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今、この瞬間を精一杯生きていますか?
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 日常のちょっとした嬉しい気付き、幸せになれる言葉、疑問に思っている事、色々書きますので、皆さんからも、沢山教えて頂けたら嬉しいです。☆印は主に仏教のことをかいています。関心をお持ちの方はご覧下さい。
 コメントではなく、メール(携帯はショートメールしか受信できないので出来たらパソコンにお願いします)や電話で、私と気持ちを共有したいと思われましたら、以下のアドレスに願いします。お待ちしております。
  stella.best18_@ksf.biglobe.ne.jp
携帯アドレスstella.2013.3.3_Asoftbank.ne.jp(Aを@に変えて下さい)どちらかというと、パソコンのメールを見ているときが多いです。 携帯番号 ソフトバンク 零八零四二四九三七七九(平日、午前8:15〜午前8:59 午後12時〜午後12:45)まで電源入れます。いつまで日本にいるか、生きているかわかりませんので、どうぞ、今のお声を聞かせて下さい。
 
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実に楽しそうな先生たち

2012/05/20 23:17
 私は子どもたちに学校で毎日教えている先生たちをとても尊敬しています。
 とてもまねの出来ないことだと思っています。
 時々、講演をしたり、セッションやワークショップでたまに関わるならいいのですが、さすがに毎日は疲れます。
 自分の子どもでさえ、幼稚園や小学校に行かないで、家庭で勉強をさせろといわれたら人を雇うでしょうし。
 本当に高校までのクラスや教科の担当で毎日学校で教えられている先生方には頭が下がります。

 今日も子どもが小学校に入った頃から、憧れていて、制服もおしゃれな学校のオープンキャンパスに4年ぶりくらいに行ってきました。
 子どもは親が説明を聞いている間、顕微鏡を覗いたり、とうもろこしの種を植えたり色々興味をそそられる体験授業に参加して、とても気をよくして帰ってきました。
 6月3日の駅の階段での吹奏楽の催しのことをお尋ねしたら、時間をメールで早速顧問の先生がお知らせくださいました。

 創始者の方が15歳で移民の船に乗ってアメリカの西海岸のブドウ畑で働いて、夜学に通って、帰国したのち商業学校を創設したのが学校の始まりだと初めて知りました。
 この学校がどうして留学や外国語に力を入れているのかが分かりました。
 個人面談をしてくださった理科の先生も、本当に教えるのが好きでいらっしゃるようにお見受けさせていただきました。ほかの先生方の熱意もダイレクトに伝わってきて、この学校にお任せしたいと感じました。

 海外のポーでリングスクールも縁があれば、まだ考えてはいますが、日本にいながら、楽しく佳いご縁が持てるならそれに越したことはありません。
 子どもが一番自分らしさを発揮できる場所を一緒に探してやろうと考えます。

 よかったこと
  赤い薔薇を欲しいといわた子どもの友だちに、今日開きかけた花をあげることが出来ました。
  よろこんでもらえました。
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教師の役目は評価じゃない!

2012/05/20 00:10
 教育は「教え育む」と書きます。
 少し前に、芸術や技術の科目を教師には評価できないのではないかと書きました。
 点数がつく科目でも、子どもは評価したらいけないのではないかという思いが強くなってきました。
 
 教師がその教科について評価するのでなく、到達したか否かをチェックするだけでいいのではないでしょうか。
 親も何が出来て何が出来ないのかがわかったほうが、客観的に子どもを判断できます。
 絶対評価から、相対評価へ移行したなら、もう少し頑張って、到達度チェックによる通知簿にしたら?いいのではないでしょうか?
 子どもたちを一人一人教え、育みたいなら、評価でなく到達させることを目指すのが筋ではないでしょうか?
 出来ていたら飛び級して、出来ていなかったら出来るまでしたらいいです。
 
 できるまで何年かかってもいいし、出来ていることをやらされるのは退屈ですから、学年を超えてしたらいいし。
 やっぱり、私のような考えの親には、日本での教育は難しいのかもしれません。
 
 よかったこと
  何年かぶりに友だちがお花を持って尋ねてきてくれました。
  私が丁度読みたかった本も頂戴しました。
  こういうサプライズはとても嬉しいです。  
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何で急がないの!今じゃないの!

2012/05/19 22:56
 臨終までにきがづいたらいいんじゃない?
 
 これが御仏からきづきを賜った人の言葉?
 なぜ、そんな悠長なことがいえるのでしょうか?
 自分も今と思って、必死に求めたんでしょ?
 あれがダメなら、これでいこうといろいろ試したでしょ?

 何で同じことを家族や大切な人にしてあげようと思わないの?
 何だか余裕があるよね
 冷たい感じがする
 淡白な私が冷たいって感じるんだから、なんだかな〜

 何で子どもに話さないの?
 この世で、今、御仏に救われることを
 子どもは親の言うこと聞くから、真剣に向き合ったら?
 子どもが一番幸せになることをしてあげようと思わないの?
 
 救われた人同士利害を乗り越えて、協力し合えたらいいのに
 御仏だったらどうされるか、気がついたら、いつも考えてる


 よかったこと
  ローズゼラニウムを買って、折れちゃった薔薇の根元に植えました。
  薔薇は枝の下の方から新しい枝と葉が出てきました。 
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みんなから好かれたい

2012/05/19 10:52
 みんなから好かれることは、はっきり言って無理ではないでしょうか?
 こう望んでいる人自身がみんなを好いているのでしょうか?
 好き嫌い、合う合わないがあるのが人間です。
 
 みんなでなく、たった一人の人であっても、その人がどれほど好きでいてくれるのか、いつまで好きでいてくれるのかはハッキリしません。
 これは半分は相手まかせです。
 人から好かれようとして、人の機嫌を取る人生は、相手の思惑や考え方によって生きていくことにエネルギーが消費され、自分の人生を生きている実感が持てません。
 こちらの思いで気に入られようと振舞ったとしても、相手の感じ方、気まぐれや心変わり、また寿命によってどれほど、いつまでが変わってきます。
 人に好かれようとしたら、こちらも相手が気に入るような言動を常に取り続けなくてはなりません。
 こんな人に依存する人生は窮屈で楽しくないのでは?

 それに、私自身は人に対して淡白な方で、濃厚な?好かれ方をするとうっとうしくて引いてしまいます。
 行動を束縛されたり、嫉妬されたり、人に色々なことで意見されたりすることを好みません。
 特に使命を果たすのに邪魔になる干渉は困ってしまいます。
 また好かれることが重く、煩わしく、負担になることも経験してきました。
 だから我が子にも、自分の足で立つように歩けるようになった頃から接してきました。
 助けが必要なら言ったらいいけど、ほかはお互いに自分の責任で生きるようにしています。

 一人の人でさえ、好かれるのはこんなにも大変で、考えることがたくさんあるのに、それを回りのみんなに求めたら、自分を生きられなくなります。
 何のための人生か分からなくなります。
 自分の使命を果たすため精一杯生きて、それに賛同してくれる人がいれば一緒にいったらいいし、そうでなければ一人で進んだらいいし。
 
 私は私、人は人みんなが自分が大切で、人のしていることもその人に取ったら大切なのだろうと思いやって、過度に依存せず生きていけたらいいのに。

 よかったこと
  レポートが提出できました。
 
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25年間続けて止めたこと

2012/05/18 08:00
 尊いことなのでしょうが、感覚派の私にはどうしても合わなくて止めたことがあります。
 各方面からお叱りを受けるかもしれませんが、もうこれ以上毎日しても、私にはえるものが余りないと感じました。
 御仏のお名前を口に出したり、心の中で称えることは、ずっと続けていますし、止めたことも止めようとしたこともなかった私でしたが、漢文で書かれた文字に節を付けたり、古文の手紙文を朝夕読み上げることが、どうしても身についているように思ませんでした。
 
 おつとめと言われる行為は、尊い文字を拝読できるのですが、愚鈍な私には苦痛で時間の無駄に感じられたので、止めました。
 ルーティンワークになってしまうことの方が、御仏や法を説いてくださった方をないがしろにしているような気がして、おなじ時間を御仏のお名前を称えたり、私にでも分かるような現代文を代わりに拝読するようになりました。
 それになれると、漢文も古文もあまり苦痛ではなくなりました。
 しかしながら、意味も分かろうとしないで、25年間していた漢文読みは、子どもが数学の公式をただひたすら解くこともなく写していた行為と大して変わらない気がしました。

 漢文や古文では意味が取れず感じられなかったことが、補助的手段として現代訳のものを拝読して分かるようになっていきました。
 きづきを賜った後、改めて漢文や古文を拝読すると、深く味わうことが出来ました。
 いきなり意味がわからないまま、読み解こうとする気持ちや能力もないのに続けることは私には無理だったのでした。
 いろいろなことには、段階が在るような気がします。
 個人の能力差もありますので、自転車で補助輪をつけるように、急がば回れというようなやり方をとることも時には必要なのではないでしょうか。

 よかったこと
  きのう出かける前に作って置いたポップコーンが遊びに来た子どもの友だちに好評だったそうです。
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Yes,but(はい、でも)というゲーム

2012/05/17 07:54
 助かりたい、改善したいから協力して欲しいといわれて、話を聞くときがあります。
 それでも、話していくと、次のようにな展開になることがたまにあります。
 「そうですね。でも・・・・・・」
 「はい、それでも・・・・・・」
 「おっしゃることはよくわかります、しかし・・・・・・」
 「そのとうりなのですが、ただ・・・・・・」
 
 何を言ってもこんな反応で、からかわれているのではないかと感じるときがあります。
 それでも、本人は真剣に悩んでいます。
 だから私はあえて、反対のことを言ってみるように勧めます。
 「○○は絶対やめない」
 「○○という気持ちを手放さない」
 「○○な気分にいつまでもひたっているんだから!」

 何回か気持ちを乗せて、繰り返して実際言ってもらった後、どんな気分か尋ねると
 「嫌な気分です」
 「こんな気分にずっと付きまとわれるなんて最低!」
 
 たっぷりその気分を味わうようにいいますと
 「もうたくさん、こんな気持ちは捨て去りたい!」
 「非生産的で、苦しいばかりだから止めたい」

 捨てたり止めたりしてもいいところもあるんですね。それなら、この気持ちのまま、この先、5年後の自分はどうなっているか、10年、15年はどうか想像してみるようにいうと、大抵は次のように言います。
 「5年なら耐えられるかもしれませんが、それ以上は、病気になるか、苦しくて死んでしまうでしょう。
 
 それなら「はい、でも」はやめましょうと、はじめて話に入ります。
 抵抗する気持ち、止めたくない感じが残ったまま話をしても平行線で何も進みませんし、言葉が上滑りして、心の中まで入っていきませんが、本人がきがついて決心した所からはじめます。

 いつもの相談事や沙汰を文章化したら、「TA・ゲシュタルト療法」の再決断療法と、とても似ていることに気がつきました。
 
 よかったこと
  レポートが何とか期限内に書けそうです。
 
 
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うちの子は10年で気がつきましたが・・・・・・

2012/05/16 17:52
 人生の役に立つ勉強、生活につながる学びを我が子がしていなかったことで、目の前が真っ暗になった愚かな親の私ですが、これを他山の石として欲しく存じます。
 確かに子どもが有意義な学び方をしていないことに、10年もきがつかないなんて大馬鹿者ですが、こんな例はいくらでもあります。

 企業や役所や検察、警察までも不祥事が横行しています。
 彼らはコンプライアンスを字面では学んできましたが、心に落とし込んでいませんでした。
 企業理念の看板を掲げて営業している企業の不正や誤魔化しは、お客様本位の仕事を常に確認できていなかったせいでしょう。

 私たち親子のことを滑稽な笑い話のように、他人事のように思っていらっしゃる方もあるかもしれませんが、同じ轍を踏まないようにくれぐれもご注意ください。
 ほかにも、指導者の立場でありながら、パワハラ、モラハラ、セクハラをして、部下を苦しめている人たちも、幼稚園や小学校から大学までの学びに欠陥があったので、いまハラスメントをしているのではないですか。
 利他やユーモアで周りの人の心に灯を点し、心を軽く出来るような学びを教師は、子どもたちにいつも心がけて教えていって欲しいです。
 
 よかったこと
  5月の風が心地よく頬を撫でていきます。風薫る季節になりました。
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子どもの成績は絶対評価でもなく到達度チェックで!

