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zoom RSS テーマ「法楽」のブログ記事

みんなの「法楽」ブログ


完全にまかせきれたら独占も執着も要らないのに・・・・・・

2019/06/08 21:29
 阿弥陀佛のことが何の疑いもなく信じられたら他力に救われ、自力の臭みが消えます。
 
この世のことでも、大好きな誰かのことが心の底から信頼出来たら、不安は消えます。
 自分に対して自信がないから、疑ってしまうのです。人と人は相手の容姿など外見でもなく、能力の有無や名利などの持ち物で一緒にいたいわけではありません。同じ価値観や未来への展望を持ち、一緒にいて楽しく嬉しい関係でいられたら、特別努力しなくても独占や執着で縛らなくても、心に寄り添って離れてはいきません。

 思い遣り、優しさ、慈しみを相手に常に掛けつづけていけば、余程の根性曲がりな相手でなければ、ある程度は、同じような反応はもらえます。ただ、どうしても多くの時間を自分と共に過ごすことを欲するなら、そのときは、覚悟が要ります。
 他の佛に心をかけ、自分の力をあて頼りにしている内は救われません。阿弥陀佛一佛を信じる気持ちを賜った時が信心を獲たときです。
 人に対してもこの人だけと心が定まらない内は自分に自信が持てず、相手の気持ちも疑ってしまい苦しいときが続きます。
感謝していること
 疑いが完全に晴れてから、人生観ががらりと変わり、安寧と満足のうちに人生を楽しんでおります。有難く感謝しております。
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理不尽、不条理なのが娑婆世界ですが・・・・・・

2019/05/08 06:06

 「人生は苦なり」と佛教では教えられます。
 年齢を重ねるにつれて首肯できることであります。

 正当な努力が報われない、自分では何も悪いことをしていないはずなのに攻撃される、好きな人と別れなければならず、逢いたくない人と毎日顔を合わせる等々、
苦しく辛い毎日が当たり前のように過ぎていきます。

 これが人間の世界であり、そういう人生を送ることになっているのです。
 こんな苦しみを厭い、もううんざり、何とかしたいと真剣に離脱を求めた人は、必ずそこから抜けられます。きづいたということはもう元には戻れないということだからです。今生ではないかもしれません。また、何回も人間を生れ直さないとならないかもしれません。

 しかし、きづいたのなら、今、ここで抜け出ることを目指したらいいです。どうしても抜けたいという強い執念と、佛縁の深い友だちがいたらよりその願いは叶いやすくなります。よく世間では「笑いのツボ」が一緒の人といると心地よいと言われます。それ以上に真実を求めるひとは温かく居心地がいいです。理不尽で、不条理な娑婆世界ではありますが、御縁の深い友だちがたとえ一人でもいてくれたら、少しは生きにくさが解消できます。
 繰り返しますが、辛い人生の後はまた迷いの世界を生きることになります。今生で、真理との邂逅を成し遂げられることを願って止みません。

感謝していること
 苦しみ悩み多き人生ですが、ホッと一息つける瞬間もあります。何と有難いことだろうかと感謝しております。
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人間の間は老病死から絶対逃れられないことにきづかせ、そのままで救われるの方向を示すが宗教の役割

2019/02/17 23:33
 生死出づる道に出た、生死を超えたといっても、この肉体が老いて病になり死なない身になる訳ではありません。人間として生まれたからには、老いも病も経験しない中折れはあっても、死は回避できません。

 加えて、また、煩悩の貪欲・瞋恚・愚痴によって、常に心休まることない一生が展開していきます。そんな中、生死を超える目的を目指して生きるなら、山奥に籠って修行するしかありません。釈迦族の王子であったゴータマ・シッタルダ(私たちは釈尊とお呼びしております)はそうした修業を経て仏陀となりました。その後もたくさんの修行者がでましたが、地球上で後にも先にも仏となられたのは釈迦牟尼仏ただお一人です。

 日本にも仏教が伝わり、蘇我氏や聖徳太子が仏教を守護し、浄土仏教は源信僧都、法然聖人、親鸞聖人と受け継がれていきました。親鸞聖人も9歳で出家なされ、29歳で比叡山を出て、法然聖人にお出合いになるまでご修行されました。お三方は皆、はじめ比叡山でご修行されました。法然聖人は山の上の仏教を全ての人が救われるものにしたいと比叡山を降りて、京都で身分の隔てなく御説法をされました。その御意向を継承された親鸞聖人の御教えを覚如上人、蓮如上人等のご活躍で私たちは浄土真宗の教えを聞かせていただいております。

 特に蓮如上人がご存命だった室町時代は戦や飢饉が多くあり、無常を目の当たりにした時代でもありました。そのご生涯で、お連れ合いやお子さまをはじめご門徒の方々の死の中にあった蓮如上人は「後生は一大事であるから、せっかく尊い仏法に遇わせていただいたあなた方は、また迷いの生を繰り返すことなく、一日も急いで生死出づる道に出よ」とご教導くださいました。真宗の通夜や葬儀では「白骨の章」が拝読されることが多くありますが、その場にいて、その内容を御説法で分かり易く聞かせて頂いたら、中には我が身の老病死にきづいて仏法を求めるかもしれません。ただ、求めたいという人が出てきたときに、教えを正確に生死出づる身にさせてくださる御仏との邂逅の直前まで話せる人に遇えるかどうかがとても重要になります。ご縁まかせとはいえ、大変なことです。

生死出づる道を求められる方に方向性を示し、御仏とのお出合いを真の意味でお手伝いさせていただくことが宗教、そして宗教家の役割であります。他は何もありません。老病死からも煩悩からも逃れることができずにいる人間の悲しみ痛みに寄り添いながら、道を示すことなのです。

感謝していること
 尊いご縁が陰に陽に次々やって来ては、未熟者の私にいろいろご教示くださいます。


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心身の快楽を悦び、他の迷った人間より優れていることを楽しむ慢心が夢幻だとなぜきづかないのだろう?

2019/02/16 21:47
肉体の快楽は一瞬のものです。スポーツを例に考えるとよく分かるでしょう。気分がいいのはほんの一時のことです。苦しい練習は嫌だけれど、それを経ないと上手くなれないジレンマなどいろいろな葛藤があります。趣味でしていても、いつも楽しい訳でもなく、怪我をしたり、疲労が襲ったりもします。男女の楽しみもしかり。簡単に手に入る異性はすぐ飽きるし、時間とお金と戦略を以て特別な相手を手に入れたとしても、日常生活を共にし始めるとメッキが剥げる部分を見ることも多々あります。たとえ、どんなに好き合っていてもどちらかが先に死にます。永遠など何もありません。

 骨と血と肉などで構成される人間に特別素晴らしい超人的な人がいるとも考えられません。周りを見渡せば似たり寄ったりの下らない名利に振り回される人ばかりです。そんな中、真理を求め、真理との邂逅を果たし、真理に生きている人は滅多にいません。そういう人をめざし、目標にし、自身の至らなさを反省するご縁にしたらいいのです。でも、自分が劣っているとは思えず、相手の欠点ばかり探して優位に立とうという気持ちはおそらく死ぬまでなくなりません。

 真理との邂逅を果たした人は、迷った人間ではなく真理と共に生き、真理に近づけるような生き方をし、肉体の死は単なる通過点で、同じような状態をその先もずっとしていくことになります。自身を後回しにして、迷っている人にきづいて欲しいと願い、できることを粛々としていく人生を送ります。

 迷っている最中は、欲しい、憎い、可愛いばかりが心の中に湧き起こってきて、真理の方向に向くことは難しいのでしょうか。私にはよくわかりません。

感謝していること
 欲・怒り・愚痴もほかもお腹一杯で生まれてきてしまい、どうしてこんな言動を周りの人たちはするのだろうかとずっと不思議でした。そんな中、誰かが死ぬことに対する悲しみ、自分や誰かがないがしろにされる痛みはくり返し、嫌というほど味わいました。だからそれには寄り添えます。寄り添えるように体験させていただいたのかもしれません。有難いです。


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生死を超える目覚めとは、無常・罪悪の中で生きる周りの悲しみ・苦しみ・悩み・痛みを感じる身になること

2019/02/14 23:50
 昨年の夏以降、私は友人を失う悲しみの中に身を沈め、どんなことにもよろこべず、体調が優れないことも手伝って、生きる意欲も失いかけていました。いまだに心身ともに傷ついて、万全の状態ではありません。それでも、何の不思議か、私には御恩報謝をさせていただきたいという気持ちが湧き出てきて止まることがありません。

 2016年に父を看取りました。その喪失感が癒えないまま、昨年の辛い経験からもいまだ立ち直れずにいます。20年ほど前に祖母が他界し、10年前には大学時代の同志ともいうべき友人がこの世を去り、悲しく辛いことがどんどん重なっていきます。他のことは取り返しがつきますが、生きている人が死ぬということだけは元に戻りません。もう姿も見えず、声も聴くことができないで、その人を思い出す度に、何とも言えない空虚な気持ちを抱えて生きていかねばなりません。

