どうしても執着してしまいます…
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宮本常一の対話・文章にみた、ざらざらごつごつして何か引っかかる感覚

 私はインタビューよりも何倍ものカウンセリングや布教(信心沙汰)での対話をしています。自分でいうのもおかしなことですが、私は、おそらく、インタビューアーとしてよりよく質問し、聴けるのではないかという感覚があります。   従来のカウンセリングのやり方といわれる、ただ傾聴するのみの在り方であるならば、私はカウンセラーには成り切れていない…
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