2012/05/16 06:54
 小学生なら家で勉強をしなくても、授業をしっかり聞いていたら、9割以上理解が出来るのではないでしょうか。
  みんなが9割出来ることに、評価は無用だと感じます。
 
 それができないのは、本人の責任ではなく、教える側に問題があると私は考えます。
 集中力が欠けるなら、板書の代わりにパワーポイントなどでレジュメを作り、ノートに貼り付けさせたらいいし、問題が解けた子どもが、分からない子どもに教えてもいいでしょう。
 ワールドカフェ方式の話し合いの時間を設けても理解は深まります。
 6年までの漢字を漢字マラソンなどの励み表で、学年を超えて先取り学習をするのもいいでしょう。

 教師が教え方を工夫したり、子どものやる気をおこしたりして、楽しい学びをリードしていったら、家庭での学習や宿題をしないでいいでしょう。
 教科書やノートは学校に置いていって、放課後は友だちと遊んだり、楽器やスポーツをしたらいいと思います。

 成績は点数での相対評価や絶対評価でなく到達度をチェックしていくものが本来の姿ではないでしょうか。
 これなら、学校が異なってもばらつきもなく、客観的に判断できますし、出来ること出来ないことがわかります。
 音楽、図工、体育、家庭科などは、感性を磨いたり、身体を鍛えたり、生活訓練だったりするので、学校では評価をすることより、たくさんの仲間たちがせっかく集まっているのですし、楽しんだり、友だちと協力して作品を創り上げたりすることに重点を置いたらいいと感じます。

 よかったこと
  赤い薔薇が綺麗に開きかけましたので、お裾分けしました。
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経典を拝読して

2012/05/15 08:59
 昨日の記事に『無量寿経』を抄出させていただきました。
 こうして落ち着いて、お経を拝読させていただくと、心が洗われるような感じがします。
 日常、様々な雑事に追われ、人間の営みのなかで起きる事件で嘆き悲しむ様子を見聞きして、何ともいえない気持ちになっているときは、お経を読ませていただいて、元気になろうと決めました。
 
 この世のどんな人間の書いた文学より深い洞察と真髄と、加えて本当の幸せになれる道を示してくださる御仏の教えに従って生きていこうと決めました。
 幼い頃より何となく感じていたことを、また、このブログの中で生活の具体例でああでもない、こうでもないと書いたことを、お経では短く的確な言葉で表現されているのを再発見させていただけて、とても嬉しいです。
 
 では、お経に書いてある通りの生き方が出来るのかといわれたら、「精進します」としかいえませんが。
 それでも、繰り返しお経を拝読して、このように生きるというイメージを深めていったら、御仏の願いに適った言動が出来るのではないでしょうか。
 混沌として理念が何も無い状態より、確固たる信念を示していただいて、そのように生きると決めて動いたら、さらに御仏との一体感が深まる気がします。
 どんなときよりも、御仏の憶いを感じ、その教えを実践している中で、ご加護をよろこべるときが、私にとって安心・満足でき、生きている醍醐味を味わえるときなのだと、経典を拝読して、改めて知らされました。

 よかったこと
  子どもが新しいクラスでも、先生やたくさんの友だちと楽しく過ごしているようです。
  子どものピアノの伴奏のお蔭で一年生に歌を届けることが出来たと、先生からもったいないお言葉を賜りました。
  たくさんの人からお褒めの言葉を頂戴したようで、子どもはとても嬉しかったようです。
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尊い方々を見習わせていただきます

2012/05/14 22:14
 無量寿仏の国に生まれた菩薩たちは、教えを説く相手に対して常に正しい法を説き述べ、仏の智慧にかなって、決して誤ることがない。
 その国土のすべてのものについて自分のものだという思いはなく、それに執着する心もない。どの国に行くのも帰るのも、進むのもとどまるのも、自分の思いにとらわれることがなく自由自在であって、何ものも疎んじることがない。
 自分と他人とに隔てがなく、人と競い争うこともない。あらゆるものに大いなる慈悲をもって利益を与えようとするのである。
 いつも柔和であり、怒りや恨みの思いを持たず、煩悩を離れた清らかな心を持ち、なまけおこたることがない。
 つまり、すべてものを平等に救おうと思い、すぐれた志、深い慈悲、乱れることのない静かな心、あるいは教えを愛し楽しみ喜ぶ心ばかりで、全ての煩悩を滅し迷いの心を離れているのである。(中略)

 こうして何ものにもさまたげられない智慧によって、人々のために法を説く。迷いの世界はみな空であり、とらわれるようなものはないと見きわめて、仏のさとりを求め、巧みな弁舌の智慧によって人々の煩悩の煩いを除くのである。
 真如の世界から現れ出た菩薩であるから、すべてのもののまことのすがたをさとっており、人々に善を積ませ悪を除かせる手だてを心得ていて、世俗の理屈を好まず、まことの道理だけを楽しむのである。
 これらの菩薩たちは、さまざまな功徳を積んで仏のさとりを敬い求め、すべては本来空であるさとり、肉体も煩悩も、迷いの因果はともに尽き、奥深い教えを聞いて疑いためらうことなく、常によく修行する。
 その大いなる慈悲は実に深くすぐれており、すべてをわけへだてることがない。
 大乗の教えをきわめて、人々をさとりの世界に至らせ、疑いの網をすべて断ち切り、智慧はその心から湧き出て、仏の教えをすべて残すことなく知り尽くしている。(中略)

 また、菩薩たちは嫉妬心を滅ぼして、人をねたむようなことがないから、ひたすら教えを求めて飽きることがなく、いつも人々のために法を説こうと思い、疲れることがない。
 太鼓を打ち旗を立てて勇ましく進むように仏法をひろめ、智慧の光を輝かせて愚かさの闇を除き、互いに敬いあい、常に法を説き、雄々しく努め励んで、志が、途中でひるむことはない。
 菩薩たちは、世を照らす灯となり、また人々のもっともすぐれた功徳のもととなる。いつも人々のために指導者となり、すべてのものに対して、等しくわけへだてをせず、ひたすら正しい法を説こうと願い、他に喜び憂えることは何もない。
 さまざまな欲望の刺を抜いて、多くの人々を心安らかにするのである。(以上本願寺出版『浄土三部経』 現代語訳より無量寿経の一部を抄出しました)

 このような心がけで、今後の残された人生を生きていく所存です。

 よかったこと
  一年生を迎える会での子どものピアノの伴奏が無事済みました。
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理念に遵法精神を!

2012/05/13 09:24
 宇宙の調和を基にした理念を体現することが一番素晴らしいと私は感じますが、同時に、たとえ時代や場所に左右される法律というものであっても、守っていったほうがいいとも感じます。
 個人の尊厳は護られなくてはなりませんが、大勢の人と暮らす中で公共の福祉という「しばり」がかかります。

 たとえ崇高な目的を掲げている宗教団体であったとしても、遵法意識はあるのが当然でしょう。
 何か歯止めがなくなると、オーム真理教のように大量殺人でさえ許されるように洗脳されます。
 最低限の「人が人を殺さない」暗黙のルールさえ乗り越えるような宗教やその他の団体は放っては置けません。

 「世の生業に勤しまん」と誠実に世のため人のため、廻りまわって自分のために仕事に励むいうことは、どんな宗教、思想、考え方を持っていても変わることのない人間の営みでしょう。
 
 「利他意識」と「笑い」を持っているのは人間だけと新聞の記事で読みました。
 確かに動物は自分の生きることで精一杯で、人に譲るとか、笑顔でほかの人を和ませることは出来ないでしょう。
 逆に言うとそれだけ苦しい境遇にいるのかもしれません。
 人間でも、日雇い労働者のたちなどが、市役所に生活保護費を支給日に長い行列を作って、我先に受取ろうとしているようです。
 たぶん「どかんか」、「ぼやぼやするな」、「はよ、つめ」というような怒涛が飛び交っているのではないでしょうか。
 振り込み費用ががかっても、口座に振り込むようにしないと、暴動でもおきかねません。
 怒鳴る人など怒っている人たちには、お金を我先に受取りたいと気持ちがはやり、そこには人を思いやり、譲る余裕も、笑いによる癒しもありません。

 怒っている人、いらいらしている人のそばにいると、こちらも共鳴を受取ってしまいます。
 だから、はさみでチョキンして切り離し、離れたところで、御仏のお名前を称えながら、その方たちの幸せを私は願うことにしています。

 理念に基づいてしていることが、人の権利を奪っていないか、尊厳をないがしろにしていないか、そこにユーモアがあって、周りを和ませているかいつも考えています。
 今ある法律は守っていこうというのは最低ラインで、それ以上に周りの人たちのお役に立てること、癒されること、和みを目指して生きています。
 赤ん坊や子どもたちの純粋な奉仕の精神を見習わせていただいています。

 よかったこと
  今日は天気がいいので、午後からつつじを見に行きます。

 
 
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誰かの幸せに貢献し、尊い行いをよろこばれたい

2012/05/12 19:59
 有難うございます。
 感謝しています。
 このように言われると、嬉しい気持ちになりますが、我が子は私に「尊敬しています」と言われて、
涙がはらはらと頬を伝いました。
 こんな嬉しい言葉は生まれて初めてだと言いました。
 人の役に立ちたい、尊い行いをして、周りの人が幸せになって欲しい、よろこんでもらいたいと、それが子どもの一番の願いだったようです。幼少の頃からそれが使命と子どもなりに思っていたようでした。

 よく赤ん坊が、我が子だけでは無く、自分がもらったものを、そのまま「どうぞ」とこちらにくれる動作を見かけました。そのままもらってしまうと、悲しい顔になるので、一度「有難うございます」と満面のよろこびの表情で受け取り、また「どうぞ、受取ってください」と返すと、本当に幸せそうな顔をしてくれます。
 与えられるばかりの赤ん坊や子どもと大人は決め付けますが、彼らも人の役に立ちたい、施したい、よろこぶ顔が見たいのでしょう。

 子どもたちは、口に出しては言いませんが、お礼をいわれるのはもちろん嬉しいでしょう。
 それ以上に、尊い存在だとか、私の子どもでいてくれて嬉しいとか、助かるとかという存在感を褒めてもらえることを、心の栄養として彼らが生きていることに、周りにいる大人のうちの一人でも気がついて、いつも尊敬の念で接してもらえる子どもも、周りを尊重するようになります。
 一人一人が大切で尊いということを、小さい頃から肌で感じられる子どもは幸せです。
 長じて文章などの理論で頭で覚えた人権感覚、つまり、どんな人も尊ばれる存在として地球より重い命を持って、生まれてきたということを実感できなければ、絵に描いた餅になってしまいます。
 反対に、小さい頃から、生まれてくれて嬉しい、あなたの志や態度がとても尊いと仏様の授かり者として、更に立派になるよう、いられるよう見護る親や周りの大人がいたら、理論よりも強くその人たちの生き方に影響を受け、自他共に幸せです。

 子どもたちと関わる機会のある人は、一度言葉にして言ってみてください。
 「私はあなたを尊敬しています。誇りに感じます」

 よかったこと
  昔お世話になった方のブログをふとしたきっかけで、拝見できました。長いことご無沙汰していましたが、成功され、日々お仕事に精進されているようで嬉しかったです。
 
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出会い系課金詐欺の誘いの文面と矛盾

2012/05/12 01:30
 Facebookにある日突然、このようなメッセージが知らない女性を名乗る人から届きました。写真もないし、つながりをみると、友達もひとりもいません。ちょっと変だと感じました。以下文章を載せます。( )の中は私の感じたことです。似たような文章なら間違いなく課金詐欺です。どこかで詐欺に引っかかる人が出ないように、注意を促す意味で、今回は手口や文章をそのまま書きます。
 もしこの手の犯罪を現在している人は、きっぱり足を洗ってください。
 これが詐欺は犯罪なのは分かっているでしょうが、「さくら」で雇われてメールのやり取りの幇助をしている人も、また犯罪者となります。
 こんなことで人を騙してお金を獲るのではなくて、反対に人の助けになることで額に汗して働いてください。


 いきなりメッセージをしてしまってごめんなさい!
   どうしてもお話したいことがあってメッセージを送りました。
   facebook内ではちょっと話づらいことなので、直接メールが出来ればと思います。(ほかの人には知られたくないじじょうでもあるのかな?)
   ooooo@ooooo.ne.jp

   突然で驚かれたとは思いますがメール待ってます!(この携帯のアドレスに連絡をするとこんなメールがきます。知り合いの知り合いが、私が本人かわからないからなのかと思ってメールをました。)

 ご連絡遅くなってすみませんでした!内容もお伝えしないままメールをお願いしてしまったので、送信した後に「こんな唐突じゃ迷惑メールと思われるかも・・・」と少し考え込んでしまっていたのでメール頂けて本当に嬉しいです!(それで?)
 実は私、芸能関係の仕事をしていて、某男性タレントのマネージャーをしています。今回突然ご連絡をさせて頂いたのは、タレント本人の希望でどうしてもあなたとお話したいと…(何で?)タレント本人は最近までテレビや取材、雑誌の特集などで忙しく、私から見ても精神的に疲れてるようで…お恥ずかしい話、私では彼をケアできなくて…ここまで心を閉ざすのは初めてなんです。