 特に昨年はほぼ半年泣き暮らしました。祖母の時と同じくらい毎日思い出しては泣いていました。だんだんに、死んだのではなく往生して、還相回向の身となって活躍されているのだと気持ちを切り替えられるようになりました。

 そして、今は、聴聞を重ねる中で、友人が私に悲しみを忘れるのではなく、悲しみに寄り添う人生を送って欲しいと身を以て知らせてくれたのかもしれないと感じられるようになりました。

 生死を乗り越えること、生死出づる道に出て、極楽に往生するまで御仏とともに歩くということは、周りの人たちの悲しみ、苦しみ、悩み、痛みなどに寄り添うことでもあると感じます。永い間、限りある命を持ち無常の影に怯え、罪悪に苦しんでいた私を見捨てることなく、ずっとご一緒くださり、今も離れず、そばにいてくださる御仏と同じ道を共に進んでいるようでもあります。周りの有縁の方々の、話を聞いてきづきの話をして、同じ身に救われることを念じる使命を粛々と果たしてまいります。

感謝していること
 大切でない命、無駄なことは一つもありません。ただ、一度に全てを為すことができないので、有縁の方からの御縁となります。本当に無常・罪悪で悲しみ痛む人たちの為にできることをしていきたいと前向きな気持ちになりつつあることに有難く感謝いたします。


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フォーカシングセッションでのきづき

2019/02/11 18:19
 話しの中でこんなことを言われました。「人を羨ましがること、嫉妬することが原因で、何もしていない他人を攻撃することがある」。どうしてそんな無意味で不毛なことをしてしまうのか私には未だによく分かりません。人生の可処分時間は短いのに、つまらないことに時間を無駄遣いするなんて。でも、羨むことで意地悪することを本人たちは快感でしょうし、止められないのでしょう。ただ、そういう暇な人もいるので、何も原因が思い浮かばない時はそうなのかなと考えることにしました。

 終りでの、今日のピッタリ言葉は、「ロケットを飛ばしたい」と「橋を何とか架けとしているのに繋がらない」でした。ロケットは真理なら、お伝えするのみということです。橋を架けようとして繋がらないのではなく、繋がらなくていいときはそれでいいと私は解釈しました。繋がるべき橋はしかるべき時に繋がります。自ら繋げようとしなくても何らかのきっかけで、簡単にふとつながるときもありますし、今は、特に躍起になって橋を架ける必要性は感じません。

私のピッタリ言葉は、「真理の中で安心して自由に生きられる今を楽しむ」でした。「ありのままのあなたでいていいし、何でも好きにやっていいよ、私が護り支えているから」という感覚を安心して満喫し、思うままに好きなように自由に生きている私がいます。

参加者の人と終ってから、話をしていて、つまる所やっぱり、どこで相手を信頼できるかというと嘘をつかないとか、自分の私利やお金儲けの為に相手を利用しないということを言われていました。理論的にカウンセリングの方法や適用で行きづまったとき、でももしかしたら、あの人の言うことはこんなことかもしれないと善意に解釈できるからということでした。悪いことで騙すことのない人だと信頼・信用できることが大事なのだと私もぼんやりと感じていましたので、言語化できてよかったです。そういえば、少し前にお話しした僧侶の方も同じことを仰っていました。

感謝していること
 しばらくピッタリ言葉と別の角度からも向き合う楽しみを得ました。有難いです。


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ふんわりした優しさを身に纏う素敵なお姉さま方のしなやかな強さ

2019/02/09 23:04
海外旅行にご夫婦で来られるお姉さま方にハズレはありません。それぞれが、色々なところを乗り越えて、定年後にご旅行されているそれなりに裕福な方々を私はいつも尊敬のまなざしで拝見して、彼女たちのエレガントな言動を見習わせていただいております。さんざん、子どものような夫君や実子で手を焼かれたことでしょうと想像しながら。

たとえば、大声で話す人がいても「元気のいい方」と表現され、あからさまな言い方を聞くと、「あと、一呼吸お待ちになって、おっしゃればいいのに」と言われます。「だって、うるさいとか、一言多いといっても、ご本人はきっと分からないでしょうし」とあまり気になさらない様子で一緒に笑い合います。でもちっとも嫌味に感じられません。ややこしい場面や修羅場を通り抜けると、多少のことでは動じなくなります。波風を立てたくないのでそうしているのではなく、色々な人がいて、起こりうる現象は様々であると達観し楽しめる感覚が私は好ましく感じられます。

未熟者の私にはまだ到達できない地点で、辿り着くまで生きていられるとも思えませんが、こんな光景も団体旅行の醍醐味であり、一人や友人との観光では体験できないことです。

感謝していること
添乗員さんも的確な行動を促すサッパリした優しい方で、現地のガイドさんも人情味溢れ、運転手さんは笑顔が素敵でした。みなさんに助けられながら12日間無事過ごせました。改めて感謝いたします。


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世の中がよくならないのは政治家と研究者などが世間を知らないため

2019/02/09 19:03
 大学院の博士課程に身を置いて3年が過ぎようとしています。やっと学会誌に論文が一つ通り、もうすぐ世の中に出ます。ここで、ひとまず1年ほど休学して残り2つの論文を書き上げ、修了の運びとする計画を立てました。

 どうして、大学院に進んだかと面接で聞かれた時、大学で教師がしたいからだと答えました。先生方がどのように講義をするかを実際に受講することで学ぼうとしていました。大学院修士在籍時、院生は小人数で、主に学長、副学長、名誉教授の先生たちからの薫陶を賜りました。教師として学生の人格の涵養に重点を置いた講義を必死で受講していました。2年間は修士論文の完成のみならず、単位を取ることも必須であり、ほとんど睡眠や食事をゆっくり摂った記憶がありません。京都から夙川までの阪急電車の中では、英語の本を読み、英語の予習の続きをしていました。あんなに時間に追い立てられていながら、なおかつ充実した時はありませんでした。

 博士課程の講義は玉石混合でした。杖にも柱にもしていた研究科を立ち上げた副学長が一昨年他界してからは、一日も早く修了することが私の目標となりました。博士課程での講義単位取得は修士時代のものがそのまま移行したので必要ありませんでした。それでも、色々な教員の講義を受講したのは、修了後、自身がどのような講義をするかイメージを持つためでした。

 転入3年目からは、副学長以上の講義はほぼ聞けず、むしろ反面教師にする内容の講義を砂を噛むような忸怩たる気持ちで受けていると、こんなところで燻っていてもいいのだろうかと暗澹たる気分になりました。それは他大学の講義も受講することで何とか凌ぐことができました

 今現在は、私なりの参加型、もしくはワークショップの講義を世界各地でしていかなくてはならないと焦りを感じております。今年は専門である宗教の教義の理解の強化をしつつ、論文を発表し、修了後の地球規模のネットワーク創りをしていく所存です。

 修士・博士の期間、論文の合間の長期休暇に多く場所を旅しました。論文の為のフィールドワークで広島に1月滞在したのが最長でした。ある時は友人のところに、また別の時はツアーでと、いろいろなところに行きました。7日から2週間の間、欧州(英、仏、ギリシャ、露、ベルギー、トルコ)フィリピン、中国、インド、ネパール等に行きました。

 そこで、出合った現地の人たち、ツアーコンダクターや旅の仲間などから様々なことを教えていただきました。世界は広く、そこにはステレオタイプの人がいるのではなく、血の通った優しく穏やかで今を生きる人たちが私を迎えてくれました。普通の人が普通の暮らしをしている中でのことが尊く有難く感じました。この感覚を政治家や学者という立場にいるひとたちが知れば、もっと世の中は棲みやすくなり変わって行くのではないかというのが私が今、感じていることです。

 修士を修了した時、ある先生から言われました。

「あなたはこれから、博士論文やほかで周りの普通の人たちの声を論文に書いていく義務があるのですよ。普通の人たちが思っていること、言っていることをあなたは文章にして、世に知らしめることができる立場にあるのですから。」

感謝していること
愚鈍で怠惰な私ですが、自分で探し回らなくても、いつのまにか、周りの方々がいろいろなことを教えてくださいます。有難く感謝しております。


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ひとが救われていく課程の理解

2019/02/05 08:47
 「機の痛み」を脇に置いていないひとは優しく、温かいことを知りました。

 どうしてこんな辛いことばかりが次から次へとやってくるのだろうかと物心ついたときからずっと感じていた人生でした。楽しいときは一瞬で過ぎ去り、私の人生のほとんどが悲しくて、遣り切れないことばかりで、人生は苦しみの連続でした。

何で私ばかりこんな悲しみの疼きを真正面から受け止めてしまって、上手いこと交して避けられないのだろうか、損な生き方しかできないのだろうかといつも感じていました。周りの人たちは適当に苦悩や痛みに麻痺しているような発言を繰り返していました。私にはそれを理解できず、また、慣れっこになり理解することも嫌でした。

