テーマ:きづき

無償・無条件の愛と条件付きの愛の違い

 前者は真理との邂逅に近いもので、後者は人間の煩悩の愛のような気がします。  真理もしくは超自然的な人知に上らないものは無償で見返りも求めないで、ただそこに愛が存在します。人間の愛は求め合っても同等ということもなく、常に不満が付きまといます。ああだから、こうだからと条件を付けなければ愛せないのです。親の愛といっても完全に無償とか条…
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あなたはこうなりたかったんですよね

 自分がそうなりたいと考えていたこと以上のことを用意していてくれる方がいたとしたらどんな気持ちでしょうか。世間のことでも、自分が願っていたことを、こうなったらいいと口に出したこともないのに何故か分ってくれていて、「さあどうぞ」とあとは自分が受取るだけにしてくれたら、嬉しくて仕方がないでしょう。 まさしく、これが欲しかったというも…
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「救われていても10年以上きづかないことがあるなんて」

 一週間や一ヶ月きがつかなかった例は知っていました。私がお話しさせていただいた人たちの中にいました。10年以上というのは本当に驚きました。それほど善知識や信心を賜った同行に遇うことは難しいのでしょう。今日そんな話を聞いた後、座談会が終わったとき、実は私もそうだったときがつかせていただいたという話を聞いて、またびっくりでした。それというの…
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本当に大事で大切ひとにはよろこんで思い遣れる

大事で大切なひとには、ちょっとでも快適な気持ちになって欲しくて、一つ一つの言動にこれ以上できないくらい心を配っている自分がいます。世間でいう、「親しき仲にも礼儀あり」というような「べきとか義務」とは明らかに違います。知らず知らずのうちに、礼儀や思い遣りの自分の手元にある最高級品を提示しています。ただし、商いとは全く性質を異にして、そ…
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言葉で表現できないけど嫌だった感覚の正体にきづいた過程

 幸せな気分を味わうのに言葉は要らないです。  ただ、ああ~と感じるだけ。  反対に不幸せな気分になるとき、自分以外の誰かの意地悪な言葉がそこにあります。  その不快さを今まで言語化できなかったせいで、私は度々場面緘黙状態になりました。嫌な人とはなるべく一緒にいないようにしても、それが何らかの理由で避けられない時、自分自身…
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人間そのものとしての在り方の障害~幸せ基準で生きられない障害~

 幸せな感覚を味わえない人がいることに昨年は驚きました。  今年はそれらの人たちが何を基準に生きているか研究追求していきます。  人間として生きることは共に幸福を感じられるように共感し合い、助け合い、心を通わせ合う場面設定です。全てに「合う」という言葉が含まれます。   やっと人間そのものとしての在り方に対して障害が生…
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スピリチュアル+五感で十分味わう体験は一生涯いつでも何度でも甦る

 人間という入れ物を持っているから感覚として体験できることは、特権というか醍醐味でしょう。有難く不思議です。   日々やって来ることをこなすのに忙しくしていませんか。 ただ食べたり飲んだりして、余った時間に生活を維持するために働く、そんな人生を見直しませんか。衣食住を満たすための人生はとても勿体ないです。競争や諍いで人間同士威張り…
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宗教家・教員(先生・教師)もしくは物書きの役目

 宗教家はもちろん、他のひとたちに何かを伝える立場の者は、自分の関わるひとや学生や読者の苦しみに寄り添い、苦渋のモヤモヤした気持ちを吸い取り、歓喜に変えるのが一義的存在価値だと私は理解しております。 誰かに何かを教える人や描く人は、自分が偉いのではありません。そこのところを間違ったら大変なことになります。  大きく間違っているの…
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死と徹底的に向き合い、生死を超えた体験なしに死を軽々しく語るなかれ

  多くのひとが死を語ります。文章で書いたり、講演したり、対談したり、テレビやラジオで発言したりします。 死を語るそのほとんどが実際にやって来る死のためには、蒲団の上で水泳の練習をしているようにしか私には感じられません。実際、水にも入らず何をやっているのだろうかと可笑しくなる感覚と似ています。また、動物園の檻の前で獰猛な肉食獣の虎…
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真宗の転迷開悟、もしくは真理との邂逅(きづき)について

 阿弥陀仏の本願に対して微塵の疑いもなくなり、信じられたか否かです。  きっかけは無常観・罪悪感等いろいろあるでしょうが、ただ、疑いが完全に晴れたかどうか、これを「信疑決判」といいます。一生涯である人で一度、ない人はまた迷いを繰り返すことになります。  どうか一日も早く、阿弥陀仏のご本願を賜ってください。いまここで救われます…
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生死の超越(後生の一大事の解決)から逃げず、向き合う真宗のこれから