 急なお願いになりますが、彼を助けてあげてくれませんか?助けるというと語弊があるかもしれませんが、メールで普通の世間話などをして頂くだけで結構です。(身銭を切ってセラピストにかかりなよ!)
 彼と一緒にfacebookをいろいろ見てまわっていたところ、何か感じるところがあったらしく「どうしても話をしてみたいから、連絡取れるようにお願いしてもらえないかな?」と、彼が久しぶりに自発的にアクションを起こしたのです。(どうして私?)

 facebook内でお話して頂くのが一番早い方法だとは思うのですが、facebookはニックネームなどではなく実名での登録を推奨されております。(それが何?やましいことがあるの?)   ファンの方などから猛烈なアプローチをうけることとなるのを回避する為事務所からfacebookへの登録の許可が出ておりません。

 私は彼の為になんとか連絡を取る方法を考えたのですが、事務所側にばれてしまい無理でした。最後の手段として直接メッセージをお送りさせて頂いた次第で御座います。(本人が何でメールしないの?)本人のメールアドレスなどは事務所にて厳重に管理されており、(フリーメールならいくらでもアドレス取れるでしょ?)私の立場で直接アドレスを送る事だけは出来なかった為、彼がすでに利用しているSNSにて彼本人からの招待状を出させて頂く形にさせてください。(プロペードカードの携帯からメールしたらいいでしょ?お金持ってるでしょうし)
   招待状です。
   xxxxxxxxxxxxxxx (おそらく出会い系サイトでしょう

   関係者向けSNSなのでなじみが薄いかもしれませんがご安心ください。(ほぼ出会い系間違いないでしょ?)

   「彼」とは誰なのか、など気になることや彼が自発的にアクションを起こした理由など、私からお伝え出来ない気になることも多々あるかと思いますが、あとは本人と直接お話をしてやり取りをして頂ければ幸いです。(なぜ出会い系サイトを通すか?誘導目的だろう

   残念ながらこの私の携帯も事務所に管理されてしまいますので、何度もメールのやり取りをすることが出来ません。またfacebookも痕跡が事務所に見つかってしまいますので早々に退会をさせて頂くことになります。(怪しい!)人生は一期一会、彼とやり取りをして頂いたあとにまた改めてご挨拶と今回の御礼、業界のことなど色々とお話をさせて頂ければ幸いです。(お礼をくれるのでなく、反対に課金させる目的でしょ?出会い系の業界の課金詐欺の実態は絶対話せないでしょ?)…もちろん、これはタレント本人と私からの一方的なお願いになりますので、色々な事情で彼本人と連絡を取って頂くことがご無理なようであれば仕方ありません。(夢を売るタレントは一般人に愚痴を言いません。清潔なイメージが損なわれることはしません。) このままこのメールを削除してそのままにして頂ければ、こちらから連絡も致しませんしメール等も致しません。(みなさんは、絶対無視しましょう。即削除してゴミ箱にポイしましょう
 とても残念ですが、彼本人にも縁がなかったということで納得をしてもらい完全に諦めてもらうように致します。
 また、お話出来ることを願っております!


 以上のようなメールをたくさんの人に無差別に出して、かなり出回っているらしいです。
 どのような詐欺なのか、詐欺と知りつつ、お金がかかる寸前まで、私は試してみましたが、皆さんはそんな危ないことは絶対しないで下さい。
 最近、同じ文面が載っているたくさんのブログで見つけましたので、私のブログにも注意を促すために、再度書いてみました。
 フェイスブックもつながりができたり、有意義な面もありますが、このような出会い系の課金詐欺に悪用されることもあります。もし誘いが来ても、完全に無視するか、しつこい様なら、取り締まってくれるしかるべき場所に通報しましょう。人の同情や親切心を逆手にとって、詐欺を働くなどもってのほかです。

 よかったこと
  子どもにせがまれて、毎日のようにブログを読んで聞かせています。
  昨日は私が子どものことを「尊敬している」記事の内容を聞いて、何故だか涙が頬を伝っていました。
  一個の人格として、認めてもらえているようで、役に立てているようで、その上、尊敬までされ、とても嬉しかったそうです。
  お浄土から私を助けるために。御仏が授けてくださった子どもなのだから、御仏の願いをお伝えする立派な人になれるよう育てて、お浄土にお返ししないと申し訳ないと話したら、じっと黙って目を輝かせて聞いていました。 
 たまに厳しいときもあり、自分が私のやりたいことの邪魔になっているのではないかと、たまに心苦しく感じていたらしいです。
 ここで「たまに」というのがポイントです。
 根に持たない、今を生きるお手本のような素晴らしい「忘却」という特技を持っている子どもなのです。
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抜ける決意が出来た「派遣」さんは卒業していく

2012/05/11 18:56
 若い「派遣さん」たちの中には、このような生活に終止符を打ちたいと考える人もいます。
 自分で就職先を探す人も結構いるようです。
 また、一生懸命働いていたら、その会社の正社員にならないかと声を掛けられた人、大学生の「派遣さん」で、タグ付けで売っている商品が気に入って、それを扱っている会社に就職した人などもあるようです。
 結局、本人のやる気次第なのかもしれません。

 それでも、毎日同じ単純作業を立ちっぱなしで長時間続けることや、準備や移動で仕事のほかに何時間も余分に無給で拘束されるのは、いかがなものかと疑問に思います。
 人間は機械ではありません。
 立っても座っても同じ効率のものなら、座ったり(時々立ったり)してもらったらいいし、作業台も高すぎず低すぎず腰に負担がかからない様にしたらいいでしょう。
 場所を交替するなど、機械の歯車で無い仕事も織り交ぜたり、最終的にどの様な仕上がりになるか見せたり、売り上げが伸びていることなどを伝えたり、今していることが役に立っているという実感が持てることを伝えることなどを、雇用者は考えていくことが大切ではないでしょうか。

 いくらお金を払って「派遣さん」を雇っているといっても、人は人であって、機械や物ではありません。
 企業理念がしっかりしているところは、休憩も適宜取ってもらったり、「派遣さん」を物のように扱いません。
 人手が足りないところを手伝ってくれる大切な助っ人として「感謝」して、楽しく仕事が出来るような工夫が見られます。

 よかったこと
  その気になったら、「派遣さん」たちも現状を抜け出せる事例を知ることができました。
  それでも、雇用者は、「派遣さん」たちを人として大切にしてあげて欲しいです。
 

 
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輝く今、枯れ色服にさよなら

2012/05/11 08:00
 買ったり、着たりする服をチョイスするとき、その時の気持ちが反映するようです。
 薔薇の枯れた枝を見ながら、そうだ、枯れ色の服は捨てようと決めました。
 好き好んで枯れ色の服に身を包むことはないです。
 
 薄茶色、茶色がかった緑、灰色がかった緑、灰色がかった茶色は気持ちを沈ませ、やる気を奪います。
 震災の悲しみや原発を稼動させたい人たちの脅しなどで周りが不安をかき立てますが、一緒になって枯れた服を着て沈んでいることを止めましょう。

 これから、あたたかい輝くときを謳歌する私たちは、クリアな命の芽生えを感じさせる色の服を楽しみましょう。
 イギリスのエリザベス女王の写真の服は、いつも綺麗な色で濁った色はありません。
 小さい人たちが着るようなポップなベビーピンク、澄み渡った空のような水色その他、人の心を明るく元気にするような色を着て見せてくれます。
 これからは、私も煤けてくすんだ茶色っぽい服の代わりに、明るい生き生きとした色の服を着て過ごします。
 ピンクの薔薇の木の復活を願いながら。

 よかったこと
  筆跡診断と書道の先生のブログが順調に更新されています。
  「ツキを呼ぶ美しい文字」(ブログ名)に対するお考えや技術を、ネットで発表したかったようで、楽しく役に立つ記  事が満載です。「ブログはまってしまいました」との嬉しい報告も頂戴しました。
  拝見する度に、新しい気付きがあり、実際にプリントアウトして練習しています。

 
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執着が離れない、恋しいピンクの薔薇

2012/05/10 17:43
 薔薇が車に轢きづられ、根が抜けて、もう一度植えなおしましたが、どんどん木が枯れ色になってきました。
 今頃なら、例年、ピンクの大輪の花と芳しい香りを放ってくれていました。
 今年は枯れ木だけがそこにあります。
 まだもしかしたらどこかから枝を出すのではないかと、抜かずに置いています。

 となりの赤い薔薇の木には、大きな花が3輪も咲きました。
 昨年はそんなに注目していなかったのか、いつ咲いたのかも忘れていたくらいです。
 栄養がそちらの木に回ったのでしょうか?

 薔薇は人ではないのですが、交通事故で上の子どもを亡くした人の話と重なります。
 お姉ちゃんをが亡くなって、両親が落ち込んでいるのを見た妹がいったそうです。
 「私がお姉ちゃんの代わりになるから。お姉ちゃんの名前で私を呼んでもいいから、元気を出して、笑って見せて」
 亡くなった姉の代わりになることは無理だと分かっていても、何とか親を慰めようと、子どもなりに考えたその言葉に、彼女の優しさと悲しさを感じました。

 時は流れ、その子の同級生が中学、高校、成人式を迎える節目の年には、やはりあの子が生きていたら、周りの友だちと同じようになっていたのだろうかとどうしても親として感じてしまうそうです。
 それほど、人や物への喪失感は、なかなか克服できないし執着してしまいます。
 それらと出遇ったことも、さよならしたことも、全てに意味があったのだと思えたら、感謝の気持ちを持てたら、思い出は思い出として手放せて、今、あるもの生きている者に焦点を当てて暮らせるのかもしれません。
 無理に忘れようとせず、思い出してもいいのかもしれません。
 有難く感謝できるときがくるまで。

 よかったこと
  枯れたように見えた枝の下のほうから緑の小さな新芽が出ていました。
  枝になってくれたらと願っています。
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身内は濃い色眼鏡でしか見られない

2012/05/10 08:59
 医者でも身内が命に関わるような病に罹ったときは、客観的に判断できるほかの人に診断を依頼するそうです。
 同様に、教師が我が子を教えるのは甚だ困難です。
 勉強だけでなく、楽器やほかの芸事でも、自分以外の先生につける話をよく聞きました。
 
 親の期待と子どもの甘えが完全に払拭される状況を創るのは、非常に難しいです。
 だから、人生経験豊富で、人格的に優れている他人にまかせるしかありません。
 大学生やベテランの家庭教師やいわゆる有名進学塾ならお金をたくさん掛ければ、勉強のコツや裏技など、点数に直結する教え方をしてくれるでしょう。
 ただしそれで成果が出ても長い目で見たら、いかがなものかと感じて、そういうやり方を取りませんでした。
 小手先の方法なら私でも出来ますが、人から与えられ教えられたやり方ばかりを続けていると、自分で工夫することがなくなります。
 有名大学をテクニックで優秀な成績で卒業して、大成するとは思えません。
 なぜならそこには崇高な目的や理念が欠如していることが多いからです。
 基本中の基本が無いところには、不正や賄賂や公害の垂れ流しや搾取が蔓延します。
 だから我が子は、余り信頼を置けない日本の教育ではなく、高校でUWCに進学させるつもりですが、中学から海外に出した方がいいのではないかとこの頃、以前に増して考えるようになりました。

 共通一次が始まった頃大学受験をした世代の私は、このマークシートのあしきり試験が、国を危うくするだろうと予感して、現役で一度受けて、私大に進学先を変更しました。
 マークではわからない想いを論文で書いたり、面接試験を費用の安い国公立大学でしていかないと、やがて国の政策を決める助けをする素晴らしい官僚が育ちません。
 大学の教員も共通一次以降は小粒になり、大志とか教育者としての理念を持っている人には残念ですが出会えていません。大学の教師でさえこの有様なのですから、怖くて高校以下も言及できません。
 「先生」と何の疑問も無く尊敬できる人に、このような状況で、めぐり合えた人は幸せでしょう。
 幸い学校や塾や習い事の先生は、私の考えを理解してくださって、子どもを温かい目でみて下さっています。


 「人は困らないと学ばない」これが私の持論です。
 これをしなくても、別に困らない、この試験に合格しなくても構わない、この勉強が何の役に立っているのか分からないなら精一杯努力をすることはありません。
 困っていない人に、渇望していない人に、身をもって姿勢を示しても、何も学びません。
 せめて到達度テストの機会をたくさん設けて、それに向かってそのときだけでも必死に問題に取り組む姿勢や、精進したことが結果として現れる達成感を身に着けてもらうしか、今は出来ません。

