アクセスカウンタ

zoom RSS テーマ「素直」のブログ記事

みんなの「素直」ブログ


気にならないことと嫌で止めて欲しいこと

2018/06/24 14:19
 ものの善悪は幼少の頃からどうでもよかったのです。

 正しいかそうでないかはどうでもいいのです。

偉そうに誰かを評価することは苦手です。


 私の自分以外の誰かに対する判断基準は、気にならないことと、嫌で止めてほしいことこの二つしかありません。

 誰かに自分の価値観を押しつけようとは思いません。

 気にならないことをする人たちと一緒にいればいいだけです。

  嫌なことを止めて欲しいと伝えても、変化がなければ離れるだけです。

 他人を変えようとしてもそれは無理な話です。

 嫌なことを嫌だと言われても変えられないで、それ以降も故意に続ける人とは縁がないと私は認識しています。

 何か告げるのは一度で十分です。知らせても、それでも嫌なことを続ける人は、自分がやりたいことをする欲の方がその人には大事なのです。嫌だと言われたことを本気で止めようと本人が決意して止めるまで関わってはならないのです。

 とりあえず、一度は嫌だと感じることは言ってみることにしていますが、よほどの時です。それを軽く受け止める人は人生を大切に生きていない気がします。そういう人たちとは関わったらいけないのだと、残り少ない人生を考えたとき決意しました。冷たいようですが、今生の使命を果たすことに専念いたします。

感謝していること
 何度も同じことをあまり言われたことがありません。ついうっかり癖で止められないこともたまにあり、それは差し引いても、嫌だと言われたことを改めるように心掛けます。私のようにもう縁がないととらえて、私から離れたひともいたかもしれません。嫌だと敢えて伝えてくれるのは、まだご縁を持ちたい気持ちがあるからだと有難く感謝しております。


記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


最後はお人柄

2018/06/20 20:55
 医療ケアもカウンセリングも布教も最後は「お人柄」。

 死に直面し、死の恐怖に怯えているひとに、正直で誠実な何とかして力になりたいという、ひととしての真摯さが最後にものをいいます。

 最低限の技術必要ですが、それを凌ぐのは「お人柄」。

 これを論文にどう表現できるか考えています。

 何かすることではなく、共にあること。

 生きる望みを絶たれた人と、そこに一緒にいること。

 それができる能力を持ち、それをして欲しいと望まれる「お人柄」があるひとが必要とされます。

 感謝していること

 ずっと疑問に思っていたことをどうやって文章にできるか考える贅沢な時間を持てることに感謝します。


記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


嘘や故意に傷つけられたら、誰かとの関係は終わる

2018/06/20 20:50
 たとえ小さな嘘でも、誤魔化しでも終わります。
 目の前の人を大切にするひとは故意に誰かを自分の感情のままに傷つけることはしません。もし、過失でそうなってしまっても、許してもらえるまで謝ります。
 一度でも何かあると、また同じことをされるのではないかと信用できず、信頼関係がそこで途絶えます。無理して信じようとしても、また嘘をつかれるのでは、傷つけられるのではないかという疑念が頭をもたげてきて、やっぱり駄目だと辛い気持ちが出てきます。損な気持ちを抱えたまま、以前と同じような気持ちで一緒にはいられないのだと知らされたことが何度かあります。

 特に、仏教を説く立場の人の場合、仏さまの信用まで無くすことにもなりかねません。それで仏縁が切れることもあります。仏教から離れないにしても、もうその人からは何も聞くことができなくなります。救われる道から遠ざけることはとても悲しく残念なことです。立場を弁え、自身の使命を果たすことが肝要です。

 潔癖すぎると言われるかもしれませんが、ひとは同じような感覚や価値観の人たちと一緒にいられたら、それでいいのだと感じます。そうでなかったら、すれ違いが生じ、生き別れになります。妥協して人とは付き合わない、深い関係になるまでに相手を見極めて、それでも途中で「もう無い、もう無理」と感じたら、潔く離れる決意をした方が気持ちが清々しいです。嘘や打算や妥協や我慢をする付き合いはどこかで破綻が来ます。それが早いや遅いかの違いです。どうせなら、3度目くらいで見切りをつけた方がいいでしょう。あまりにもショックな場合は1度でもう関係を断つ覚悟を持った方がいいです。

 ひとはそれほど急に変われません。誰かを失うことが死ぬほど辛いとかいうような余程の状況でなければ、同じことを繰り返され、悲しみ失望する日々が続きます。どこかで見切り、縁切りをしない限り、仕合わせな気分からは遠いままです。反対に、自分が気分良く真っ当に生きていれば、同じ感覚の人と出合えます。そういうものです。

感謝していること
 付く縁、離れる縁いろいろですが、選べる縁は選んでいこうと決めてから気分が楽になりました。
 
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


気は抜かず、力を抜くといろいろ手放せる

2018/06/17 11:56
 こうあらねばと何かにしがみついていると肩は凝るし、他人との壁も出来るし、いいことはほとんどありません。目の前にやって来たことを受け入れ、今、この瞬間を全力で楽しむと空気が変わります。相手に合せ、関係性を感じながら、合意点を探したらいいです。先入観や偏見があると楽しめません。損な生き方です。正しさより楽しさを基調にして生きた方が嬉しいです。
 
 どうしたら目の前の人によろこんでもらえるだろう、そんなことを考えながらリラックスして、自分の得意なことをしていこうとしています。役に立てることもあるかもしれませんし、ないかもしれません。それはそれでいいのでしょう。どうしてもこうあらねばという考えに凝り固まると、ひとをコントロールしてしまいがちになります。そこには自由はないし、疲れてしまいます。それは自損損他です。