考え方を変えたら、楽に生きられるのかと試みましたが、「機の痛み」を脇に置くことはどうしてもできませんでした。辛い中で何を私は学んでいるのだろうかということが少しずつ、今回のトルコの旅で少し分ってきたような気がします。博士課程に転入してフィールドワークと称して、ロシアのエルミタージュ、インド、ヒロシマ、フランス、フィリピン、中国シルクロードいろいろなところに行きました。そして今回のトルコが博士課程の卒業旅行のつもりでやってきました。

 トルコツアーも今日と明日が終わると明後日は日本に帰って解散です。私はシルクロードの終着点のトルコで仏教的なものを何か見つけたいと探索しながら旅を続けていました。始めにトルコ人のガイドさんの日本人に共通する「機の痛み」を感じるアンテナを見つけました。ご家族も同じような感性を持っていることも話の端々に感じ、宗教は異なるものの、ウラルアルタイ語を話すトルコ人なら仏教を心で受取ることができるのではないかと、絹の繭の糸口を見つけたように嬉しく感じました。

 そして体調が思わしなったとき、ガイドさんや運転手さん、そして日本人ツアーの年配のみなさまのお心配りがとても身に沁みました。特に娘さんがご病気を乗り超えたお話をしたご夫婦が冗談めかして私を励ましてくださいました。さりげない温かさは、「機の痛み」に親子で真正面受け止めた経験からくることなのかときづきました。

 ささやかなことではありますが、私が直面して感じてきた「機の痛み」も、それを活かして真理との邂逅の話ができるのではないかと、新しい方向性を見つけた気がしました。ひととしての矜持、潔さ、自分を後回しにする真摯な生き方を目の当たりにする貴重な体験をさせていただきました。

感謝していること
 今までノンストップで休みなしの人生でしたが、トルコの「ハマム」で何も考えずに、苦悩もどこかに纏いながらホッと一息つく経験ができました。長いこと、父の臨終の言葉が分らず、リフレインしていました。「おまえはがんばって、がんばって、がんばってきたから・・・・・・」の続きの一つは、「たまには休んでもいいよ」だったのかもしれません。別の角度から論文が書けるかもしれません。


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法然聖人のお言葉

2019/01/12 09:48
「生けらば念仏の功つもり 死なば浄土へまいりなん とてもかくてもこの身には 思いわずらうことぞなき と思いぬれば 死生共にわずらいなし」(『法然上人行状絵図』巻第二十一)
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タイトル 日 時
凡夫そのままのお助け
「お経の中にその名号を聞くと言われたのは凡夫そのままのお助けということ」 これに対してどう受けるか? ...続きを見る

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2019/01/12 07:27
どんなに辛く苦しい目に遭っても、まだ懲りないで迷っていると感じない残念な人たち
 うそだろ、いい加減きづいたら!  目を覆うような虐待を受けながらも、虐待の主を庇う発言をする人たちって何? ...続きを見る

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2019/01/05 22:56
平成最後の新年のご挨拶
本年もよろしくお願いいたします。 ...続きを見る

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2019/01/03 21:37
如来大悲の涙
「或る日の夕方、友人が送ってくれた『法悦』という雑誌を読んでいると、白井助教授の一文がピタリと私の目にふれた。 『その疑情、ハカライ、自力の心があるために、仏の声を聞くことのできぬ私を、如来様は哀れみたもうて、一念一刹那も休む間もなく、大悲の涙を垂れたもうのである』との一文に、ぼくは参ってしまったのです。この文章を通じて生きた如来様の説法をききました。さながら剣道の達人から一気に脳天をたゝかれて、ハッキリと降参しました。これでモウ充分です。ぐったりと疲れはてゝ涙も出ない有様でした。むりな病を治せ... ...続きを見る

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2018/11/30 22:09
あげばをわすれたり
親鸞聖人の御和讃が余りにも素晴らしくて何も言葉が出て来なくなってしまったと蓮如上人はおっしゃいましたとご一代記聞書にあります。 ...続きを見る

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2018/11/03 07:19
所詮、夢幻の世と信知できたのだから、そこで快適に過ごす道を行けばいいだけ
 全てを真理に委ねて、後生はおまかせなのに、私は全力疾走を止められずにいました。ふと、全力で取り組むやり方とは異なった視座を持ち、にこやかに優雅に生きてみてもいいのではないかという考えが浮かびました。全力で遊びのない生き方は自分ばかりではなく他人も疲れるかもしれません。怠惰なことを恥じ、時間内にできるだけの用事を詰め込んでこなしてきました。しかし、これがよかったのかは、私があまり気分がよくなかったことが多かったことからも違う気がしてきました。どういうやり方をしても結局は同じなのかもしれません。 ... ...続きを見る

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2018/10/27 23:49
悲喜交々の人生を生きて
 圧倒的に辛く哀しいことばかりの人生でした。 ...続きを見る

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2018/10/17 17:41
最期にきちんと死ねることが私たちの生きる意味
 きちんと死ぬためには、きちんと死ねるようにする力のある方にまかせるしかありません。それなのに自分の力で何とかしようとするから、生きている間中苦しくて、ほとんどの人達は、きちんと死ねないで後悔する最期を迎えます。  他の事は出来るかもしれないけれど、きちんと死ぬことは絶対に人間の力では不可能だから、真理に身をまかせるしかないと教えてくれる人に出合えたならこんないいことはありません。その人自身もみをまかせて、きちんと死ねる身であるなら、共に救われたら、よろこべるようになります。だから、生きる意味... ...続きを見る

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2018/10/07 19:39
私の重い苦しみを全部背負ってくださるお方
 真理との邂逅の後、私はずっと一人ではありませんでした。常に護られていて孤独ではありません。一度だけ忘れてしまい、本気で死のうと思いました。でも、ふと、私がお願いしたわけでもないのに、自分の足で歩けない私を不憫に感じて、その私の苦しみを背負ってくださっているお方の存在を思い出し、思いとどまりました。私は重い苦しみを持って生きている、その苦しみを引き受けてくださるお方である仏さまがいらっしゃったのだと知ってたことが、人生の分かれ目でした。それからは何が起きても、どうせ私は智慧と慈悲の光明の中にいる... ...続きを見る

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2018/10/05 22:01
この世で帰る場所、死んで還る場所
 この世で帰る場所は生家でしょう。両親が他界するなど何らかの事情で帰る家がない人は本当にお気の毒です。私が死んで還る場所はお浄土です。お浄土がどういうところかはお経で書かれている以外には分かりません。行ってみたら、本当はそういうところではないかもしれません。でも全部仏さままかせなので何の心配もしていません。本当は仏さまといろいろお話ししたいところですが、還ったら、休まずすぐに、別の私が働くべき場所に赴きます。苦しんでいる人が無くならない限りお休みにならない仏さまのお手伝いの真似事をさせていただく... ...続きを見る

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2018/09/26 09:51
聴聞
「往生を全部おまかせしたお方との二人旅を命が終るまで精一杯させていただきましょう」。このような尊い御説法を聴聞させていただきました。 ...続きを見る

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2018/09/24 22:10
言葉では伝えられない・伝わらないその先のこと
 相互に受け入れる気持ちを持った者同士が、互いの言葉を以て、そのままのありのままの透明な自分を出し切って、受容し合い、共感し尽くしたところまでの話し合い、もしくは、カウンセリングすらなされることなく多くの人の人生が終わっていきます。欲や怒りや愚痴である煩悩の話ならいくらでもできますが、それは取りとめも栓もなく一時の満足をもたらす夢物語であったことをその終焉で人間は思い知らされます。 ...続きを見る

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2018/09/12 09:39
人間同士における信頼関係
 分かり合おうとしても別の業を持っているので完全にわかり合うことはできません。  歩み寄り、近づく事はできますが、それも限界があります。  親や近しい人である配偶者や恋人などが話を聞いてくれたとしても、別の人間なので完全な一致をみることはできません。訓練を積んだカウンセラーなら表面的には受け入れてもらい、自分の気持ちを理解してもらえたという気持ちになることもありますが、究極のところでは孤独を癒すことは皆無であると知らされます。 ...続きを見る

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2018/09/10 11:19
共に死すべき存在と認識し、死の解決の上、損得や上下関係を超え互いに愛おしく感じられる関係
 たぶん「黙れ!」とかいう暴言も、ストレスを晴らすどんな暴力も必要のない状況になります。  ただ生きていてくれたらいい、何もしてくれなくても、言わなくてもいいから、穏やかにこの世に存在していてくれさえすればいいだけです。その人の存在そのものをリスペクトするだけです。 ...続きを見る

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2018/09/09 20:37
眼に見えないものが大事だってわからない?
 言葉や態度で私は自身の娘や周りの人たちにどれくらいこのことを伝えて来たか分かりません。でも、目に見えないものの重要性を自分が望むようには伝わっている感覚がありません。   態度で見せても、地味であまりにも控えめで伝わらないのか、言葉も表面が行き違ってそれを修復できないままでいるのか、そこら辺がよく分かりません。物事はいのちも含めて無常で今の形の輝きをこの先、とどめません。過去に執着してもそれは終わったことです。未来は来るか来ないか分かりません。    今、真理との邂逅を果たし、全てを分... ...続きを見る

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2018/09/09 13:40
人間の誰に認められなくても真理と一緒ならそれで構わない
 創造主なんていない! ...続きを見る

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2018/09/08 19:37
ユートピアなんてどこにもない!
インドにも中国にも日本にも、ユートピアというような場所はありません。 ...続きを見る

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2018/09/08 19:27
自分の機嫌を自分で取れないなら赤ん坊からやり直せ!
 喜怒哀楽の調節ができず、突然泣き出して、誰かが慰めに回る。 ...続きを見る

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2018/09/08 11:44
上海からの蘇州号上で天の川を見ながら感じたこと
 私は自分が好きなことをして、望むように生きていく!  誰かに何か言われようと、それはその人の考え。  私は私の感じるままに、自分の道を行く。  誰にも私に指図も強制もできない。    次はどこの星で、どういう人生を送るのだろうかと一瞬思ったけれど、どこでもかまわない。別にどこにも生まれなくてもいいけれど、迷い苦しむ人がいて、助けて欲しいと願うなら、それができる光の存在でいる。 感謝していること 自分の残された命を愛おしみ生きていこうと改めて決意できました。 ...続きを見る

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2018/09/06 21:21
なぜアカデミックな近代西洋哲学やフェミニズムでは安寧・満足が得られないか
 答えは簡単です。 ...続きを見る

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2018/08/23 11:13
信心を獲るのは金魚すくいとは違うのだよ
 これだけ聞いても、何を言っているのか分かりませんよね。  ある和上がその方に言われたことだと説法で聞きました。  金魚すくいの金魚は多くの外の仲間ときたない入れ物から個人の綺麗な水槽に移し替えられます。環境が変わり、気分良く過ごせて、餌も十分に与えられ快適です。それでも金魚自体は何も変わりません。これに対して、信心を獲た人は、環境や煩悩は変わりませんが、阿弥陀仏の本願に救われたならば、生きているその場で正定聚の身になります。一息切れたら阿弥陀仏のお浄土に生まれる身に生まれ変わります。このこ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/07/29 10:51
生死を超える、転迷開悟と人間理解は目的が違う
 人間理解の先に仏教の目的である生死を超える、転迷開悟があるのではありません。人間理解は終わりがなく、限も際もありません。生死を超える、転迷開悟は今生、今、ここで成就出来ます。一度その心境に出たら、その先戻ることはありません。  そこを間違っている人が多く見受けられます。方向が違っていたら、目的地には永遠に辿りつくことはありません。 ...続きを見る

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2018/07/29 09:45
避けなければならない人たち
自分と他人を比べる人です。別の言い方をすれば劣等感の塊のような人たちです。自分を肯定できないので、自分より劣る人たちを必死で探してきて、その人たちよりも優位な自分で安心しようとします。 ...続きを見る

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2018/07/28 12:22
必ず救う
 阿弥陀佛の御心を今日の朝、聞いてまいりました。  阿弥陀佛は親のようなお方だからと、次のようなことも言われました。  「見捨てはしない」。  「甘えていいよ」。    人間の親には「必ず救う」という願いはあっても、その力はありません。   「見捨てはしない」。「甘えていいよ」。というのも自分の欲求が先に来て、それを満たせたときはじめて、我が子を見捨てず、甘えさせることができます。悲しいですが、それが現実です。 ...続きを見る

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2018/07/22 11:25
立場が違うと感じ方が正反対
 ある方がこう言われていました。 ...続きを見る

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2018/07/21 11:37
他人をコントロールしてしまう、コントロールされてしまう癖
 上下関係で生きている人たちは、このどちらかの役割を演じて生きています。 ...続きを見る

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2018/07/10 23:20
涼やかな風と、にこやかな穏やかな光の中での日々
 残り少ない自分の人生の時間を愛おしむように生きていきます。  比べず、争わず、ただ感謝していきます。  真理との邂逅の方向性を示し、磁石となり一人でも多くの人を引き付けて、故郷に還っていきます。  昨夜は、涼しい風が吹いていて、木々の葉のこすれ合う微かな音を心地よく感じながら、夜の明かりが燦々と降り注ぐ大学の構内を図書館から体育館まで歩いていました。一日も早くこの場から巣立ち、本当の意味で使命を果たそうと決意しました。 感謝していること  今できることを淡々と毎日こなしていくしかでき... ...続きを見る

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2018/07/04 09:40
無明の闇が晴れなくても平気でいられるのはなぜ?
 物心ついた時から、名前は分からなかったけれども、ほの暗い闇が心を覆い、離れることはありませんでした。それがだんだん色濃いものとなり、9年前に晴れました。その闇を持っている間は、何をしても生きた心地がしませんでした。 ...続きを見る

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2018/06/24 05:28
短気は損気
 小さい頃におばあちゃんからよく言われました。短気でいいことは何もないから、もしカッとなって怒っちゃっても、すぐに謝ったらいいんって。すぐカッとなる怒りん坊の人はまたキレられると嫌だから、周りの人が近寄らなくなるし、頼ってもらえなくなるし、表面だけの付き合いで信用してもらえなくなるから、死ぬわけではないしと気を長く持つといいということでした。 ...続きを見る

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2018/06/22 22:53
過去は済んだこと、臨終を見据えて、今を生きる
 過去のことは恩を受けたことを、どこかで誰かに返していくことだけ覚えていて、臨終に思い残すことがないように、今をしっかり生きるしかないと知らされます。  今を生きるには、自分自身が何をしたいか、したくないのかをしっかり見極め、自分を大切にし、自分がして欲しくないことは他人にしないことなのかもしれません。  嘘をつき誤魔化す自分を続けていると感覚が麻痺していきます。損得だけでひとを判断すると自分もその人たちから同じように扱われます。結局、自分のしたことが自分に戻ってきます。 ...続きを見る

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2018/06/21 04:57
人間のできることの限界を知って教えを説けるか否か
 大学院で論文を手厚く指導して頂いていますが、相互の遣り取りを通して指導して頂けるのは、投稿する本人がもうこれで完成と手放すまでです。指導する方は方向性を示してはくれますが、文章を書くのも手放す時期を決めるのも本人です。よき指導者はできるだけ無駄なことはせず、終着点を目指して方向を教えてくれます。    宗教家の役目といっても真理との邂逅ギリギリまで寄り添い励ますしかありません。 教えを説き、話を聴き心に寄り添い、話し合い、最終的に相手が自分の力を手放す気持ちになったときには、もう本人と真... ...続きを見る

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2018/06/20 09:43
今、目の前にある自身の使命を果たすしかありません
 自分にしかできないことがあります。ほかの人には絶対にできないことが。 ...続きを見る

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2018/06/18 06:32
気は抜かず、力を抜くといろいろ手放せる
 こうあらねばと何かにしがみついていると肩は凝るし、他人との壁も出来るし、いいことはほとんどありません。目の前にやって来たことを受け入れ、今、この瞬間を全力で楽しむと空気が変わります。相手に合せ、関係性を感じながら、合意点を探したらいいです。先入観や偏見があると楽しめません。損な生き方です。正しさより楽しさを基調にして生きた方が嬉しいです。    どうしたら目の前の人によろこんでもらえるだろう、そんなことを考えながらリラックスして、自分の得意なことをしていこうとしています。役に立てることもあ... ...続きを見る

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2018/06/17 11:56
ふと目が合って微笑み合う贅沢な瞬間
 ゼミや研究会の集まりの中で、興味深い意外な内容が語られた時、誰かと何気なく目が合って「そうなんですね」と無言で微笑み合うことが結構あります。同じような理解を共にしていたのだと後から感じられました。真摯な態度でその場に臨み、発言をされる方を鑑に研究を続けられることは有難いです。 ...続きを見る

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2018/06/15 19:07
心が通い合えるひとばかりならここに生まれてきた意味はなかった
 もしも、人生が思い通りで、順風満帆でスイスイと進んでいくなら、私が生まれてきた意味はなかったのかもしれません。自身の目的は果たし終えたのに、まだ生きているのは、使命が残っているからでしょう。その使命は、グダグダの状態に足を突っ込んでいたら果たせないので、巻き込まれないように、一歩引いたところから成し遂げようと決意しました。 ...続きを見る

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2018/06/15 15:02
今できることを粛々とこなす
 今生の自身の学びや使命を生きることしかないのだと知らされます。 ...続きを見る

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2018/06/09 08:09
佳きこと 気分が高揚することに目を向ける
 誰かと関わっているとき、その人が、自分の日頃、気を付けて頑張っているところを口にしてくれた時、本当に嬉しくなります。 ...続きを見る

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2018/06/08 08:40
変われることとそうでないことがあるのかも
 ロジャーズがいう「内的準拠枠」というのは広げることも可能かもしれないが、よほど尊敬できるような器の広い人と出会うか、恋人や配偶者との感覚の距離を縮めたいと決意するとか、何か強い動機がないと変る必然性がないかもしれません。 ...続きを見る

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2018/06/08 07:39
「いのち」「命」「生命」
 宗教的な表現は「いのち」がふさわしいのではないかと、大学院の医師でもある先生から言われました。確かに「命」や「生命」と漢字で書くと何か科学的、無機的な感じがします。仏教的「いのち」は三世を貫くものです。過去、現在、未来全ての「いのち」を問題にします。 ...続きを見る

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2018/06/05 17:30
人間の嫉妬とはいかに
 未だに他人を羨む気持ちがよく分かりません。 ...続きを見る

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2018/06/05 08:19
豊かさと貧しさ
 いのちを大切にしているか否かでそれは決まります。 ...続きを見る

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2018/06/04 14:58
声なき声を聞く
 声なき声を聞きました。 ...続きを見る

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2018/06/03 06:46
死後の世界、どこへ行くのか、どうなるのかが苦になるか否か
 みながみな、後生を苦にするわけではないのですね。  私は物心ついた時から、常に死のことを考え、怖れ続けていました。  人は生まれたからには必ず死にます。  遠いところに住む、知らない他人の死を見聞きしても、あまり驚きませんが、身近な肉親や友人がこの世を去るとどんなにか心が寂しくなります。そして自分もやがて、このように冷たくなって焼かれていくのだと頭では分かります。しかし、しばらくすると、生きるのに必死になり、死ぬことなどすっかり忘れてしまいます。 ...続きを見る

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2018/05/27 23:07
私も後で行くから、お浄土で待っていてね
 「疑いなく阿弥陀佛を信じたら、浄土に参ることができます」。 ...続きを見る

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2018/05/25 08:37
観念の死と現実の死の大きな違い
 我が身の後生が苦になり出してからが本当の人生です。それまでは、人生が始まっていません。肉親が不治の病に罹り、余命いくばくもないとき「私は死ぬんじゃないかしら」と聞かれた時どう応えますか?自分の命がもう残り僅かな時、同じように周りに聞いた時どう応えますか?これは人間としての問題です。理屈ではいくら考えてもわかりません。死を目の前に引き寄せて真剣に考えてみてください。どのように言って欲しいですか。そしてどのような救いを与え、与えて欲しいですか。 ...続きを見る

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2018/05/24 05:04
人間にとって唯一平等なのは必ず死ぬ存在であること
自分も必ず、絶対に死ぬときがくるのだという自覚があると、日常の些細なことはどうでもいいように感じます。どうせ臨終には何も持って行けないのです。それなら目の前にある物を十分堪能して少しでも優しい言葉を掛け合って生きようと分かってきます。 ...続きを見る

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2018/05/23 08:39
誰かが別人のようになってしまったのを感じたとき
 少し逢わない間に、すっかり別人のようになってしまう人がいます。一方で、久しぶりに逢っても全く変わらない人もいます。よいように変わるならそれは嬉しい限りです。しかし、そうでなかったとき、何だかとても悲しく残念です。職業、地位、名誉などで外観は変わるかもしれません。その人の人となりが傲慢になるのを感じたとき、遣り切れない忸怩たる思いがします。人としての真摯さ、一貫性みたいなものが永続的に続くことは難しいのでしょうか。有頂天になり、他人を見下し、粗雑に扱うようになる人を横目で見ながら、今は関わったら... ...続きを見る

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2018/05/21 14:57
今生はもう残り僅かなので、誰かと逢うなら寛ぎ癒しの空間にする
 誰かと一緒にいるときや電話で話したり、チャットをしているときは、ありのままで何も考えないでゆっくりしていたいです。誰かの問題を解決しようとも思いませんが、役に立てそうなことがあれば、こんなことを試してみたらとは言ったりしますし、時には手伝います。でも、できそうもない約束はしません。誤魔化したり、嘘もつきたくありませんから。これは自己一致でしょうか。無償のカウンセリングをしていこうとしてるみたいです。 ...続きを見る

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2018/05/20 22:54
一人でも、何がなくてもよろこべる
 誰かといなくて一人でも、自身の才能、知恵、美貌、物質的なお金や物、地位名誉、何もなくてもよろこべることが究極的な安心満足です。 ...続きを見る

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2018/05/20 15:38
それを縁というのか、波動というのかどうなんでしょう
 誰かに対して「無理」と感じるのは縁が遠のいたのか、波動が合わなくなったのかどちらなのでしょう。いづれにしても、今、引き合わないということです。「今は無理」過去は尊敬できた世話になった部分もあり、この先は分からないけど、でも今は感謝して手放す、離れる選択を取ることが適切なのだと知らされます。 ...続きを見る

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2018/05/14 13:27
数年後の理想とする暮らし
 とにかく静かに暮らしたいです。できればただいつも微笑んでいたいです。  誰かと対話して、何かを見聞きして、読んで、書いて、創造するとか分かち合うことをしていたいです。  研究やほかで悲しい人や物を見聞きしても、自分の家では、できるだけ落ち着いて自分の好きなように時間を過ごせたらと望みます。 ...続きを見る

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2018/05/13 20:14
本当に頼れるのは解決の道筋を教えてくれる人
 生死を超えることにしても、大学に受かることでも、身心の病が治ることでも、実際そういう身になれることを知っていて、どうしたらなれるかを教えてくれるひとでなければ役に立ちません。自分がなりました、できましといくら嬉しそうに語られても、一人で自慢して、よろこんでいる人は信用しません。 ...続きを見る

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2018/05/12 08:53
仮に瞑想などで人間人格最高峰を極めても、気を抜くと戻り、死の前で無効
 瞑想などで、人格が優れたものになっても、気を抜くと戻ります。 人格の最高の極みに上っても、死の前では何も役に立ちません。  なぜ、そのものズバリの死の解決をしないのでしょうか。  方法を知らないからでしょうか。  そこまで深い考えに至っていないからでしょうか。  私にはよく分かりません。 ...続きを見る

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2018/05/11 09:33
一人一人のしのぎ
 人生のいろいろな場面で起こることも、もちろんですが、生死を超えることは周りがどのようにアドバイスしても、本人がその気になって,克服しなければならないと感じた時でないと始まりません。また、ほかの誰も、私も代ってあげることはできません。助けて欲しいと言われない限り、表立って何かするとあまり良いことにならないので、蔭ながら念じて、本人に分からないように見えないところでこそっと手を差し伸べるくらいしかできません。 ...続きを見る

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2018/05/10 23:06
死後、通夜も葬儀も法事も墓もない人生って?
 最近では、葬儀が密葬、家族葬という形で行われることもあります。身内がいないと行政が火葬して共同墓地に葬られるそうです。何とも言えない気持になります。たとえ自分がお葬式に行けなくても、ほかの人たちが故人を偲ぶセレモニーをされていたなら何となく気が済みます。 ...続きを見る

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2018/05/05 22:53
人生の最期はどうしたいですか
 家族や親しいひとたちに看取られて「お浄土でまっているから、元気に仲良く暮らすように」と言って還るのが理想でしょう。それができたら自他共に今生の生を全うできたように感じられます。 ...続きを見る

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2018/05/05 09:52
生きる目的は人間関係の調和ではなく生死を超えること
 いくら仲良く元気に暮らしても、いつかは老いて死んでいきます。 ...続きを見る

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2018/05/03 23:31
丁寧に憶いを伝え合う
 「どちらが先に還っても、またいつか必ず逢えるから」と言える関係はかけがえのないものです。そんなことを口に出して、または文章ででも、あなたに遇えてよかったとの憶いを込めて言い合えるひとがいることを私はとても嬉しくてなりません。辛い環境にいなければならない、大病をして心細いようなときでも、あのひとといずれはまた遇えるということが心に安寧をもたらします。 ...続きを見る

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2018/04/29 23:20
心も身体と同様、対症療法では完治しない
 論文作成の為に文献を読み進めていくと、いろいろ知らされることがあります。  その中で、心の問題も対症療法をするカウンセラーでは解決できないということが分かりました。言い換えれば、根本的な問題である「死の解決」ができないでいるうちは、ある問題は解決できても、また、どんなにいいことを言われても、それはその場の痛み止めくらいにしかならないということです。 ...続きを見る

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2018/04/29 07:48
決めつけて恩に着せない
私は医者が苦手です。病気を診断してもらおうとも、治してもらおうともしません。死ぬ時は死にますから。たぶん、カウンセリングも必要ないです。自分以外のひとには心のうちはおそらく分らない気がします。困りごとをあるひとが決めつけて、原因が分ったようになると、恩を着せるようになりがちです。死の解決以外は本当に困っていないことに気がつきました。身心の不都合のようなものも、困ったようで困っていないので、どうでもいいのです。 ...続きを見る

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2018/04/28 23:31
言動とスピリチュアルなものを一致させる
 この人とはもうダメだと感じることがいくつかあります。 ...続きを見る

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2018/04/27 07:26
いつも温かい春のそよ風に吹かれているような気分
 次は別の道を行く。 ...続きを見る