 本人が心の底から、どうしても学びたいと、一人子で経済的にも周りの環境にも恵まれている状況を感謝して、一歩踏み出せるときを待ち望んでいます。
 我が子を、時にいらいらしながら、嘆きながら、なだめすかして、ただ見護る情けない親馬鹿状態を、ご自身が資格や技術を持って、ほかの人に教えている人なら経験されているでしょう。
 自分とは違う人間だと頭では理解できても、一緒に暮らしている我が子対して、欲目や期待のフィルターをすっかり取り除くことは不可能だということも。
 こういう認識の中で、子どもを持たれている先生たちも、次善の策を試行錯誤しながら模索されているのだと考えると、同じ親として、とても親しみが湧きます。
 自身の子どもで知らされる、私の今生での修行の一つなのだと、同時に楽しんでもいますが。
 また、もし来てくれなかったら、分からなかったこと、体験できなかった数々の出来事での喜怒哀楽の機会を与えれくれました。
 本当に辛いときや、お互いがきづきを賜る尊い縁になれたことに対して、授かった子どもを敬ってもいます。
 
 子どもが中学校に入る頃、私はこの世や日本にいないかもしれませんし、とにかく残された時間が限られていて、一分一秒ももったいないのです。
 お金は学びの対価なら、それが生かされているのなら、どれくらいかかっても惜しくはありません。
 どうせ、死ぬときには一円も持っていけないのですから。

よかったこと
  子どもよりほぼ先に、近いうちにお浄土にかえり、そこで子どもが後から来るのを、待つことが出来るこの身をよろこばずにはいられません。
 子どもが自分の置かれた立場、使命を自分の心の内側から分かるのは、数年後、子どもが基礎が出来たときか、私が御仏のもとに旅立つかして、何も言わなくなったときなのかもしれません。
  私に残された時間は僅かですから、言いたいこと、今生で知りえたことは、出来るだけ思い浮かんだら、すぐにその場で書き残していこう、それから時間やお金は有効に使っていこうと決めています。
 一人でも(子ども以外でも)、わかる人にはわかってもらえたらそれでいいです。
 困った状況に直面していない、体験がなく想像で表面しかみられない、長い間の親子関係の機微を知らない人にはきっとわからないし、感想は自己紹介になる、ただそれだけです。
 「あなたはそういう風に感じるのですね」としか、だから私には言えません。 
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微細に全てを説明しないと分からないの?

2012/05/09 08:58
 「お風呂に入って寝ましょう」
 このように言われたら、服を脱いでお風呂に入って、お風呂から上がって、身体を拭いて、パジャマに着替えて、寝室に行って布団に入って寝るだろうと考えます。
 「お風呂から上がって、身体を拭いて、パジャマに着替えて、寝室に行って布団に入って寝る」の部分を言わなくても、お風呂の中で寝ることはないと信じています。

 ところが、子どもたちや一部の人は、このように言うと本当にお風呂の中で寝てしまいます。
 これは極端な例ですが、似たような、考えの行き違いは、結構あるのではないでしょうか。

 半年間、子どもに公文の数学の公式を一日10ページ書き写すように言いました。
 来週試験なので、鉛筆が滑らかに動いて試験も勉強が要らないと思っていたら、全く解けません。
 何もかも忘れています。

 結局、本当にただ写しただけだったのでした。
 「写す」というのは、書いてあることを納得しながら、復習しながら写すという意味だったのですが、そんなことは言わなくても当たり前すぎるくらい当然のことと、大人である私は認識していましたが、想定外の出来事に、また寝込みそうでした。
 これだから、この子は勉強でも何でも身につかないのかと愕然としました。
 何かを学ぶということは、それを自分自身の人生に生かす目的があります。
 それをしっかり理解することで、いつか、どこかの場面で役に立てることを楽しみに、心のどこかに落とし込む作業だと、生まれたときから当然の前提としてきた私には、想定外で理解不可能でした。
 
 これと似たようなことで、漢字を1文字10回ずつ書いてくる宿題がありますが、ポイントを押さえて覚えよう、今度この漢字が出てきたとき読めるし、使ってみようという意欲がないと、ただの手の運動になり、鉛筆やノートの無駄な消費でしかなかったということになりかねないと思います。
 
 「何で納得して書き写すようにいってくれなかったの」と言われたときにはただため息が出て、自分で気付くまでほうっておこう、勝手にしたらいいのではと情けなくなりました。
 勉強はノルマではないし、何ページ、何枚終わっても、その分身につかない勉強を子どもがしていた事実は、本当に時間とお金の無駄でもったいない!

 よかったこと
  真っ赤な薔薇が咲きました。
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人を人として尊重するのは団体の役目

2012/05/08 12:58
 団体が上手くいっているかどうかはそこにいる構成員が、尊重され幸せかどうかが一つのメルクマールのようです。
 トップや上層部だけが高い収入を獲て、その他の人たちが生活苦に陥っているとしたら、何のための団体なのかと疑問符がつきます。

 それから、団体の将来や存続を考え、後継者を育てたり、構成員を教育しないとその団体は衰退して、ついには消滅してしまいます。
 ワンマン経営者が自分や同族のために起こして、3代くらいが潤って裕福な暮らしが出来たらいいという目論見のもとにあるのに、それに気がつかず、付き従って、経営者一族の犠牲になる人たちも見てきました。
 そこには未来のビジョンも構成員の教育も何も無く、待っているのは、低賃金・サービス残業と自転車操業などでした。

 経営者ならば、社員の生活をある程度満足させる義務がありますし、教育もそれぞれに応じたものを施す必要もあります。それが出来ていない会社なら、上記の個人商店の考え方くらいで留まっているのでしょう。
 経営理念に社員や社会の幸福の希求が明記の無いところは、論外ですが、文字としてはあっても、実際は正反対のことをしていたなら、そこはいわゆるブラック会社や団体でしょう。

 そこに留まるのもその人の学びなのでしょうが、そういうところだと知りながら、そこで居続けるのは、強靭な精神力と忍耐が要るので、我慢の無い私にはその学びは続けられず、離れました。

 よかったこと
  何をするにも根本的な理念や目的を確認しないと、無駄時間が過ぎたり、とんでもないことになることを、我が子の勉強の姿勢をみていて気付きました。
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血や肉になる勉強の志や理念

2012/05/08 08:58
 子どもが中学や高校の勉強まで進んでいるのに、なぜ小学校の成績が思わしくないのか心当たることがありました。
 ただ頭でしているだけで、それが生活や人間性の向上につながっていないことでした。

 物心ついたときから、勉強は生きていくためであり、楽しみであった私には想像も出来ないことでした。
 ただ紙に答えをかき写して、それを繰り返していたので、先に進むと覚えたことを忘れてしまっていたのです。
 鉛筆や紙をただ無駄にして、それ以上に時間も無駄にしていたのかと考えると、目の前が真っ暗になります。
 
 世の中には私の子どものような勉強をしている子どもたちが、ほかにもいるのではないでしょうか。
 今、している勉強が人間性を向上させるとか、生活の何かにとか、資格を取るためとか、先のことや、目的を意識してしているのとそうでないのとでは、大きな違いが出てくると思われます。
 
 ある本で読みました。
 昔、旅をしている途中で、要塞をつくっている3人のレンガ職人がに出逢いました。
 初めに出逢った職人は、私は生活のためにレンガを積んでいるといい、
 次の職人は、要塞が完成することを楽しみにその達成感が嬉しいといい、
 最後の職人は私がつくった要塞で、国が護られたり、国民の心の安定を得られ、後に要塞が必要の無い世界平和が訪れることを願っているといいました。

 見かけは同じ仕事を職人でも、志がこんなにも違っています。
 生活のためにひたすらレンガを積んでいるのは、私の子どものような気がしました。
 達成感を目的としているのは、模擬テストで学年や全国の同学年での順位のためや、志望する学校に入るための勉強のようです。
 最後の職人のような勉強を子どもたちに、きづいてもらえる学校を私は創ります。

 よかったこと
  なぜ子どもの成績がもう一つなのか、その謎の一つが解けました。これからは目的や理念を常に確認して勉強して欲しいです。
 
 
 
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いろいろなカウンセリング

2012/05/07 08:58
 人生想定外の事態が突然やってきます。
 そもそも想定外なのですから、同じような経験をしている人は、身近にはそれほどいないでしょう。
 孤軍奮闘して、ちょっと落ち着いたころ、よくよく話を聞いていくと、私もかつて同じようなことがあったと聞くことはあっても、助言が必要なとき聞けることはなかなかありません。

 たとえ、同じような出来事であったとしても、話してくれた人の解決方法がベストかどうかは疑問です。
 そうでない方法をとった方がよかったのではないかと感じることも、しばしばあります。

 仕事としてカウンセラーをされている人(産業カウンセラーや、キャリアカウンセラーなども含む)は、事例をたくさん学んだり、仕事で蓄えています。
 いろいろな選択肢を提示してくれたり、長年の勘のようなもので、こういう考え方をされるといいかもと、最適な選択肢をチョイスしてくれたりします。
 多少お金はかかりますが、身近友人や隣近所の人たちにはいえないことがいえたり、考えてもみなかった視点でのアドバイスがもらえたりします。
 
 全然面識の無い人の方が、あとくされが無くて本音が言えたり、知らない世界を教えてくれたりするメリットが、私もカウンセリングを利用していてたくさんありました。
 だから、今度は私がそのように突然想定外のことが起きた人やモラハラなどのハラスメントで身動きが取れない人のお役に立ちたいと決心しました。

 よかったこと
  連休に大学の勉強が結構はかどりました。
  新しいことを学ぶというより、今まで生活や仕事で実地にしていたことを再度、講義や教科書で言葉にしてもらっている感じです。
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働く意味

2012/05/06 22:04
 お金を獲るために、生活のために働く人もいます。
 人とのつながりを重視して、楽しく、愉快に働く人もいます。
 何か志を持って、世のため人のため、廻りまわって自分のためになると働く人もいます。

 それぞれが、それぞれの段階で学んでいるのでしょう。
 だから人の考えも変えられないし、自分も変わらなくていいでしょう。
 
 おのづと、自分の周りに集まる人も、似たような考えの人になってきます。
 あるいは、学びのために、正反対な境遇にいなければならないこともあるかもしれません。
 その場合、なぜに自分はこんなところにいないとならないのだろうと不思議で、いたたまれなかったりします。
 それでも、学びが終わるまでその場所にいなくてはならないので、結構しんどいかもしれません。

 あまり苦しかったら、ここの学びは終わったから、自分は別の処で学ぼうと決意したら、その場所やそこにいる人たちとさよならできます。
 この先、お役所に入っても、大企業に入っても、そこに一生いる人は少なくなってくるでしょう。
 覚悟のある人たちは、知らない間に起業しています。
 それほど資本が無くても、ネットや寄付などで団体を立ち上げることは可能な時代だからです。
 やる気さえあれば、代表者、社長にどんな人でもなれます。
 あとは、情報を蓄えたり、手伝ってくれる素敵な人を見つけたり、これがしたいと周りに発信するだけです。
 
 その際、根本理念をしっかり持っていないと、途中投げ出したり、方向が定まらなくて、あらぬ方向に行ってしまったり、倫理が欠如して損害賠償の責めを追うことになったりします。
 こういう志で、こういうことを、これらの人たちのためにしますと目的をしっかりさせてから、出発することは大切です。世の中の会社でも企業理念をほとんどが持っています。
 常にそこに立ち返って、仕事をしている所は、雇用主、従業員、お客様それぞれの満足度が高いです。
 レポートで某外資系ホテルの企業理念について書いていますが、とても素晴らしいです。
 縁があれば、海外のリゾート地にある素敵なホテルで、何日かちょっと長く滞在してみたいです。

 ホテルのスタッフが利用される人をよろこばせたり、紳士・淑女としてもてなすお仕事はとても素晴らしいですが、素直によろこんで受取られるお客様も徳があるように感じます。
 独身の時、ヨーロッパなどの一流ホテルで泊まったり、食事やお茶を取るために利用しましたが、日本で同じような待遇を受けられるのは少数しかなかったですが、こんなものでしょう。

 よかったこと
  平行根、二次方程式、二次関数など忘れてしまったかもと思っていましたが、問題を見ると勝手に手が動きます。  数列や微分積分もきっとやりだしたら、嵌ると思われます。
  若いとき覚えたものは、なかなか頭から抜け落ちないのかもしれません。
  小さい人は、今、しっかり勉強されると、何十年後に、子どもや孫の役に立てたり、尊敬されるかもしれません。
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パラサイトシングルの高齢化問題

2012/05/05 09:28
 成人しても親の許にいて、働いてはいても、生活費も依存して、結婚するわけでもない人たちをパラサイトシングルと呼んで、かつて話題に上がっていたのを覚えている人も多いかもしれません。
 
 その後の彼ら「パラサイトシングル」は、そのまま順調?に年をとったら、中年や老年に差し掛かっているはずです。
 親がこんな子どもを持ってしまったのだから仕方がないと、退職後も働き続けたり、年金で養ってくれている幸運な人たちもいるでしょう。
 しかしながら、親も年をとりますし、いつまでも生きてはいてくれません。
 国民年金をきちんと払っていても月額6万円(企業年金に入っていれば払った額に応じて上積みされますが)、生活保護なら12万円あたります。
 
 誰かに依存している人は、どうせもらえるのなら、生活保護の方が美味しいと思うかもしれません。
 かつての生活保護のイメージは、狭いところで、車やエアコンもなく、ひっそり贅沢を我慢しながら暮らしている感じでした。
 早くそんな状態から抜け出たいという願望や、危機感も在ったような気がします。
 実際、生活保護を受けたこともないのであくまで想像の域でしかいえませんが。

 時代が変わって、平成の今、高齢化したパラサイトシングルの親御さんが何らかの理由で、彼らを養えなくなったとき、何の躊躇いもなく、生活保護を要求するのではないかとも考えられます。
 自分や家族の生活くらいは、人の世話にならないで何とかするという考え方が、昔は主流を占めていました。
 しかしながら、長引く不況や、雇用の緩和政策による正規雇用の激減などを理由に国のせいにしている人も多くあるかもしれません。

 今一度、生きる意味、そして働く意味を、考えることの重要さを問い直すタイミングなのかもしれません。

 よかったこと
  勉強が順調にはかどっている子どものご褒美に、5皿食べるとくじが出来るお寿司を昼に食べに行きます。 
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自他の在り方への要望の違い

2012/05/04 12:33
 「先生」と呼ばれる人たちの在り方の要望の記事を書いてきましたが、誤解をなさっている方があるかもしれないので、追加で書きます。
 
 いつも人はそれぞれの学びを自分で計画して、この世に生まれてきたと書いてきました。
 それは一人一人は違うものであるし、違っていて構わないし、違っている人を見たり、感じたりすることが人間に生まれてきたことの醍醐味だとも思っています。
 
 それでも、学びの目的は幸せだということは譲れません。
 最終的な落ち着き先が、幸せにつながらない学びは、役に立たないと私は感じます。
 
 地球上で、一人で生きていける人は、無人島などで自給自足の生活をしている人くらいしかいないでしょう。
 ほかの人は毎日誰かと生活を共にして、影響しあって生きています。
 その生き方、スタンスが違うから世の中が上手くいったり、反対にそれで争いが起きます。

 それは人に対する要望と自分に対するそれの、ギャップから生まれるかのかもしれません。
 これもいつも書いていますが、それぞれの学びを妨げることは出来ないから、黙ってみているしかありません。
 精神的にも肉体的にも追い詰められている人がいても、助けて欲しいといわれない限り、本人に対して、何も出来ません。
 その人が助けを求める気になって、本を読んだり知識を求めたり、いろいろな人のブログを読む中で、私の書いたもので元気になれたらという気持ちで記事を書いてはいますが、無理やり読めとはいいませんし、無理です。
 追い詰めれられている、限界に来ていることすら感じられないで、過労のため生涯を終える人もいますが、悲しいですがそれもその人の学びなのでしょう。
 
 興味や好奇心から私は、何でも見てみよう、聞いてみよう、感じてみよう、言ってみようと間口を広げて、アンテナを立てていますが、そうでない人もいます。
 話を聞く人や子どもたちが、曲がらないように、誤解しないように背筋を伸ばして言動を気をつけているのは、宗教家や教師としての使命を大切に感じているからです。
 人に教えなくなったり、自分がしてきたことやブログなどで書いてきたことが、どう思われてもいいと開き直ったときか、精神に異常をきたして、考える力がなくなったときは、好き勝手なことをしているでしょうが。
 子どもたちと関わったり、何かを教えるときでない、自己完結して、人に迷惑を掛けない自宅などでの趣味は、何をしてもいいのではないかと私は思っています。
 いろいろな趣味や生き方はあるでしょうし、その中で学んでいるのでしょう。

 それでも、純粋で、真摯で、これから自分の学びを深めて幸せになろうとしている人(特に子どもたち)と関わる教師たちには、自分がお手本を示していって欲しい要望を書きました。
 教える人はその内容や技術だけでなく人としての在り方も、絶え間なく学び続けてく必要性を私は感じています。
 もちろん、緩さ(ユーモア)や優しさなど柔軟さも併せ持てる余裕も大切です。

 よかったこと
  時期が来ると草木も伸び、花も咲くのですね。
  去年は余り花をつけなかった赤いバラが、一斉に咲く準備をしているのを見て感じました。
  

 

 
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文字を綺麗に書ける人は努力家?

2012/05/03 19:42
 「字が綺麗な人って、コツコツ努力する人が多いよね」
 このように子どもが言いました。
 お習字の先生たちは間違いなくそんな人がなるのでしょうと思っていると、
 「あなたもそうでしょ?」と言われました。
 「字が綺麗と思ってくれるのは嬉しいけど、果たして私は努力家なのかな?」
 「バランスが取れる字が紙の上に現れるのが嬉しくて、夢中になって練習してきただけ」
 「練習は苦痛でもなくて、楽しいからずっと続けてきただけだったような感じ」
 「そうなんだ、楽しんで、練習することもあるんだ」と意外そうにしていました。
 
 「文字の練習だけじゃなくて、御仏のお話も、勉強も、運動、資格の勉強も、仕事も興味にまかせてしていたよ。きづきを賜ってからは、全部遊びの要素が加わっちゃったのは、何だかとっても不思議だよね!」
 「ブログも誰に強制されて書くわけでもなく、書きたいことが次から次へと湧いてきて書いているだけ」
 「興味のあることを、ネットや参考文献を調べることも、誰かに聞くことも、ことによったら実際その場所に潜入してルポを書くのも、体力が続いて、身の危険がなかったら苦痛でも何でもなくしてきたことを、コツコツ努力すると言われても、ちょっと違うかもしれない」
 「興味につられて、面白そうとか、見てみたい、知りたい、感じたいって思ってることを、気がついたら行動に移していただけかな」
 「それでついでに、ほかの人の心が少しでも軽くなるお手伝いが出来たらそれもよし、そうでなくてもよし」
 こんな風に適当に楽しんでいる様子を子どもに話すと

 「それって、要するに行動派のミーハーじゃない」
 このようにつぶやかれてしまいました。
 確かに当たっていかもしれません。

 よかったこと
  ガーベラが次々咲いています。苺は20粒実をつけ、赤いバラは10個の蕾がふくらみかけています。
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規範を自ら示して生きる(率先垂範)の覚悟の要る職業

2012/05/02 08:59
 倫理、道徳、法律、規範、規則このように並べると、何だか堅苦しい気がします。
 これらは、集団生活をしていくのに大切なものです。
 また、子どもたちが成長するときの道案内になります。
 案内人にフラフラされたら、彼らは路頭に迷ってしまいます。

 だから、特に子どもたちに関わる職業の人たちは自らを律して、規範を示す必要があります。
 「先生」と呼ばれる人たちが、子どもたちに対していい加減な姿を見せてはいけないと私は感じます。
 モラハラ、パワハラ、セクハラを自ら行い、自分はしないまでもそれらの行為を容認している人たちに疑問を感じます。
 「先生」(たとえ大学の教師でも)と呼ばれているからには、それに見合う言動を示すのが当たり前です。
 出来ないなら「先生」なんてさっさと辞めて、自由に生きたらいいでしょう。
 師匠業には責任が付きまといます。
 弟子の目標であり、憧れである方が、勉強でもほかの芸事でも彼らが伸びます。

 宗教家で教師の私は、在家の人間としての範囲ではありますが、ポリシーに反するハラスメント(意地悪)はわざとしないと決めています。
 また法律や規則で決まっているという理由でなく、話を聞く人や子どもたちが、おかしいと感じることや、世間の一般常識にも劣るようなことはしないように気をつけています。
 完全な人間ではなく、上手くいかないことばかりでしたが、それでも宗教家や教師を名乗る以上、不断の努力を続けています。
 開き直ったらお終いだと、常に自分に言い聞かせて、
 「世の生業に勤しまん」という人生を楽しみながら過ごしています。

 よかったこと
  今、ここで生きている、私を必要としてくれる人たちがいることに、改めて気がつきました。
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だから学者は・・・・・・(人生相談で遊ぶか?)

2012/05/01 19:57
 たまに新聞の人生相談を読むことがあります。
 実務家や学者など様々な人が答えています。
 相談者も答える人も暗黙の了解で遊んでいるのではと思われる記事を見ると、私は不快に感じます。
 お金を払って読んでいる購読者を馬鹿してないか!
 もしかしたら、本気で悩んで相談しているかもしれない人の悩み事を、回答者が相談者以外の人の受けを狙って、面白おかしく茶化したりするのは不謹慎に思えます。
 読むだけでなく質問までする人は、元気になりたい、明るくなりたい、そしてここが肝心ですが、心を軽くしたくて相談しています。
 また万が一ガチかもしれないし、そうだとしたら、崖に向かって歩いている盲目の人を止めようとはしないで、お好きなようにという無責任な回答には、どうしても納得がいきません。
 やらせかなと思っても、一応は真剣な相談だと回答者は受け止めて、相手の幸せを念じた思いやりのある、心温まる励ましの文章を載せるのが、分別のある大人の対応だと私は思います。

 相談を受けることが時々ありますが、お節介な私は、いつも最後に決めるのはあなたでしょうが、自らの行動には責任を背負っていかないとならないし、あなたの行為の陰で、誰か一人でも泣いて悲しむ人がいるなら、止めた方がいいと言ってきました。
 その学びの結果は、あなたが引き受けるのでしょうが、そのことで、とばっちりを受ける人がいることもよくよく考えて、我欲を貫く選択だけでなく、我慢して耐えることや、譲ること、黙って身を引くことなども、勇気のある行為だと必ず言っています。

 煙草は酒のように自己完結せず、副流煙で周りの人の健康を害します。
 それでも、お構いなしで喫煙する人や道にゴミをポイ捨てしたり、痰や唾を吐く人、電車で痴漢行為をする人の気持ちは、いくら考えても私には理解できません。
 自分一人くらいなら、大した迷惑にならないだろうと甘い考えで、故意に害を撒き散らす神経は分かりません。
 ほかのことで、気付かずに私も迷惑行為をしているかもしれませんが、わざとすることはしないように気をつけています。
 自分がされて嫌なことは、人にもしないと決めていますから。

 例えば、不倫と呼ばれる行為は、「肝の据わっていない小心者かつ無責任な奴」のすることだと言い放ちます。
 すっかり別れて、どちらも一人身になって付き合ったらよしと言います。
 「中途半端なことをするな、覚悟が出来てから行動したらいいし、想いはあっても、心に留める忍耐の出来ない奴は愛だ恋だと言う資格のない動物以下の最低な人間」だと書きます。
 それで人に嫌われても、離れていって、全然構わないし、ポリシーに反することは絶対言いません。
 離れていく人とは、縁がなかったのでしょう。
 受けを狙う必要もないし、読者に媚びることも、寛大な人だと思われることも書きません。
 そこまで言われても、欲にまかせて不倫する人までは止められませんが、言うだけのことは言います。
 なぜなら、お答えの内容は、私の人生そのもの、生きてきた証だからです。
 もう、残り少ない自分の人生を自分でないがしろにすることも、人からそうされることも真っ平御免です。

 正しいとか間違っているとかではなく、当事者のほかの第三者の誰かが、悲しむことを敢えて自分たちの欲のために「やってごらん」と勧める気持ちは微塵もありません。
 それに、何かやましい、引っかかる、引け目を感じるとことは、将来良くない結果を引き起こすことを予感していることが多いです。
 その予感に反して、欲にまかせた行動をするとろくなことになりませんから。

 大学の教員などで、無責任な人生相談の回答をする人は、相談者と読者みんながエンターテイメントだと割り切って娯楽のつもりで読んでいると思っているのでしょうか?
 私一人だけが、生真面目すぎるのでしょうか?
 みんなが回答を遊び気分で読み流しているなら、私の杞憂で終わっているだけなら、それはそれで構いませんが。

 よかったこと
  庭のガーベラやミントをお裾分けしたら、よろこばれました。
  ピアノの伴奏者のオーディションは結局一人しか応募がなく、子どもがすることになったらしいです。
  何だか気が抜けてしまいました。
 
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人生はゲームではなく、もっと地道なもの(足元から一歩ずつの学び)

2012/05/01 07:45
 一攫千金とか白馬に乗った王子様がいつか迎えに来るなどと空想するだけで、何もしない人は少ないでしょう。
 それでも、オセロゲームのように何らかのきっかけで、今の状況が一転するとか考えて、ギャンブルなどに嵌っている人は、人生をゲームと勘違いしていませんか?
 ゲームならそんなこともあるでしょうが、人生はもっと地道で正直です。
 またゲームでもひっくり返るような、確かな手を打つから変わるのです。
 
 ゲームなら即その場で、黒が白になりますが、人生の時間は進みがゲームのそれよりはゆっくりで、タイムラグもあり、今打った手がなかなかすぐには出てきません。
 思いがけないときに結果は出てきますし、過去世でしたことが、今出てきているかもしれません。
 過去世にした不確かな幸運の種に期待して、今の種蒔きを怠っているとどんどん苦しくなります。
 反対に今したことの収穫は、必ず、いつか目に見えて現れますので、蒔いておけば楽しみが増えます。

 目の前の一歩は自分の学びの為の貯金と思って、出来るだけ心を込めて、今日も精一杯精進してまいりましょう。

 よかったこと
  si-先生の美文字のブログが順調に更新されているようです。
  始めたばかりなのにもう二つも(「子」と「柳」の字のコツ)教えてくださっています。
  慣れないコンピューターで奮闘されているお姿を、ネット上で尊く拝察させていただいています。
  私も見習わせていただこうと元気になります。

 
 
 
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「派遣さん」と呼ばれる日雇い労働者の待遇改善を!

2012/04/30 20:06
 最近、キャリアカウンセラーと産業カウンセラーの両方の資格を持っている友だちから、「派遣さん」と呼ばれる日雇い労働者のことを聞いて、考えることがありました。
 「派遣さん」は派遣会社に登録していて、前日に翌日の仕事にいけるかどうか電話がかかるようです。
 それで内容がOKなら、どこに何時に集合で、持ち物は何でと打ち合わせをして、当日仕事に行って、日払いの場合、仕事が済んで夜7時までに、会社に取りにいけるようならその日に賃金がもらえるようなところもあり、振り込みの場合〆日と支払日が決まっているらしいです。

 仕事内容は、肉体労働の現場や、工場内の軽作業(検品、数読み、チェック、箱・袋詰め、束ねなど)やピッキングと呼ばれる発送の品揃え、値札付け(「松葉」、「小松葉」などと呼ばれるプラスチックや糸などに値札を入れて輪にする、ピストルに「もやし」というプラスチックをセットして、値札を付けるなど)ピール工場では二個一の紙のケースを折って、その中に缶ビールを挟むとか、ラインで箱を流して、入れる場所を決めて、お品を箱詰めするなど様々な仕事があるようです。

 中でも大変だと感じたものは、印刷工場の仕事で、朝の7時少し前に集合して、バスで現場まで移動して、8時半から、夜の8時半まで働いて9時半に集合場所に戻ってくる仕事でした。
 14時間半から15時間拘束され、賃金は1万円ちょっとということです。もちろん移動時間の賃金は出ません。
 ほぼ満席のマイクロバスで移動するのに、席は男女の別もなく、学生の女性が「眠るので女性の隣にして欲しい」といって、補助席を確保したところ、途中のコンビニでの買い物休憩で、みんなが降りた際、端に避けていたのに邪魔だと言われ、突き飛ばされたという酷い話も聞きました。
 隣にいた女性はもちろん、派遣会社の人間である運転手も含めて、突き飛ばした人が怖かったのか、誰も助けてくれない悲しい出発だったようです。
 
 その人はベルトコンベアーで流れてくる、10通のダイレクトメールを揃えて次に送る仕事で、筋肉が疲労して、用心のためベルトはしていても腰も痛く、続けられそうもないと思ったみたいです。
 派遣の責任者が来ていたので、朝あったことも話して、帰りのバスに乗るのが怖いので、出来たらもう帰りたいというと、最寄の駅まで、40分くらいかかるといわれて、タクシーを使うと、派遣の賃金がかなり減ってしまうので、具合が悪いから運転手の隣の席を確保してもらえたら、何とか最後まで仕事を続けようと思うと訴えたそうです。
 加えて、バスや電車の2人掛けの席で、過去に痴漢にあいそうになって逃げたことや、具合が悪いと車酔いで吐くかもしれないので、前の方の一人掛けの席でないと不安だと、ダメで元々と思って言ったらしいです。
 責任者はいつも仕事に来てくれている男性も立てないと、次の仕事に入ってもらえないし、いろいろな人と相談して考えて、仕事が終わったら、真っ先にバスの席に何か荷物を置いてきたら、席取りは早いもの順なので、誰も文句が出ないと教えてくれたようです。
 その人は体育会系だったし、とにかく今日だけは最後までどんなことがあっても耐えようと決意して、仕事時間を何とか乗り切って、速攻でバスの席も確保して、家の人に車で迎えに来てもらって、無事帰ったとのことでした。

 雇用者は働く人の環境や体調に、気を配ばる義務が法律上定められています。
 規模の大きな会社で雇われる人や正社員は十分と言えないまでも、それなりに保護されていますが、パート、アルバイト、そのまた下の「派遣」と呼ばれる人たちは、劣悪な環境で文句も言わず働いている実態があるようで、とても悲しく、何とかならないものかと考えました。
 日雇いの「派遣」の仕事のほとんどは、肉体労働や流通の末端の機械でし切れない単純作業で、中には座って出来るところもあるようですが、ほとんどが立ち仕事で、それも長時間同じ作業を続けます。
 それをしても、目の前で「有難う」といわれるわけでもなく、回り回って、誰かの役に立っている実感もなく、自身が向上するとか人間を成長させるとかそういうものが、仕事をしている人たちには感じられないようです。

 その例として、子どもが小学校に入ってから、精密部品の点検をラインでしてきて、自身のお母さんの看病で、仕事を辞めて見送った後、今度は物でなく人と関わる仕事がしたいとヘルパーの資格を取った人もいたという話も聞きました。それでも正社員で採用してもらうには、夜勤に月何回か入らないといけないとかで、なかなか就職先が見つからなくて、「派遣」をしながら探しているらしいです。
 あるとき、ふと、このままでいいのだろうかと思う人もいるし、そうでない人もいます。
 それぞれの生まれてくるときに持っていた課題がそうさせているのかもしれません。
 
 職業に貴賤はないと思いますが、若者が、何年間も「派遣」の仕事についているのは、結婚する余裕もないし、不安定だし、いかがなものかと心配してしまいます。
 それもその人の学びと言うことも出来ますが、せっかく人間に生まれてきたのなら、結婚して子どもをつくって、親になって、孫を持ってと人間としての楽しみみたいなものを経済的理由で諦めて欲しくないと思います。
 
 これは極論で、異論のある人もあるでしょうが、仕事をリタイアした人たちに、天下りで高給をもらうことを禁止して、
流通で「派遣」の人がしている仕事や、子育ての経験を生かして保育園で手伝うとか、元気な人は介護施設でお世話するとかしてもらって、若者に遣り甲斐のある仕事や経験を譲ったらいいのにとも考えます。
 もちろん、会社に雇われるのでなく、自営の人や資格を生かした仕事や、どうしてもその人でなくてはならないことが続けて、稼げるのであれば、そんな幸せなことはありませんが。
 
 私の持論でいくと、自分がそのような環境に身を置き、疑問を感じないから、その場所にいるのでしょうが。
 おそらく、女性突き飛ばした人は、そういう環境で育ったのでしょうし、単に通れないなら、どいてくれるように口で言えばいいはずです。
 会社で上司や取引先にはぺこぺこするくせに、飲食店などで横柄な態度で威張り散らす男を思い出します。
 新入りが生意気なことを言っているから、見せしめに懲らしめてやろうと思って、行動に及んだのでしょう。
 西洋では「レディファースト」が徹底していて、男性は形だけかもしれませんが、女性を先に通したり、進んで手伝うように、しつけられます。
 残念ながら、日本では自分さえよければ、お年寄りが前に来ても乗り物で席を譲ることすらせず、寝たふりをする若者もいます。

 教育でも、私立の自身の出身大学の小学校に子どもを入れる人たち(私もそうしたかったのですが、叶いませんでした)は、もしかしたら粗暴で野卑な子どもたちがいるかもしれない地域の公立の学校に入れるよりも、自分たちと同じ価値観の親の子どもたちと学ばせたいのだと思います。
 受験に失敗して、地元の小学校から高校に通い、的を掛けられていじめに遭った場合、クラスで行動するので、我慢して耐えるか、不登校になるか、転校するか、最悪自殺してしまう子どももいます。
 大学は受講科目を選んで、一人で行動できるので、そこまで辿り着けたら、何とかなりますが、小さい人たちは、大学のことを知らないので、絶望して死んでしまう子どもも出てきます。
 
 学校も大学までを何とかした乗り切っても、長く生きたとしたら、学校にいる間より、その先の仕事人生の方がとても長いのです。
 たとえ、幼稚園から大学までエスカレーター式で仲良く行っても、社会ではいろいろな人を相手に仕事をしないとなりません。
 そのときには何とかなることも否定しませんし、親のコネで入社して、同じような顔ぶれの人たちと働くような人や紹介で同じくらいの生活レベルの人と結婚して家庭に収まる人もかなりいるでしょう。
 それでも、取引先とか、出向先、患者さんやお客さんや町内会などのご近所さんは、今まで自分が属していたブルジョア的なおっとりしたグループのような人は余りいないかもしれません。

 それなら、小学生の頃から、「キャリア」教育をして自分が将来どんな仕事をしたいか、考えてもらえるサポートをしようと決めました。
 しっかりした目的をもって、今、学んでいることを将来の仕事に生かせるように勉強してもらえたら、世の中にはいろいろな人がいて、それぞれが尊厳を持っていて、暴力などのハラスメントをする人は人間の屑であり、許されないし、また「自分はぞんざいに扱われる人間ではない」と自分にも人にも宣言することを教えたら、日本はもっと住みやすい生きがいの持てる国になるのではないでしょうか。

 よかったこと
  尾木先生の本が手に入りました。尾木先生は言葉も優しいし、いつもニコニコされていて、素敵な方だと思っています。どんなことが書いてあるか楽しみです。

 
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不当に扱われることに耐えられないなら、抜け出す決意を!

2012/04/29 01:38
 なぜこんな不当に私は扱われるのだろうと思っている人がいたら、おそらくその人の自尊心が低いことが原因です。
 「わたしはこんなふうに扱われる人間ではない」
 こう思って抜け出す決意をした瞬間から、自分も周りも変わります。
 「美人の前でおならは出来ない」といわれます。
 しなやかに麗しく微笑んでいる佳人のオーラが、卑近なものを遠ざけるたとえでしょうが、確かに身も心も高貴な雰囲気を漂わせる尊い人の前では、圧倒されてしまうのかもしれません。
 
 昔、「奴隷」と呼ばれる人たちがいました、今でも、「奴隷」とはあからさまに呼ばれていないけれども、搾取され、低賃金に甘んじている人が、ここ日本にも数多くいます。
 どうしてそうなるのか、おそらく、その人たちは深くは考えていないでしょう。
 政治が悪い、不景気のせいだと社会のせいにする人もいますが、こんな貧困な政治でも、潤っている人はたくさんいます。
 頭が悪いから、病気だから、体が不自由だからとか、挙句の果てには、そのように生んだ親のせいだと、親を恨む人まで出てきます。
 私も人の親ですが、どこに、わざわざ我が子を不具合に生んで、苦しめてやろうと望む親がいるでしょうか。
 五体満足に生まれて欲しい、できれば、容姿端麗、頭脳明晰にと、欲張りな願望を抱いて対面するのを心待ちにします。
 
 生まれた後、精一杯育てても、自分の子どもが低い自尊心で、不遇な立場にあったなら、身を切るように辛く苦しいです。
 それでも、自分の人生ではないので、心の中で励ますしか、見守るしかありません。
 もっと、自分を大切に思ったらいいのに、抜け出す決意をしたらいいのにといくら思っても、本人が決意しないことには、何も変わらないし、好転しません。
 親の学びではなく、子ども本人の学びだということを知っているので、助けてくれといわれたら、一緒に抜け出すことを考えますが、求められないなら、特に成人した後なら、口出しも手出しも出来ません。
 両親が私の妹弟の境遇を心配して、慈悲の心をかけても、本人たちはそ知らぬ顔で、意地を張ったり、幸せになるのとは反対の方向に行っていても、命に関わることでないことは黙ってみているしかない辛い現実を共に悲しんでいます。
 