 感謝していること
縁がある範囲でできることを粛々とこなしていくと、自然に道ができている気がしてきました。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


ふと目が合って微笑み合う贅沢な瞬間

2018/06/15 19:07
 ゼミや研究会の集まりの中で、興味深い意外な内容が語られた時、誰かと何気なく目が合って「そうなんですね」と無言で微笑み合うことが結構あります。同じような理解を共にしていたのだと後から感じられました。真摯な態度でその場に臨み、発言をされる方を鑑に研究を続けられることは有難いです。

 誰かと逢っているとき、そのひとが素敵な笑顔と共に優しさをくれることもあります。「じゃあまた」と言った別れ際、飾らない微笑みを差し向けるひともいます。お互いを愛おしむような純粋で雑味のない素顔は清涼剤のようにスッと爽やかな気分になります。人生は辛く哀しいことも数多くありますが、ふと誰かが見せる微笑みに何だかもう少し頑張れるのではないかと勇気つけられることがあります。

感謝していること
 あまり何も考えず、何かいいな、面白い、またねという誰かの表情に癒されながら、また一日が終わろうとしています。今日はトールペインティングのお稽古でした。長いこと続けられるのもご一緒する仲間のお蔭です。


記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


ひととしての真摯さ

2018/06/15 08:22
 ひととして真摯に生きているひとは、自分が生まれてきてよかったと自分と親を肯定しています。そこから始まります。

これができるまでは、思い遣りや優しさを持つひとではありません。ただの自己愛の塊です。自己愛性人格障害、もしくはモラハラと呼ばれている人たちです。他人は自分の欲望、すなわち讃美するものであり、生活の足しになる手足であり、召使いとしかみなしていません。自分に劣等感を持ち、ありえない理想の自分を演じます。劣等感と理想の間を行き来します。ニュートラルで素の自分を素通りして、見ないようにするので本来の自分とは、和解して仲良くすることはできません。何をしても空回り、達成感も、ほかのひととの温かい心の交流を持つこともできず常に渇いています。

 こういう自己愛性人格障害、モラハラの人たちに素人が関わっても、反ってミイラ取りがミイラになるのがおちです。モラハラ体質の輩は自分の都合だけでひとを判断します。自分に利害関係があり立場が上のひとたちには迎合します。そして利害関係のない下のひとたちには讃美を求め、それをしないなら徹底的に苛め抜きます。関わっても何も得ることがないのに、話を合わせてモラハラ体質の輩の自己愛を満たすのは時間の無駄です。

 ひとは同じようなひとが引き合います。扶養義務もなく、離れられるなら距離を置き、離れるに限ります。肉親、夫妻、子などがモラハラ体質だった場合、距離を置いて、いうことを全部聞かないことです。相手を褒めることもなく淡々と隙間風が吹くような冷たい不気味な関係をモラハラの加害者は嫌いますので、そういう人物を演じるしかありません。それは不本意ですけれど、唯一の防御なので仕方ありません。自己愛が強くない、モラハラ体質ではないひとたちと交流を持つことで気晴らしをしましょう。

 もう立ち直れないほどのショックとか、周りのひとがスウーッと引いていって、一人になったとき、始めてひとの温かさや優しさ寛容さ忍耐などを知るのかもしれません。自分は他人を自分を讃美するためのものであり、奴隷や召使のように扱ってきたけれど、ひととひとは共生するもの、お互いに優しくあるものだときづくのかもしれません。
 きづくのが臨終ならとても悲しいです。若い元気な時にきづいて感謝の念を持ち、思い遣りと優しさの中でみなが生きられることを念じます。

 ひととしての真摯さを持つひとと一緒に生きていき、そういうひとがいいときでも、常に自分を護ってくださる真理と共に残りの人生を歩いてまいります。

感謝していること
 無理なものは無理なのだと知らされた上で、自分ができる何かを模索していこうと決心できてとても嬉しいです。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


何がなくても素直なのが一番

2018/06/08 07:34
 人生は一瞬で終わってしまうので、天の邪鬼な生き方はつまらないし、損です。誰かと関わるなら、いろいろ胸の内を考えなくちゃいけない人とは時間がないので面倒なので後回しですね。時間に余裕があるとか、暇な時にお相手します。ずっと暇なときは来ない可能性が高いです。

 「構ってちゃん」とか「察してちゃん」は私にとってウザい以外の何者でもありません。何しろ可処分時間が少ないので、用件を手短に的確に言ってもらって、それを時間のある時に一緒に考えるくらいでしょうか。

 それと、素直に他人の言動を受け取る人じゃないと、何か言っても栓がないかもしれないとあまり意欲的になれません。

 打てば響く、一を言えば十を覚るような目から鼻に抜けるような反応じゃなくてもいいけれど、半分くらい理解して、それをこう言うことなんですねとわかるくらいでいいです。その程度でいいです。反対の意味で受け取られたり、逆恨みされると「もういいかな」と距離を置いてしまいます。

素直じゃない人を相手にしなければならなのが得意な人や、仕事でどうしても関わる必要がある人は本当にお疲れ様という感じです。

 私は素直な人が好きです。いままで、仕事も苦手な人と関わるものは選んでこなかったし、これからもそういうものはできるだけ避けつつ、今生を快適に終えていく所存です。嫌なことは避けてもいいんじゃないかと最近開き直っています。

素直とはちょっと違うかもしれませんが、 今死んだらどうなるのか、後生が気になる、苦しくて仕方ないという人には時間を作って話します。これは私の使命なので遠慮されないでいいです。

感謝していること
必要な情報や欲しかったものが次々やってくるのでとても有難いです。


記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


トップへ | みんなの「素直」ブログ

今、この瞬間を精一杯生きていますか? 素直のテーマ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる