テーマ:法楽

完全にまかせきれたら独占も執着も要らないのに・・・・・・

 阿弥陀佛のことが何の疑いもなく信じられたら他力に救われ、自力の臭みが消えます。   この世のことでも、大好きな誰かのことが心の底から信頼出来たら、不安は消えます。  自分に対して自信がないから、疑ってしまうのです。人と人は相手の容姿など外見でもなく、能力の有無や名利などの持ち物で一緒にいたいわけではありません。同じ価値観や未来へ…
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理不尽、不条理なのが娑婆世界ですが・・・・・・

 「人生は苦なり」と佛教では教えられます。  年齢を重ねるにつれて首肯できることであります。  正当な努力が報われない、自分では何も悪いことをしていないはずなのに攻撃される、好きな人と別れなければならず、逢いたくない人と毎日顔を合わせる等々、 苦しく辛い毎日が当たり前のように過ぎていきます。  これが人間の世界であり…
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人間の間は老病死から絶対逃れられないことにきづかせ、そのままで救われるの方向を示すが宗教の役割

 生死出づる道に出た、生死を超えたといっても、この肉体が老いて病になり死なない身になる訳ではありません。人間として生まれたからには、老いも病も経験しない中折れはあっても、死は回避できません。  加えて、また、煩悩の貪欲・瞋恚・愚痴によって、常に心休まることない一生が展開していきます。そんな中、生死を超える目的を目指して生きるなら、…
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心身の快楽を悦び、他の迷った人間より優れていることを楽しむ慢心が夢幻だとなぜきづかないのだろう?

肉体の快楽は一瞬のものです。スポーツを例に考えるとよく分かるでしょう。気分がいいのはほんの一時のことです。苦しい練習は嫌だけれど、それを経ないと上手くなれないジレンマなどいろいろな葛藤があります。趣味でしていても、いつも楽しい訳でもなく、怪我をしたり、疲労が襲ったりもします。男女の楽しみもしかり。簡単に手に入る異性はすぐ飽きるし、時…
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生死を超える目覚めとは、無常・罪悪の中で生きる周りの悲しみ・苦しみ・悩み・痛みを感じる身になること

 昨年の夏以降、私は友人を失う悲しみの中に身を沈め、どんなことにもよろこべず、体調が優れないことも手伝って、生きる意欲も失いかけていました。いまだに心身ともに傷ついて、万全の状態ではありません。それでも、何の不思議か、私には御恩報謝をさせていただきたいという気持ちが湧き出てきて止まることがありません。  2016年に父を看取りまし…
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フォーカシングセッションでのきづき

 話しの中でこんなことを言われました。「人を羨ましがること、嫉妬することが原因で、何もしていない他人を攻撃することがある」。どうしてそんな無意味で不毛なことをしてしまうのか私には未だによく分かりません。人生の可処分時間は短いのに、つまらないことに時間を無駄遣いするなんて。でも、羨むことで意地悪することを本人たちは快感でしょうし、止められ…
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ふんわりした優しさを身に纏う素敵なお姉さま方のしなやかな強さ

海外旅行にご夫婦で来られるお姉さま方にハズレはありません。それぞれが、色々なところを乗り越えて、定年後にご旅行されているそれなりに裕福な方々を私はいつも尊敬のまなざしで拝見して、彼女たちのエレガントな言動を見習わせていただいております。さんざん、子どものような夫君や実子で手を焼かれたことでしょうと想像しながら。 たとえば、…
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世の中がよくならないのは政治家と研究者などが世間を知らないため

 大学院の博士課程に身を置いて3年が過ぎようとしています。やっと学会誌に論文が一つ通り、もうすぐ世の中に出ます。ここで、ひとまず1年ほど休学して残り2つの論文を書き上げ、修了の運びとする計画を立てました。  どうして、大学院に進んだかと面接で聞かれた時、大学で教師がしたいからだと答えました。先生方がどのように講義をするかを実際に受…
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ひとが救われていく課程の理解

 「機の痛み」を脇に置いていないひとは優しく、温かいことを知りました。  どうしてこんな辛いことばかりが次から次へとやってくるのだろうかと物心ついたときからずっと感じていた人生でした。楽しいときは一瞬で過ぎ去り、私の人生のほとんどが悲しくて、遣り切れないことばかりで、人生は苦しみの連続でした。 何で私ばかりこんな悲しみの疼…
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法然聖人のお言葉