 このような親の悲しさ、嘆き、そして、搾取されたり、奴隷のような生活から抜けられない人たちの力になれる、キャリアカウンセラーを目指して私は、今、学んでいる最中です。
 モラハラのやるせなさも、身をもって体験しましたが、抜け出せたきっかけは、こう決意したことからでした。決意して、毅然とした態度を取ったら、不思議なことにモラハラはいつの間にか止んでいました。
 まるで通り雨のように。

 「私はこんなふうに不当に扱われるために生まれてきた訳ではない。志を遂げるためには、この状況は不適合なので抜け出す」

 よかったこと
  産業カウンセラーの受験資格で足りなかった科目をS大学の通信の科目履修で取れそうです。あとABCの範囲の2科目4単位を「交流分析」や「論理療法」の講座で学びます。
  通知がきてから、いろいろ調べて、休み明けに出願します。単位を取得して、何とか来年の初めの試験に間に合いそうです。
  
 
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パソコンの普及は生活をこんなにも変えた

2012/04/28 13:18
 今はパソコンを開くと必要な情報が簡単に手に入ります。
 以前は図書館や電話などで調べないと分からなかったことが家にいながら、誰に聞かなくても分かるようになりました。その情報が本当かどうかはまた別の問題ですが、単純に目的物の場所や電話番号など、誰が調べても同じものはとても便利にお金や時間をかけなくてもわかります。

 それ以上に、今までは、そんなものかと深く追求しなかったものの、裏事情や有名人の本音などが個人のブログなどで分かるようになり、みんな賢く騙されないようになりました。
 メディアで流される情報を鵜呑みにしていた昭和や平成の初期のように素直に受け取る人は減りつつあります。
 テレビや新聞や雑誌などで言われていることを、インターネットで多方面から調べて、考える人が増えました。

 もっと素晴らしいのは、個人が自分の意見をブログなどで簡単にお金をかけずに発信することが出来るようになったことです。
 受け取る側に留まるのでなく、自分も意見をいい、それに対する返事を聞き、またその返答をすることが、家にいながら出来ます。

 家にパソコンもなく、情報を受け取るだけだった子どもの頃には、こんな時代が来るなんて考えられませんでした。
 たくさんの情報が受け取れるのはいいことですが、その中で自分に合うものを選択する嗅覚のようなものを研ぎ澄ましていく必要性も出てきました。
 
 政治の世界も、ネットで出来るようになると、旧来の候補者は落選の憂き目を見るかもしれません。
 マニフェストや様々な情報をネットで見て投票すると、極論ですが、写真の見栄えのいい若い女性候補がたくさん当選する時代が来るかもしれません。
 それはそれで、結構なことなのかもしれません。
 金権、コネ、宣伝カー、握手、「最後のお願い」も過去の話になってしまう時代が近づいている気がします。

 よかったこと
  いろいろなことが順調に進んでいます。
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ピアノのオーデションで誰が選ばれる?

2012/04/27 08:48
 「どんな人が選ばれると思って練習してる?」と新入生歓迎会のピアノの伴奏者に選ばれたい一心で、練習に励んでいる子どもに聞いてみました。
 「上手な人かな」
 「縁のある人」
 「それも間違いじゃないけど、一番の要件は?」
 「わかんないよ」
 「聞く人に想いを届けようとしている人かな、想いは必ず音に出てくるから」
 「そんなの分かってる」
 「分かってるなら、一番初めに口から出てくるはずだけど」というと子どもは黙っていました。

 ミスのない綺麗で演奏はもちろんのこと、それが出来たら、不安と希望で胸が一杯で、毎日ドキドキして、学校に通っている一年生に、お兄さん、お姉さんとして、明るく楽しい歌を届けるための脇役の伴奏の役割を果たすのだということが分からないと、自己満足の演奏になってしまいそうなので聞いてみました。
 選ばれる、選ばれないでなく、小さい人たちのために、自分の出来ることをするという志が尊いということを知って欲しいです。

 よかったこと
  蔓薔薇のアンクルウォルターの赤がたくさん蕾をつけています。ガーベラの赤も茎を伸ばしています。苺も少しずつ色づいてきました。今年は赤が流行らしいので先取りをしている気分です。
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澤さんや宮間さんみたいな政治家がこの国には必要!

2012/04/27 00:07
 ソフトボールやサッカーが世界相手に近年、金メダルを取りました。
 ソフトのピッチャーの上野さんの活躍も鮮明に記憶に残っています。
 最近では、なでしこのキャプテンの澤さんや宮間さんの活躍に注目しています。
 お二人のことを何かで拝見すればするほど、ますます尊敬の念が深まってまいります。
 
 野球もサッカーも小学校までも男子と混じってしているようです。
 技術的に優れていないと、居場所がないし、いじめられるから、男子の何倍も努力してきていると思われます。
 初め男女混合で練習して、後に女子だけのチームに合流するので、気さくで、さわやかな方が多いようです。
 サッカーは外での試合が多いので、真っ黒に日に焼けて、ショートカットの選手の出ている試合を初めて見たときは、少年サッカーと間違えてしまうほど凛々しかったです。
 経済的にも、プロになっても、男子より年収が桁違いに少なく、苦労している選手も多いと聞きました。
 それだからかもしれませんが、女子プロの選手は、男子以上に男前です。
 サッパリ、アッサリしている上に、情に厚く、細かい気配りもできるし、とにかくリスペクトしています。
 
 サッカーは得点を入れる人も話題になりますが、アシストした人も褒められます。
 男子はシュートを決めると本人がはしゃいだり、変なダンスをしたりしますが、女子はあの人のアシストのおかげでがすんなり先に出てきて、抱き合ってよろこんだりします。
 見ていて微笑ましく、なんとなくいい感じです。
 
 サッカーのリーダーのようにみんなをまとめて、上手いこと勝利に導くアスリートのような、政治家が出てくることを願います。
 ついでにいうと、日本人だけでなく、アメリカのワンバックさんも、ものすごく男前でカッコイイ!
 世界中に素敵な女性のリーダーが溢れたら、楽に自由に自然に暮らせるのではないでしょうか。

 よかったこと
  筆跡診断の先生のブログに、やっと文字のお稽古の記事が載りました。
  ウエブリィブログのみんなのブログの読みたいブログ検索で『ツキを呼ぶ美しい文字』 si-先生 などで見られます。素敵な手書きの文字がそこにありました。パソコンはまだ慣れないようですが、美文字を後世に伝えたい憶いが伝わってきます。
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体育・美術・家庭科・音楽に「がんばろう」や「1や2」は必要?

2012/04/24 00:49
 3段階評価の「がんばろう」や5段階評価の「1や2」が国語算数理科社会や英語などのテストの点数のつかない科目に果たして必要なのかとても疑問に感じます。
 別に自慢するわけではありませんが、小学校、中学校は私の時代は相対評価でしたが、勉強の科目は普通に4や5でした。絶対評価の高校でも最低の成績はついた覚えがありません。
 体育が技術的にそんなにたいしたことがなくても、努力を要する評価はつきませんでした。
 ピアノは習っていなくても、笛をまじめに練習しましたし、歌は好きでしたし、絵も自分なりの表現をして、丁寧に仕上げました。家庭科は素早く要領よくこなしてさっさと終わらせていました。評価などきにしないで楽しんでいた記憶があります。
 
 テストでの点数で小学生は95点が「よい」で、ちょっとケアレスミスが多くて80点くらいだと「ふつう」で、70点以下は「がんばろう」というのもおかしいとは思いますが、私たちの頃よりも、簡単なのかもしれませんから、何ともいえません。
 絶対評価に移行したといっても、本当の意味の絶対評価とは程遠い気もします。
 評価は子どもたちを競わせるものではなく、励みにするものでなくてはならないと思います。
 
 相対評価でも絶対評価でもない、到達評価に移行して飛び級もありに移行したら、早く学校を終わらせて、社会に早く出てくれて、少子化の問題も解決されたり、はたらく人が増えてくれるでしょう。
 みんながみんな大学に行かなくてもいいし、技術を身につけた人は社会で実践して欲しいです。
 それでも、技術を採点するものは、生徒より10倍くらい上手な人でないと評価は出来ないというのが私の持論です。
 私自身も小学校の教員資格を持っていますが、正直言って、体育や音楽は子どもたちより上手く出来ないこともたくさんあります。
 美術や家庭科なら、いろいろ先生についてならったり、美術館巡りが趣味ですし、食育、環境、被服、調理、木工など生活に即して実践してきたので、児童に劣ることはないと自負しています。画家みたいに上手だったり、スーパーシェフのような小学生がいたら、脱帽ですが。まあ小学生と張り合うのも大人げないですが。
 
 それでも、自分が出来なくても、出来ても、人が一生懸命何かに取り組んでいるのを評価するのは、いかがなものでしょうか?
 音楽や美術は自分の感性とは違った素晴らしい芽を子どもがもっていることに、気がつかないこともたくさんあります。絵画や工作は、形は荒削りでも、センスがあったり、色つかいが抜群だったりすることもあります。
 音楽の演奏も独特の感性で演奏したり、歌ったりする子どもに「がんばろう」や「1や2」をつけるのは失礼だとも思えます。

 子どもを型にはめる様な評価をしていないつもりでも、子どもが低い評価をもらうと本人がやる気を失ったり、親も体操教室や水泳教室に通わせたり、ピアノや、デッサンに通ったり習い事がさらに増えて、家計を圧迫します。
 
 素人の私でも仮に子どもにデッサンなどは教えたら、綺麗に整って描けるでしょうが、つまんないので本人が本当に教えてくれというまで、教えたくありません。
 字もお習字の先生に左ではかけない毛筆も教えてもらっています。形はかけても、調和の取れた気持ちのいいものが書きたいと自分が思わない限り、勢いやキレや躍動感のある文字なんてかけないと思っていますから、無駄に口出ししません。

 芸術は心の底から望まないと上達しないし、本物にはなりませんし、人に感動を与えられません。
 御仏の救いをきづかせていただくことにも通じています。

 よかったこと
  今度の子どもの担任の先生は中学2年の男女の双子さんがいらっしゃるそうです。
  ご自身の子どもさんのことでも悩まれたことがおありになるかもしれません。
  子どもが伸び伸びと自然に、自由に楽しくいろいろ出来るようにお手伝いしてもらえそうです。
  いろいろ考え込んでしまって、すぐに対策を立てる私とは違った感覚で、大らかに温かく子どもを見守ってくださることを念じます。
 
 
 
 
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もったいなかった地下道

2012/04/23 20:28
 年、数会降る雪のための地下道の寄付を求められ、小額ですが払ったことを、いまだに後悔しています。
 納得のいかないことにお金を払うのは、お金を溝に捨てるような気持ちになります。
 みんなが地下道の必要性には疑問を持っていて、反対の声も多数上がりましたが、結局作られました。
 しかしながら、雪は避けられても、地下まで行くのに、スロープもない急な階段を上り下りしなくてはならず、本当に必要な人は使えませんでした。
 今から考えると、会長へのバックマージンや自転車操業ための工事だった気もします。
 生活を切り詰めて、なぜいらないものに寄付させるのか憤りを感じます。

 昨日、知事が新幹線やダムはいらないと意識の高い県民が支持してくれて、職員もそれに応えていろいろな調査をして、協力の上に廃止が決まったと聞いて、先の地下道のことを思い出しました。
 瓦礫の受け入れのことも同時に思い出しました。
 安全な宮城や岩手の瓦礫なら、何も税金で運賃をかけて運ぶより、現地に処理場を造って、雇用とお金が回るようにしたらいいのにと私は考えます。
 無駄や、無理が見えることを、アメリカ人のPCのように言論封じするのは違和感を感じます。
 政治家の親族の処理業者が絡んでいるとか、利権の話も耳にします。
 現に阪神・淡路の震災のときは皆現地で処理したのに、今度は全国各地に送料を払ってまで運んで、処理させるというのは腑に落ちません。

 もったいないという言葉や声を滋賀県民に習って、全国の人たちも言っていきましょう。

 よかったこと
  上着が要らないほど温かくなりました。
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未来政治塾第1回感想

2012/04/22 20:40
 冷たい雨が降る中、琵琶湖近くの会場目指して昼前に出かけました。
 会場の最寄の駅は膳所でしたが、大津と石山の間で快速は止まりません。
 西武とパルコ目指して10分くらい歩いたら会場に着きました。