 仏教は最終的に仏に成るところを目指し、実際仏に成れる教えです。  他の宗教では仏に成ることもなく、神の域までも到達できると言っているものはありません。仏教だけが人間を超えた仏に成れると教えます。  人間は自惚れが強いです。生きている今、正定聚(仏の悟りの仏の一つ手前の段階)の菩薩に一足飛びに救われ、死んだら本当…
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言葉にならない、言葉が出て来ない、またはどもってしまう

  内向的な私は言葉を飲み込む癖があります。   小さい頃から言いたいことを言えずにいました。   どう言っていいか、どの言葉を使えばいいかの選択、これを言うと相手が気分を害するのではないかという遠慮などがありました。空気を吸うように何でもすらすらと言えたらいいのにと思うこともありました。つっかえつっかえ、気を遣いながら話を…
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死の解決が人間の究極的目的

 もし、あとわずかの命だと分ったとき、人は何を思うでしょうか。  お金があるなら、仕事を辞める人もいるでしょう。  家族や友達と残された時間を過ごしたいと人が多いかも知れません。  でも、死んだ後の世界のことが気になって、暗闇がいつも迫ってきて、何をしてもよろこべない不安をどうするのでしょうか。  私は物心つ…
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何度も繰り返してるのでわかること、嫌ならとりあえず身をスッと身を引くこと

 身を引いても、それでもなぜか離れられないならきっと、それは本当に運命なのでしょう。離れられないと諦めるところまで縁があるならそれはそれで大切にしないとなりませんが、離れてスッキリする場合もあります。試してみないと分かりません。   たいていの場合は、前を向いて進むことで忘れられて、何か別の事に心が惹かれます。それで、スッキリする…
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自己を正当化するために他者を責める究極は戦争、どこかで止めないと

 「人を殺す実弾が入っている銃で訓練したことが嫌だったんだよね。それが嫌で徴兵、避けて来たんだよね。いつかは銃を打つ訓練が始まることは頭では分かっていたけど、実際、してみて嫌だったんだよね。今の本当に持って行きどころのない辛くて悲しい気持ちを数か月後に訓練が終わるまで、銃を扱う時は、いつも忘れないでいて。元の生活に戻ったら、きれいさっぱ…
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どうしようもなく辛くて悲しいとき誰に気持ちを聞いてもらう?

 行き場のない遣り切れない気持ちを共に味わい、なおかつ壊れそうになっている脆いギリギリな部分を支えてくれる優しくて強いひとです。  辛い出来事をとても嫌だと思っているのに、それでも感じないようしている私に「嫌だったんでしょ」って追認して感じ切るように促してくれるひと。 嫌だった原因になった人のことを悪…
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私に生まれたこと、私でいられることに感謝出来ると・・・・・・

 自分以外の人や出来事に感謝していた私ですが、自分自身に感謝したことがなかったことにきが付きました。取るに足らないちっぽけな私をそのまま救ってくださった佛さまへの感謝や御恩の気持ちはずっと続いています。それでもその佛さまが大好きだ、可愛いと大切にしてくださっている私自身をそのまま受容できていなかったのです。 受容もしくは共感するこ…
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光明に触れ、酩酊から醒めると、徐々に煩悩が歓喜になり光輝きだす

 煩悩が光明に照らされると、懺悔となり歓喜に変わりよろこべます。 煩悩はそのままで、本当に生きている実感が持てます。 魂・精神を真理(のようなもの)に完全にわかってもらえている安堵の気持ちで満たされます。真理(のようなもの)といつも一緒なので、他人と比べて誇ることもなく、そのまま、ありのままの状態が嬉しいのです。  こん…
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自分の気持ちをしっかり感じて“でも私はこっち”ってしたいこともそうでないことも選んで生きる

 聞き分けが良くて、人に不快感を与えたくないとか、即行動してなるべく物事を先延ばししないようにしようと心がけて生きてきました。  でもしたくないこともあります。いいことなのだけれどどうも気が進まないとか、体が動かないこともありました。そんなときとても無理していたと思います。    最近はやりたくないことはやらないことに…
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愛を請うひとたち