「生けらば念仏の功つもり 死なば浄土へまいりなん とてもかくてもこの身には 思いわずらうことぞなき と思いぬれば 死生共にわずらいなし」(『法然上人行状絵図』巻第二十一)
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どんなに辛く苦しい目に遭っても、まだ懲りないで迷っていると感じない残念な人たち

 うそだろ、いい加減きづいたら!  目を覆うような虐待を受けながらも、虐待の主を庇う発言をする人たちって何?  モラハラ、DVは支配やコントロールであり、加害者を肯定したら、そこから抜けられません。何で、殴る蹴るをするけど、いいときもあるし、酒さえ飲まなければ日頃は大人しい優しい人なんだけれどなんて擁護するの?殺されない内に、身…
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平成最後の新年のご挨拶

本年もよろしくお願いいたします。 今年は1月の末から2月の初めにかけてトルコに旅行に行きます。 大好きなヨーロッパにもまたいつか行けたら嬉しいです。今度はポルトガルに行きたいです。 キラキラと輝きながら、ときめく時間を十分味わい切り、一瞬一瞬を大切に生きていく所存です。 軽く明るく楽しくが今後のキーワードです。 …
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如来大悲の涙

「或る日の夕方、友人が送ってくれた『法悦』という雑誌を読んでいると、白井助教授の一文がピタリと私の目にふれた。 『その疑情、ハカライ、自力の心があるために、仏の声を聞くことのできぬ私を、如来様は哀れみたもうて、一念一刹那も休む間もなく、大悲の涙を垂れたもうのである』との一文に、ぼくは参ってしまったのです。この文章を通じて生きた如来様の説…
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あげばをわすれたり

親鸞聖人の御和讃が余りにも素晴らしくて何も言葉が出て来なくなってしまったと蓮如上人はおっしゃいましたとご一代記聞書にあります。  中興の祖として日本全土に浄土真宗を広められた蓮如上人の宗教家としてのご布教の能力が優れていたばかりではなく、阿弥陀仏や祖師聖人を尊く感じていらっしゃったことが垣間見れるエピソードです。  この…
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所詮、夢幻の世と信知できたのだから、そこで快適に過ごす道を行けばいいだけ

 全てを真理に委ねて、後生はおまかせなのに、私は全力疾走を止められずにいました。ふと、全力で取り組むやり方とは異なった視座を持ち、にこやかに優雅に生きてみてもいいのではないかという考えが浮かびました。全力で遊びのない生き方は自分ばかりではなく他人も疲れるかもしれません。怠惰なことを恥じ、時間内にできるだけの用事を詰め込んでこなしてきまし…
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悲喜交々の人生を生きて

 圧倒的に辛く哀しいことばかりの人生でした。  ある時点から、生きていていいと願われていることがハッキリわかりました。それからの人生を故郷に向かって一緒に歩いてくださるお方との二人旅が始まりました。しかし、同様にどうしようもなく辛く哀しいこともたくさんありました。それでも、私は生きていていいし、いつも一緒にいてくださる方がいてくれ…
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最期にきちんと死ねることが私たちの生きる意味

 きちんと死ぬためには、きちんと死ねるようにする力のある方にまかせるしかありません。それなのに自分の力で何とかしようとするから、生きている間中苦しくて、ほとんどの人達は、きちんと死ねないで後悔する最期を迎えます。  他の事は出来るかもしれないけれど、きちんと死ぬことは絶対に人間の力では不可能だから、真理に身をまかせるしかないと教えてく…
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私の重い苦しみを全部背負ってくださるお方

 真理との邂逅の後、私はずっと一人ではありませんでした。常に護られていて孤独ではありません。一度だけ忘れてしまい、本気で死のうと思いました。でも、ふと、私がお願いしたわけでもないのに、自分の足で歩けない私を不憫に感じて、その私の苦しみを背負ってくださっているお方の存在を思い出し、思いとどまりました。私は重い苦しみを持って生きている、その…
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この世で帰る場所、死んで還る場所

 この世で帰る場所は生家でしょう。両親が他界するなど何らかの事情で帰る家がない人は本当にお気の毒です。私が死んで還る場所はお浄土です。お浄土がどういうところかはお経で書かれている以外には分かりません。行ってみたら、本当はそういうところではないかもしれません。でも全部仏さままかせなので何の心配もしていません。本当は仏さまといろいろお話しし…
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聴聞