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2018/04/27 06:07
嫌だ、止めてと告げるのは自分がスッキリするためじゃない
 もし、自分がスッキリするなら、完全にその人と縁を切ります。もう二度と関わらない決意をして決行した方が本当にスッキリします。それでも敢えて、「嫌だ、止めて」と告げるのは最後の親切かもしれません。それでも、その人の態度が改まらないのなら、その人との今生の縁はもう無いでしょう。自分に嫌なことをされるのも耐え難いですが、おそらくそれは、癖のもので、ほかでも同じことをしているか、これからもする可能性があるその相手に対して、そういうことをされると嫌だし、怖いし、止めて欲しいというだけ言ったら、その時は分か... ...続きを見る

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2018/04/15 20:42
大人のコミュ(コミュニケーション)障とか人見知りはただの言い訳
 自分のことしか考えられなくて、それでも自分に対する扱いが雑で、他人にも同じようないい加減で配慮のない対応をする人たちの言い訳です。はい、これでお終いです。 ...続きを見る

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2018/04/15 20:27
肉の奥にあるもの
 初対面でもいつも逢っているひとでもときどき、目をつぶってその人の奥にあるものを感じることにしています。肉、即ち見た目、服装のセンス、職業、財力など一旦クリアにして、そのひとの内面(魂というと何となくぴんと来ないのでスピリチュアルなところ)を感じることにしています。 ...続きを見る

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2018/04/12 08:48
私のたのしみ
 お浄土でまた有縁の方々と、お目にかかれるのが私の唯一の楽しみです。寿命はそれぞれの業のなせること、私かほかのみなさまが先か分かりませんが、また必ずあえる、このこと一つが楽しみです。本当に今生は佳きご縁を賜りました。様々な辛いこと哀しいことも、このことを思い出すだけで、すっと消えていく気がします。私は今まで大したことが出来ておらず、これからもどうなるか何が出来るか未確定ですが、共に疑いが晴れてよろこび合える方々とまた最高の場所(故郷)で再会できることは、この世のどんなことよりも嬉しいです。本当に... ...続きを見る

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2018/04/12 08:41
年齢・性別・生育環境に関係なくわかり合える信心
 少しずつ謎が解けてきました。なぜこんな簡単なことが分からないのだろうとずっと疑問でした。なので、表現方法において難しい単語や専門用語を別の一般の人が分かるような言葉に替えて書いてきました。それでも分かる人がなかなか出てこない。これは何が原因だろうかと困っていました。反対に言葉や単語を大人が共有するものにしても、ほんの一部の幼児や高校生や大学の学部生でも分かるということを確認しました。これは信心の有無や真理を求める気持ちの遠い近い(仏縁の厚薄)などに関係するのだとやっと少し納得できるようになりま... ...続きを見る

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2018/04/08 09:33
きづき・悟りなどを別の表現をすると愛(信愛・慈愛)
  三昧の世界は菩薩道と言われます。救済です。救済を言い換えると愛に行き着く気がします。教義や解釈や方法論でいがみ合い、相手を貶し、分かり合えないのは哀しいです。根底に愛のないきづき・悟りは嘘だと私には感じます。 ...続きを見る

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2018/04/06 08:53
誰かと一緒にいる意味
 何も考えないで生きていることをただ慶び味わうところにあるのではないでしょうか。父の容体が思わしくなくて看病に帰って、看取った頃からそう感じます。時に何か知識をひけらかしたりするわけではなく、たわいないことをポツリポツリと雑談をしている時間をたくさん持ちました。 ...続きを見る

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2018/04/06 08:47
何らかの死の淵を感じる状況に在るあなたへ
 病院で医療器具につながれている友だちがいます。 ...続きを見る

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2018/04/06 00:58
全く何も要りません、信じようとする心も捨ててください
 自分の力は全部間に合いません。 ...続きを見る

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2018/04/06 00:52
「何も考えずただ存在していることをよろこべる」
 ずっと死の不安を抱えて生きていました。ひとときも心が休まる時がありませんでした。誰にも自分の本当の気持ちを打ち明けることもできずにいました。これが人生なら何と苛酷なものだろうと半ば呆れめつつ、もう半分は何とかできる方法を探し続けた毎日でした。親は分からないだろうという確信がありました。大人になったとはいえ、まだ人生の途上で未熟な上に、同じ苦不安定な人生を生きているのに、私やほかの子供まで育てないとならないことがとても気の毒でした。だから親が困るようなことや手のかかることは一切しないようにしよう... ...続きを見る

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2018/03/30 08:23
誰も私を幸せにしてなくていいので、安寧の気持ちを奪わないで
 ただ存在しているだけで、そのままで、それだけで不思議で有難いので、別に何か欲しいとも、どうしてくれともいいません。 ...続きを見る

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2018/02/26 20:11
放って置いてくれないひとたち
 政治家・芸能人は特にプライバシーなど無きに等しいです。 様々なスキャンダルを記者が狙っています。お金になりますから。 芸能人はともかくとして、政治家は公僕・公人として使命を果たさなくてはならないので、せめて在職中は身辺を綺麗にして、怖い言葉を使わず、言いたくないことは微笑みでスルーするくらいしか放って置いてくれないひとたちから逃れる術は考えられません。ある種、面倒なことも仕事の内と引き受けると肚を括る覚悟がないとやっていられません。 ...続きを見る

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2018/02/20 21:58
生きてきて人生の終わりに出来ること
 旅行で介護をしているひとが参加していました。97歳のお母さんをディサービスに預けて、9日間仏跡巡りを一緒に楽しみました。15年くらい介護に専念しているようです。 お母さんは頭もしっかりしていて、感謝もするし、たまには冗談も言うし介護も普通の仕事の様だとその人は言いました。介護と言っても今まで一緒に暮らしてきた親などの生活の御手伝いをする自分の仕事だと捉えていけば違った人生を歩めるのではないかと考えさせれられました。 ...続きを見る

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2018/02/19 13:47
カウンセリングはその目的が肝要
 今、死に臨まんとしてその実存的な解決をしたい人等、例えば死刑囚や不治の病を宣告された人や家族。世間一般の人間関係や労働問題等で困って解決したい人では、カウンセリンセラーの種類が明らかに違います。一方は、宗教や思想的な観点から、他方は経験的実践的観点からのアプローチをすることが多いでしょう。とりあえず両者は、区別される問題なのです。それを一緒くたにすると問題は解決するどころか混迷を深めます。 ...続きを見る

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2018/02/18 18:34
機法二種一具の深信、「信疑決判」と味わいの差異
 疑いが晴れたのと経典やお聖教を味わえるようになるのは似て非なるものです。  またひとそれぞれお味わいが異なります。  それは教学の深い浅い、人生経験などに依ります。  そこのところをよくわかっていないと、間違った解釈をし、未消化になります。 ...続きを見る

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2018/01/30 23:47
貧病争を超えた境地
 煩悩があるままで、それがよろこびに転じ変わる「転悪成善」の境地に生きているいまここでなれると仏教では説かれます。 ...続きを見る

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2018/01/30 08:34
大切なひとを試し、サンドバックにして傷つけるモラハラ・DV
 自分を気遣い癒してくれる相手に甘えて、どんどんエスカレートしていき、調子に乗って大切なひとを自分専用のサンドバックのように扱うのがモラハラやDVです。こいつになら、何をやっても大丈夫。どこまでやれるか、どこまで受け入れてくれるか。そうやって自分専用のサンドバックのように大事な人を貶めるのです。 ...続きを見る

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2018/01/28 13:50
思考が『疑い』(執着)を生む
頭がいい、賢いなどと誰かから褒められても、所詮迷った人間レベルの話です。広大無辺の真理から鑑みると本当にちっぽけなことで、取るに足らないこと。思考することが高尚なことのように考えられていますが、それが反ってかえって、真理から遠のく原因となるのです。胎内にいる赤ん坊は考えません。両親や周りの声を聞いて、こんな家に生まれたらとんでもないことになるから、別の親を捜さないとならないという危惧など全く持たず、赤ん坊は大いなる力にすべて委ねます。ただただ、母親のへその緒から送られてくる栄養を取り入れ、... ...続きを見る

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2018/01/28 10:56
大好きなひとが心から笑っていられることを願う
 我欲の為に誰かを困らせたり泣かせることが止められないなら、所詮それまでの繋がりです。たとえどんな訳があっても、その人の心に寄り添う覚悟があるなら、相手が不快に思うようなことは慎んで止めようとします。それは自我を抑制する意思の力です。精神的に子どもだと自分が優先になり、他人を思いやることが難しいので、相手が苦しみ悩むのを見ていても、中々悪癖が止まりません。甘えや依存があるのでしょうが、大好きな人が苦しんでいるのに、それでも自分の欲望を満たすことを第一に考えるならそれは人間の心を持っている... ...続きを見る

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2018/01/27 10:44
誰かに愛されよう、認められようとする行動の結末
 相手から舐められ、蔑まされ、侮られ、憎まれます。 ...続きを見る