 児童自立支援施設を御存じでしょうか。  先日あるご縁で、某施設を見学してまいりました。  保育士の試験に社会福祉と児童福祉という科目があります。  勉強の為に名前とどんな所かということは覚えました。  福祉関係の勉強は苦手です。保育士の試験でも最後まで点数が伸びず苦戦しました。 社会科学のほとん…
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心の強さに加えて時間と根気と思いやりがあればモラハラから自由になれるかも

 しかるべき誰かに出合えて、自分がモラハラをしてきた事実を知り、受け止め、本当に直そうというきもちになれば、自性である意地悪を我慢でき、抑える別の生き方が出来るようになるかもしれません。それはモラハラをする人にとっては不本意であり、利益はないので、甘えが抜けず獲物に依存して甘い汁を吸う状態から変わることは難しいです。  それでも、…
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マーマレードボーイとスパイスガール

 甘さの中に苦いところがあるマーマレードボーイ。  見かけはふんわり粉砂糖がまぶしてあるけど、中身はいつも辛いスパイスガール。  どっちもどっちのような気がします。 苦味や辛さが本来のその人の持ち味なのかもしれません。  表面の爽やかで親切で優しくキュートな部分の内側に隠し持った、本当のその人らしい意外な、…
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そこに慈愛があることの意義――倫理・道徳とかの正しさじゃなくて――」

  親に孝行、人に親切は正しいか問われたらただ他正しいと答えます。しかし、実践できるかどうかといえば、話は別になります。 サイコパスとは異なり、モラハラをする人たちは、意地悪をした時、多少良心の呵責があるようですが、もともと他人が苦しんでいるのを見て自身のストレスを解消する快感のためにしているので、去られたり…
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人生と向き合ったら恐怖は消えていた

 逃げている間はずっとモヤモヤした気持ちが消えません。  自分が本当にしたいこと、大切なことが分かったら、それを認めしてしまうこと、素直に好きだと言えばいいと分かりました。   人目を気にしていても、臨終に後悔が残るだけです。 自分がしたいこと、なりたい自分を生きましょう。 今生の人生は一度きり…
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自分と向き合い自分に対しての責任を果たす

 自分と向き合うのはある意味、恐ろしいことであり、自分に対しての責任を果たすことは途方もなく困難なことに思えます。それでも、これが出来ないと苦しみをずっと抱えて生きることになります。  自分と向き合えない人は甘えています。誰かのせいにします。それで自分を見ないで済むと思っています。親が悪い、親のあの言葉で傷ついたなどといつまで思っ…
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モラハラ加害者は自己愛性人格障害の可能性大、精神の病かも

見かけは大人、知能も大人、でも人格が0~2歳児。  漫画の少年探偵とは真逆。彼は見かけだけ子どもでも知能や人格は大人で頼もしいし。  ごねる、居直る、自己中、他人のことなど全く考えない、思い遣りの欠片もない。  モラハラ体質を早期発見できる一つを披露します。  「論点ずらし」です。  相手に何か都合…
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自分を反省することを止めて、相手を憎むことが出来たらモラハラから離れられる

 「モラハラする相手を責めることより、自分にも原因があるから反省すべきだ」という人たちの言うことを信じてはいけません」  こんなことを平気で言ってのけられるひとたちは、実際モラハラの被害に遭っていない人たちだからです。そう言える人たちは自分に対してモラハラをする人間を自分自身はしっかり憎んでいるのです。そのうえで、こんなきれいごと…
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違和感の正体

ほとんどの人と接するとき、言い知れぬ不気味さを感じていました。完全に信用することのできない何か、違和感がありました。  最近それが、真理から遠い人たちから発せられる、自分を偽り、劣等感を隠し、見ないようにして、自分以外の人を演じ、弱くて抵抗しない奴隷や従順なペットのようなものに八つ当たりするモラハラ人間の姿であると分かってきま…
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実存のきづきは真理と本人の間こと~代れも引き受けも出来ぬ痛み~

 きづきの話を10年くらいしてきました。  途中、心理学なども学び、色々なことを取り入れながらよりよき話を目指してきました。  最近、分かったことがあります。   結局、カウンセラーの最後の最後に求められるのは技術でも知識でもなく、器の大きさや人間力や相手を思いやる優しさなのだと。 確かにカウン…
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上に立つ境遇にある者の“自分語り”の矜持

 地位や名誉も持たない一般の人の中にたくさんの素晴らしい方がいます。  ただ知らないだけです。  社長よりも清掃員の方が、大学の学長よりも警備員の方が人間的に徳が高い場合もよくあることです。  残念なことに、肩書や名声だけでしか多くのひとは他人を見る目が無く判断できません。    行政や企業のトップや上層部や教…
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