「往生を全部おまかせしたお方との二人旅を命が終るまで精一杯させていただきましょう」。このような尊い御説法を聴聞させていただきました。
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言葉では伝えられない・伝わらないその先のこと

 相互に受け入れる気持ちを持った者同士が、互いの言葉を以て、そのままのありのままの透明な自分を出し切って、受容し合い、共感し尽くしたところまでの話し合い、もしくは、カウンセリングすらなされることなく多くの人の人生が終わっていきます。欲や怒りや愚痴である煩悩の話ならいくらでもできますが、それは取りとめも栓もなく一時の満足をもたらす夢物語で…
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人間同士における信頼関係

 分かり合おうとしても別の業を持っているので完全にわかり合うことはできません。  歩み寄り、近づく事はできますが、それも限界があります。  親や近しい人である配偶者や恋人などが話を聞いてくれたとしても、別の人間なので完全な一致をみることはできません。訓練を積んだカウンセラーなら表面的には受け入れてもらい、自分の気持ちを理解してもらえ…
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共に死すべき存在と認識し、死の解決の上、損得や上下関係を超え互いに愛おしく感じられる関係

 たぶん「黙れ!」とかいう暴言も、ストレスを晴らすどんな暴力も必要のない状況になります。  ただ生きていてくれたらいい、何もしてくれなくても、言わなくてもいいから、穏やかにこの世に存在していてくれさえすればいいだけです。その人の存在そのものをリスペクトするだけです。  私はこの世に何も未練はありません。ただ、自分が不安で仕方なか…
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眼に見えないものが大事だってわからない?

 言葉や態度で私は自身の娘や周りの人たちにどれくらいこのことを伝えて来たか分かりません。でも、目に見えないものの重要性を自分が望むようには伝わっている感覚がありません。   態度で見せても、地味であまりにも控えめで伝わらないのか、言葉も表面が行き違ってそれを修復できないままでいるのか、そこら辺がよく分かりません。物事はいのちも含めて…
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人間の誰に認められなくても真理と一緒ならそれで構わない

 創造主なんていない!  何できづかないの?  真理は誰も造らない。  ありのままを尊重し、よりよく存在できるように力添えするだけ。  気まぐれで、私を造り、罪と罰を与える創造主なんていらないし、親もいらない。  私は私で自由だし、人間の誰がいなくても真理と共にいる感覚が続いている。  それが書け…
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ユートピアなんてどこにもない!

インドにも中国にも日本にも、ユートピアというような場所はありません。  私はそこに実際行って来て確かめてきました。(笑)  ユートピアの存在は真理との邂逅を果たした心境にあります。  それは形ではありません。あくまでも感覚を超えた自身の存在のみ。  形のある物しか信じられないから、人はそれで苦しみ…
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自分の機嫌を自分で取れないなら赤ん坊からやり直せ!

 喜怒哀楽の調節ができず、突然泣き出して、誰かが慰めに回る。  我慢していて、耐えられなくなり、誰かに看病させる。  心身共に酷くなる前に予測できることは、早めに自分で何とかすべし。  それができないから、人間同士、摩擦が生じる。  赤ん坊の時からネグレストや虐待を受ける環境にいたなら、そこからやり直…
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上海からの蘇州号上で天の川を見ながら感じたこと

 私は自分が好きなことをして、望むように生きていく!  誰かに何か言われようと、それはその人の考え。  私は私の感じるままに、自分の道を行く。  誰にも私に指図も強制もできない。    次はどこの星で、どういう人生を送るのだろうかと一瞬思ったけれど、どこでもかまわない。別にどこにも生まれなくてもいいけれど、迷い苦しむ人がいて、…
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なぜアカデミックな近代西洋哲学やフェミニズムでは安寧・満足が得られないか

 答えは簡単です。  苦しんでいる人たちの救済を目的にしていないからです。  だから、簡単なうつ病さえ治せません。    もう少し説明します。  人間同士の権力や利害関係のみを問題にし、そこ枠内を超えていないからです。  腐った脳みそをいくらかき混ぜても、そこから出てくる答えは皆腐った考えばかりです。…
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