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2018/01/23 13:12
ひとり生まれひとり死ぬ〜真理との邂逅がない人間は孤独で寂しい〜
 「政治家や芸能人の不倫報道ばかりが目につきました」と何年か日本を離れていた人が言われました。3年ほどスペインにいた彼女にとって日本の雑誌やテレビの話題は不思議に映ったようでした。  「羨ましいんでしょ」と私がさらっというと苦笑いして納得していました。 ...続きを見る

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2018/01/20 15:29
煩悩の内にある灰汁・澱を浮かんできたら消えていく
 弥陀の本願に救われても、臨終まで煩悩は消えず、欲や怒りや愚痴などに翻弄され、苦しむことには変わりありません。それでも、煩悩即菩提に転じ変わるのは不思議で有難いです。信後、自分の気が付かない煩悩の中の灰汁・澱のようなものにお聖教や御説法そして、周りの人たちと生きていく中で知らされるのは人生の大混みなのかもしれません。凡夫というのはかくも情けなく哀れで苦しく、されど憎めない者だと自他共に知らされていく中でしか、弥陀の本願をお話しすることはできないのかもしれません。 ...続きを見る

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2018/01/20 11:54
慢心が幸せになるのを邪魔している
 同じような立場の人からはたとえ有意義なことを聞かされていても聞く耳を持てません。本来なら、たとえ幼児や赤ん坊の言葉でもそれが自身にとって大切な言葉なら真剣に耳を傾けた方がいいに決まっています。 ...続きを見る

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2018/01/19 11:51
他力のひとの温かさ
 特に女性は何とも言えない温かく柔らかく優しい感覚が周りを包み込みます。年齢を重ねるごとにその輝きは増していきます。自身の母親の年代の80以上の方々を拝見すると、仏様の生まれ変わりではないかというくらいいろいろ雑なものがこそげ落ちて、シンプルで素晴らしいお姿です。  ただフワフワしただけではなく、他力の確固とした強さをどこかに隠し持った包容力は何にも比べることは出来なくて、ついふらふらと引き寄せられてしまいます。  特に用事が無くてもそばにおりたい、それほど居心地がいいのです。  一度味を... ...続きを見る

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2018/01/15 13:04
誰かと上手くやっていくには親族・姻族も含めて、常に細心の気遣いを欠かさない
 慣れ合って相手の気になることでも好きに言い合い、だらしのない仕草を見せることにも恥じらいを感じられなくなったら、それは相手を舐めていると私には感じられます。親でも子でも関係ありません。真摯な態度でお互いが尊敬の念を持っていけなくなったらお終いです。    本当に心を許せるのは人間を超えた真理そのものだけと感じます。私はそれでいいんじゃないかと割り切っています。別に私は何もして欲しくないので、どうせなら大切で大事で大好きな人たちに気を遣いまくって残りの人生を終えていきたいです。    苦... ...続きを見る

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2018/01/15 11:44
ある種の冷たさが平和をもたらす意味〜誰かに愛を叫ぶと同時に、諍い続ける非合理性〜
 いつも感じます。私は冷たい人間だと。誰かもしくは何かの集まりに対して、無理だと感じたら、迷いなく即座に関わらない、フェィドアウトもしくはソフトランディングします。 ...続きを見る

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2018/01/15 11:19
無償・無条件の愛と条件付きの愛の違い
 前者は真理との邂逅に近いもので、後者は人間の煩悩の愛のような気がします。 ...続きを見る

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2018/01/15 10:32
あなたはこうなりたかったんですよね
 自分がそうなりたいと考えていたこと以上のことを用意していてくれる方がいたとしたらどんな気持ちでしょうか。世間のことでも、自分が願っていたことを、こうなったらいいと口に出したこともないのに何故か分ってくれていて、「さあどうぞ」とあとは自分が受取るだけにしてくれたら、嬉しくて仕方がないでしょう。 ...続きを見る

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2018/01/15 10:27
それは、ただ、「あなただから」・・・・・・
 なぜ、私が好きなのでしょうか。私と付き合っているもしくは結婚したのでしょうか?  この問いに対して、ただ他でもない「あなただから」とだけ私なら言われたいです。  複数の友だちがパートナーに尋ねたところ、いろいろな答えが返って来たそうです。 ...続きを見る

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2018/01/14 08:33
まず自分自身にきちんと向き合い、優しく幸せでいられるのが大切
 ずっとほかの誰かが幸せにしてくれるとか思ったことはありませんでした。 今も誰かに幸せにしてもらおうとは思っていません。  仏さま以外の誰かに全てうちまかせることはこの先もないでしょう。 ...続きを見る

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2018/01/09 22:48
誰かを何よりもただ愛おしんで生きる人と、自我を満たすのみが生甲斐な人は決して相容れない
 誰かを「何よりもただ愛おしい」と感じられるのは、もちろん自分を同様に受容できていることの上に成り立ちます。「自我を満たすことのみ」が生き甲斐な人は自分も他人も「何よりもただ愛おしい」と感じられた瞬間を今までも、おそらくこれからも持つことはないのでしょう。両者の関係は平行線で交わることはありません ...続きを見る

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2018/01/06 21:58
スピリチュアル+五感で十分味わう体験は一生涯いつでも何度でも甦る
 人間という入れ物を持っているから感覚として体験できることは、特権というか醍醐味でしょう。有難く不思議です。   日々やって来ることをこなすのに忙しくしていませんか。 ただ食べたり飲んだりして、余った時間に生活を維持するために働く、そんな人生を見直しませんか。衣食住を満たすための人生はとても勿体ないです。競争や諍いで人間同士威張り、傷つけ合うのも止めませんか。   今後は人生で自身にやってくる、慶ばしきこと楽しきこと憂きことも悲しきことも十分味わう生き方をしませんか。    ひとと... ...続きを見る

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2018/01/03 11:27
宗教家・教員(先生・教師)もしくは物書きの役目
 宗教家はもちろん、他のひとたちに何かを伝える立場の者は、自分の関わるひとや学生や読者の苦しみに寄り添い、苦渋のモヤモヤした気持ちを吸い取り、歓喜に変えるのが一義的存在価値だと私は理解しております。 誰かに何かを教える人や描く人は、自分が偉いのではありません。そこのところを間違ったら大変なことになります。 ...続きを見る

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2018/01/02 11:34
どうにもならない苦しみを感覚としてわかり合えるひと
 常に一緒にいられたら楽だし、過ごしやすいんだろうと感じるのは苦しかった感覚を多分同じくらい味わっていて、「そうだよね、辛かったんだよね、嫌だったんだよね」とわかり合えるひとです。年齢や職業やほかのいろいろなことはどうでも構いません。ただ、心の苦しみやそれに伴う痛みを共有できて、感性が似ているひとです。相手の気持ちが分かるから、わざと何も言わなかったり、でも気になって何かしてあげようとしたり、そんなこともお互い分かりすぎるほどわかるひと。そんなひと。 ...続きを見る

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2018/01/01 23:53
ありのまま・そのままの自分を生きる
 利己主義・自分勝手な振る舞いで、他人を傷つける生き方ではありません。 自分と他人の立場をよく考えた上で、比較衡量して出来ることとそうでないことを判別して、愚痴を言わなくて済むような言動を取ることだと私は考えています。  ...続きを見る

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2017/12/31 11:11
もしも私に羽があったら・・・・・・
 今まさに臨終が迫り、死に怯えているひとに逢いに行って、「大丈夫、心配しなくていい、そのまま救うというお約束を阿弥陀佛がなさっているから」と言い切ります。 ...続きを見る

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2017/12/24 19:39
本気の言葉は本気で受け取れる縁が熟したひとには必ず届く
 本気で言った言葉をはぐらかされ、ごまかされたとき、挫けてしまいそうなことは数え切れないほどあります。それでも、ここで縁を切ってしまうわけにはいかないと、気持ちを立て直して続けて話をしています。 ...続きを見る

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2017/12/24 19:34
生死の超越(後生の一大事の解決)から逃げず、向き合う真宗のこれから
 仏教は最終的に仏に成るところを目指し、実際仏に成れる教えです。 ...続きを見る

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2017/12/24 10:09
完結する生死の解決を知る人はほとんどいない
 宗教・カウンセリング・人的援助・社会福祉といっても死の不安を完全に払拭できる境地を指し示すことを教えるものに巡り遇うことは稀です。それに遇えたひとは人間に生まれた本当のよろこびを知ることが出来たひとです。 ...続きを見る

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2017/12/23 22:48
死の解決が人間の究極的目的
 もし、あとわずかの命だと分ったとき、人は何を思うでしょうか。 ...続きを見る

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2017/12/06 23:39
一緒に悲しみ泣いてくれるのは味わい切って乗り越えたサバイバー
 まだ克服できていないとお互いの傷を舐めあうことになります。  死と向き合に等しい心情や局面に逃げないで極限まで対峙し、乗り越えた優しく強いひとでないと、本当の意味でほかの誰かを助けられません。  自分が癒されるために、他人や周りからよいものを吸い込むのではなく、苦しみや愁嘆の声を引き受け、自分は後回しにして、よろこびや楽しみに変えて吐き出す覚悟がなければ他人は救えません。   その意味では佛さまなのですが、感じることは出来ても、姿も見えず声も聞こえません。だから誰か人間の姿を通して... ...続きを見る

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2017/11/30 11:57
私に生まれたこと、私でいられることに感謝出来ると・・・・・・
 自分以外の人や出来事に感謝していた私ですが、自分自身に感謝したことがなかったことにきが付きました。取るに足らないちっぽけな私をそのまま救ってくださった佛さまへの感謝や御恩の気持ちはずっと続いています。それでもその佛さまが大好きだ、可愛いと大切にしてくださっている私自身をそのまま受容できていなかったのです。 ...続きを見る

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2017/11/28 23:44
光明に触れ、酩酊から醒めると、徐々に煩悩が歓喜になり光輝きだす
 煩悩が光明に照らされると、懺悔となり歓喜に変わりよろこべます。 煩悩はそのままで、本当に生きている実感が持てます。 魂・精神を真理(のようなもの)に完全にわかってもらえている安堵の気持ちで満たされます。真理(のようなもの)といつも一緒なので、他人と比べて誇ることもなく、そのまま、ありのままの状態が嬉しいのです。 ...続きを見る

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2017/11/26 12:51
愛していいよ、愛されていいよで始まり終わる日々
自分に自信がなくて、余裕がなくて、器が小さくて、いろいろなものを受取ったり受け止めたりすることが怖くて、逃げてばかりいましたが、それでは自損損他になることにきづきました。 ...続きを見る

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2017/11/21 22:06
劣等感から自己防衛に走るせつなさ
 故意に他人に対して意地悪な言動をしてしまうのは自己防衛なのかも知れません。 ...続きを見る

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2017/11/20 22:46
ただ愛おしいと自分を慈しみ悲しみ合えるだれかがいること
 嬉しいとき淋しくなったとき、ふと思い出します。 ...続きを見る

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2017/11/18 23:11
慈愛の感じ方
  自分にある灰汁や心の奥底に溜まっている澱などをクリアにしたら、心地よい感覚が流れ込んできます。それが満ちてきて、溢れたらほかのひとにも知らず知らずの間に分けてあげています。   嬉しい感覚を楽しみ、味わい尽くし、周りから始めて全宇宙の隅々まで、膨らませていくことが出来ます。     何かが詰まっていると、幸せな気分を味わえないどころか、毒をまき散らすことになります。   ただこの世には光と慈愛が満ち溢れているだけなのに、粗い煩悩を持つ三次元の身体では受け取れずにいます。感情や要らぬ分... ...続きを見る

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2017/11/18 22:16
赤ちゃんと一緒だと嬉しいように
 赤ちゃんが無邪気に笑っているとその場が和みます。  ただそこにいてくれるだけで嬉しいです。  太っていようと痩せていようと容姿が整っていようとそうでなかろうと、何かが出来ても出来なくても全く構いません。  赤ちゃんも周りの人を選り好みせずに無防備に笑ってくれます。 ...続きを見る

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2017/11/17 23:59
信頼し合えている安心感
 たとえどんな言動を相手がしていようと、心の奥底で信頼し合えていたら、一挙手一投足が特に気にならなくなります。さらに、相手が自分が不幸や不利になることは絶対しないという確信があるなら、全てを佳いように解釈できます。  両親が常に我が子の身を案じ、何歳になろうと自分の子どもとして気に掛けてくれているようなこととほぼ同様に気心の知れたひとには感じることが出来ます。  そして両親から離れたところに居ても、外国に行っても、余り逢えなくても寂しくはありますが、自分の事をずっとおもっていてくれる人の存在... ...続きを見る

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2017/11/16 14:06
倫理・道徳に適合しているかなんて考えて生きてこなかったし、どうでもよかった
 自分勝手に自分の都合で生きてきたわけではありません。 ...続きを見る

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2017/11/12 12:39
一つ一つの言動に責任を持てば他人のせいにできない
 自分の言動に、常に覚悟を以て生きていたら、たとえ死のうと殺されようと構いません。 ...続きを見る

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2017/11/11 23:22
故意に意地悪をする行為をモラハラと呼ぶ
  そのままの自分をいきていた私には、幼少期のあるひとの言動を見るまで、モラハラをするひとたちの存在があることすら信じられませんでした。 ...続きを見る

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2017/11/05 10:30
布教者(実践宗教家)と信者の相違点
 利他の精神の有無もしくは、強弱です。 ...続きを見る

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2017/11/03 00:56
たぶん、やっぱりなにもいらない
 三度目のフランス、パリの2日間の一人旅。 ...続きを見る

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2017/11/02 17:44
みんなを引っ張っていくこと・後方から支えること
 臨機応変にどちらもできるといいです。 ...続きを見る

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2017/10/17 08:36
心が狭いのかもしれませんが・・・・・・
 私がイメージする真摯さとはこんな感じかもしれません。 ...続きを見る

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2017/10/15 20:47
実存のきづきは真理と本人の間こと〜代れも引き受けも出来ぬ痛み〜
 きづきの話を10年くらいしてきました。 ...続きを見る

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2017/10/12 11:23
存在していていることを本当によろこぶには
  身体・思考・心・スピリチュアルがバラバラでそれぞれが勝手にいろいろな方向に行こうとしていると苦しいです。多くのひとはこのことにきが付いていません。全てが統一感をもって満足な状態になったとき、自身の存在を肯定できよろこべます。 ...続きを見る

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2017/10/08 06:56
人間として存在する意味
 食べて飲んで日々過ごして年を取って死んでいく人生の意味を私はずっと考えてきました。そして、それが迷いから抜けることであることに何となく気がつきました。迷いから抜け出したいと本気で高校時代から考えるようになりました。 ...続きを見る

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2017/10/08 06:29
本当に何も要らない
何か欲しいものがあるかと聞かれたらそう答えます。 ...続きを見る

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2017/10/07 08:25
我が身の尊厳は常に死守する
悲しいことではありますが、生きていると暴言暴力を働かれそうになることがあります。 そんな時、いかに毅然としていられるか、これは重要な問題です。  自己肯定感というような生易しいものではなく、実存そのものをかけた戦いです。  「私はあなたからそのように粗末に扱われる存在ではない」こういう態度を貫き、言葉でも告げ、嫌なら身を引く覚悟が大切です。  暴力暴言、嘘、誤魔化しをいきなりするひととはそもそも近づきませんが、少し親しくなると、ちょっとこのひとは無理かもしれないという片鱗が見え隠れ... ...続きを見る

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2017/09/28 12:36
もう私は真理の中で十分護られてお腹一杯なので、今度は周りの人の幸せに執着していく
 もう自分を、自慢したり褒められたりすることも要りません。我を出すことももういいです。 ...続きを見る

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2017/09/24 09:20
慈愛の光の中で宝物のように扱われた記憶
 ずっとずっと想像がつかないくらい昔のこと。眩い光の中で私は形の見えない何かに頭を撫でられるような感じで大切に愛おしんでもらった記憶がずっとありました。だからいろいろ辛いことがあっても、その人にきっとまた逢えるんじゃないかって、どうしても諦めきれなくて死なずに生きて来られました。ずっと長いことかかりましたが、その方と再会することが出来てからの私の人生は安心しきってしまいました。特に何も欲しくもないのです。何だかお腹一杯でもうこれ以上入らない感じです。同様に私が今生で値えたひとと同じひとに逢いたい... ...続きを見る

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2017/09/23 23:47
「周りに火を燈して大切にする〜泥のついた本音(煩悩)を認めた上でその先〜」
 大切にしたものが残るということなのだと分かりました。 ...続きを見る

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2017/09/23 06:29
人生は苦なり
 稲垣瑞劔師の人生の文章を以下に紹介します。特にこの部分のお味わいに共感しました。「法楽」「妙楽」、のことを「この苦しい世にいて、人と共に苦しんで、苦しみつつ、佛法をひろめる、これほど楽しいことはない。これを法楽といい、妙楽と言う。こんな楽しみは、この世のものでない。」と表現され、「極楽の楽しみの影」という風に書かれていたのが妙に心に響きました。 ...続きを見る

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2017/09/21 15:42
お互いに完璧に信頼し合える人物とはなりえないならどうする?
 どんな夫婦・親子・師弟関係も絶対的な信頼関係たりえないと心底知らされたとき、本物の救いを求めます。人間の誰かが何かして助けてくれるとか、心の内を完全に分かり合えることはないのだと分かりきったとき、自分の力に頼ることは止めざるを得なくなります。誰かの為に何かをしたいと願ってもその人が望むそのものをしてあげることは叶わないし、誰かが私に私が本当にして欲しい何かをしてくれることもできないと心から知らされた時、真理との邂逅を願わざるを得ません。 ...続きを見る

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2017/09/19 06:28

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