 塾長の知事と今日の講師の田原総一朗氏の話があり、そのあと現職の滋賀の県会議員や市会議員の方などのパネルディスカッションがありました。
 あっという間に、1時から6時までの5時間が過ぎました。
 この国の政治家も官僚も自分たちのことしか考えていない人が多すぎる現実に愕然としました。
 だからといって私が立候補はしませんが、本当に市民のことを考えてくれる人を応援くらいはできるかもしれません。懇親会は都合で出ないで帰りましたが、これから先どんな人とお知り合いになれるか楽しみにしています。

 宗教家として、教師としての私の提案を実現してくれる政治家の人が見つかることを願っています。

 よかったこと
  知事と名刺交換をしました。

 
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消したい過去は単なる記録 消去ボタンより根元からはさみで裁断

2012/04/21 10:52
 今を生きている私でも、時々過去の嫌な思い出や、もう関わりを卒業した人たちが出てくることがあります。
 コンピューターの消去ボタンで消したり、宇宙に飛ばしたりしていましたが、なかなか断ち切れません。
 納豆の糸のようにしつこくつながっていました。
 ある本ではさみでチョッキンするか、消しゴムで消すか自分のイメージに合ったもので断ち切ればいいということが書いてありました。
 根元からはさみで大きな音とともに切り離してバイバイするのが、私にはスッキリ離れられそうです。
 
 一緒に居て心地よい人、元気が出る人、楽で自然でいられる人、自由にさせてくれる人とたくさんの時間を共有していくと決めました。
 そのためには自分が求めることを、人にもしていく私であることを、実践することも決めました。

 よかったこと
  炊飯器を変えてから、玄米粥が柔らかく炊けるようになりました。
 今日はねぎとラー油とすりゴマとほたての顆粒調味料を混ぜたら、中華風の美味しいものになりました。
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正義で追い込まれた逃げ場のない人はキレるしかない

2012/04/20 22:28
 誰が考えても正しいと思われることを、言われた人は反論できません。
 素直に間違っていたと思って、改める人は少ないことを今頃になって知りました。
 それほど、私は正誤に拘っていなかったのかもしれません。
 この世の中のことは、全てが相対的なことであり、絶対なんて滅多にありません。
 強いてあげるなら、御仏の願いや智慧や慈悲は本物だったと知りました。
 それ以外は、人間としての身体を持ってしている修行なので、全てが必要なものだと受け止めています。
 それから人を死に追いやったり、尊厳をないがしろにすることは絶対してはならないとう憶いはありますが。

 その修行も誰に決められたのでもなく、自分で計画して、自分で遂行していると私は感じます。
 何でこんなわけの分からない人たちと関わらないとならないのか、何でこんなことを学んでいるのだろうかと思ったこともありましたが、今から振り返ると修行や成長に必要だったのだとわかったこともたくさんあります。
 だから、人が正しい、正義だと押し付けてくることに対して、その人はそういう考えで修行していて、その人にとっては命のように大切な考え方なのだろうが、私は違う考え方をしているのだし、仕方ない、放っておこうというスタンスでした。
 
 だから、正義の人たちに対して、自らの正義を主張する必要もなく、争うこともなく、どうでもよかったので、威張ったり、大声を出したり、汚い言葉を使ったり、物を壊したりして、相手を威嚇する人たちの行動が理解できませんでした。今でも良く分かりません。
 人と比べることもなく、正義を主張することもなく、勝たなくてもいい、偉くなくてもいい、ただただ、心穏やかに笑っていられたらそれだけていいのです。

 正義は諸刃の剣です。
 安心のメルクマールになり、不安を一時的に解消し、人をやる気にもさせ、キレさせもします。
 正義を持ち出すなら、逃げ道やユーモアを併せ持ったものにすると、相手を無駄に怒らせたり、切れさせたりしなくなると思いますが、いかがでしょうか?

 よかったこと
  今日は美味しい高級チョコレートをいただきました。
 
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間接的な自己紹介

2012/04/19 08:58
 自己紹介というと、言葉で自分のことを紹介するとだけ思っている人はいませんか?
 そうではないのです。
 言葉以外でも、その人の存在そのものが、何も言わなくても、自己紹介になっているのです。
 
 にこやかな雰囲気があり、目が笑っていたらそれだけでOKです。
 反対にどうも暗い、怒っていると思われたら、ちょっと構えてしまいます。
 顔に艶があり、目が輝いていたら、何か楽しいことをしている人だと感じられます。
 老人でもないのに、艶のない顔に、歯が抜けていたりしていると、心身の病気ではないかと思います。

 それから直接自分のことを言っていなくても、話し方、言葉の選び方でその人がどんな人か、今の経済的状況や育った環境、職業などをだいたい察することが出来ます。
 これは書いている文章でもいえますが。

 いつもいつも私たちは自己紹介しながら、人と接していることを意識していると、人生が変わります。
 人にそれなりに扱って欲しい、楽に、自由に、自然にいたかったら、そういう雰囲気を自分から発するオーラで自己紹介をしましょう。

 よかったこと
  今日は1年間の積立預金の満期日です。月々もう少し上乗せした額でまた1年新たな積み立てをしてきます。
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人と人の境界

2012/04/18 21:30
 ここから先は入ってくるな!
 これは私のもの!
 この考え方が、戦争や争いいざこざを引き起こしているような気がします。

 そんなにも守りたい何かが自分にあるのでしょうか?
 自分が正しいというお墨付きをもらわないと人が攻めて来る様に感じるのでしょうか?
 それから誰かが攻めて来るという考えに基づいて、腕力で応戦したり、大声や脅かすような言葉で勝とうとする人がいることもとても悲しいし、不快です。
 それでは本当の解決にならないのに、何て短絡的な思考が横行しているのでしょうか?

 21世紀は、従来のやり方をすっかり止めて、みんなが自由で自然で楽に居られるような生き方をしていきましょう。

 よかったこと
  今日から大学の授業が始まりました。初日から順調に学習が滑り出しました。今回はその日にした分を記録していって、早め、早めに終わらせます。6月の第1回の試験で卒業を決めます。

 
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小さい人たちへ 権力を持ててもそれだけで幸せにはなれません。

2012/04/18 08:57
 親や先生や年上の人に押さえつけられている人はいませんか?
 屈辱をばねにして、何とかギリギリを生きている人はいませんか?
 怒りや妬み愚痴を糧に生きていこうとすると、自分が権力を握ったときに、人に対して自分が受けたことと同じことをしてしまいます。

 嫌な思いをさせられているなら、努力精進して自分が人の上に立ったときは、みんなが笑顔で居られるようにすると思ってください。
 途中も、心の中では、これは自分が将来、人に対してこんな目にあわせることがないようにという学習なのだと、悔しさを身を持って感じてください。

 権力があれば、幸せになれると小さいとき私も思いましたが、それは間違いだと知らされました。
 人はいつでも自分の意思で動くものです。
 子どもでも、従業員でも、国民でもそれらの人の想いを無視して、無理やり言うことを聞かせても、お互いが不幸になります。

 自然に、自由に、楽な方法で、みんなが協力していける道があるはずです。
 脅かして、人を言うことを聞かせようという人は、権力を失ったとき、人のいうことを聞かないといけないという考え方が根底にあるので、止まれないのです。
 止まってしまう石には苔が生えてしまいと思い込んでいるので、怖くて怖くて、人を大声で脅かして、無理やり押さえつけて、自分の思い通りにするのです。

 本当のリーダーのもとには、この人なら幸せの意味が分かるから、この人のいうことを聞いてみよう、やっていることをみてみようと、自主的に従う人のほうから歩み寄ります。
 それは感覚の部分が大きいのでしょうが、なんとなく緩く、懐が大きいような自由な感覚に引かれます。
 
 どうか、今日書いたことを心に留めて、小さい人は一生懸命勉強して、自分も周りも幸せになる生き方をしてください。
 水のあるところに動物を連れて行っても、のどが渇いていなければ、絶対水は飲みません。
 同様に、人間も意に反することをさせることはできません。
 表面上は従っているように見えても、心の中で苦しんでいるなら、いずれ反旗を翻すことになります。
 そのときに真っ先にやられるのは人の心を無視して、脅かして、無理やり何かをさせた権力者です。
 歴史上でもそんなたくさんの例を見てきているのに、人は反省もせず、懲りることもないのがとても不思議です。
 自分だけは死ぬまで、権力を握る続けたままで居られると勘違いしている、為政者から家庭内のモラハラ夫や妻や小さい人たちの親は、よくよく考えてみてください。

 よかったこと
  ガーベラのつぼみをたくさん見つけました。綺麗に咲いてくれるのを心待ちにしています。
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このままでいいの?

2012/04/17 08:59
 人に言われるままに、しんどくても、疲れても、我慢してしまうと乾いた枯葉のようになってしまいます。
 疲れていないのではなく、疲れすら感じられないようになります。
 ちょっと、立ち止まってみませんか。

 感じてみましょう。
 どんなことでもいいです。
 感じることを始めましょう。
 嬉しい、楽しい、気楽なだけではなく、悲しい、おかしい、疲れるといったものもOKです。
 疲れたら思い切って休みませんか?
 休んでみると疲れていた状態とそうでないものが分かります。

 散髪に行ったり、ゆっくりお風呂に入ったり、食事を味わって食べたり、花を眺めたりといった時間をとっていますか
 私たち人間は機械ではないので、心をリフレッシュする時間を一日どれくらいでもいいので意識してつくると、だんだん感覚が戻ってきます。

 よかったこと
  「人間学特講」と「現代仏教特講」の通信の学びは、漠然とこのブログで書いてきたことを、参考文献などを用いて理論立てた文章にそっくりそのままチェンジしてくれそうです。
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どうせ死ぬまでの芝居の役なら

2012/04/16 22:20
 憎しみのこもった目で人を見たり、尊厳を無視するような言動でいじめたりする人を街角や電車で見かけます。
 家の中だけでなく、外に出てまで家族をいじめる人たちは、人生が楽しいのでしょうか?
 モラハラの被害者がおどおどしたり、困ったり、悲しい顔をするのを、意地悪なほくそえむような微笑で、上から目線で見ている人たちを見て、何ともいえない嫌悪感を感じます。

 これが映画やお芝居なら、終わった後、にこやかに飲食を共にしたりするのでしょうが、現実生活でモラハラが続くと息を抜くときがありません。
 我慢のない私には耐えられません。
 どうしてそんなに、我慢強い人が多いのかとても不思議です。
 
 同じ人間なのに、事務処理能力に劣るとか、動作が鈍いとか、身だしなみに無頓着ということなどで、みんながなりたいような、高収入の仕事が出来ないのは仕方がないことだと思います。
 しかしながら、それそれが持てる力を精一杯出し切れる仕事があるはずです。
 一生懸命働いている人を小ばかにするようなことがあってはなりません。

 職場や学校ではにこやかにお互いを尊重し合っているのに、家族のモラハラに苦しんでいる人たちは、能力的には劣っていないけれど、自分のことを過小評価しているので、付け込まれます。
 自分を好きになって、自分のことをいじめる人には、そんなことをされるような筋合いはないし、悲しいから止めて欲しいと思い切って声に出してみましょう。

 我慢していると、相手の意地悪がエスカレートします。
 「辛い、悲しい、耐えられない、こんな役は降りる」
 なんでもいいので、言葉に出して表現しましょう。
 どうせ、50年か100年の間なので、自然に自由に楽しくお芝居を楽しんでいく余裕がある方が疲れません。
 
 よかったこと
  最近、出かけるときガスコンロの火を消したかどうか不安になって、子どもに電話で確かめたことがありました。
 子どもが消して、鍵を閉めて、学校に行ったことが判明してホッとしました。
  次回からは私が先に出かけるときには、元栓を締めて、子どもにも確かめさせて行こうと決めました。
 
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「絶対ダメ!」は、親には考えがあると認識させる

2012/04/15 08:16
 「〜していい?」
 「絶対ダメ!」
 我が家では、これで会話は終わります。

 なぜなら「絶対ダメ!」ということが殆どないからです。
 このフレーズが入ったら何があっても、聞いてもらえないと子どもは認識しています。
 
 よっぽどおかしなことを言ってしまったのかと自分で理由を考えて、忘れたころに言います。
 「あれは、〜だから絶対ダメだったんでしょ?」
 「そう」
 また、この一言で終わります。

 日頃から、責任のもてないことはしないようにといっています。
 動物など命のあるものは飼わないことにしています。
 なぜなら、世話をする時間もないし、餌にかかるお金を自分たちの教育の投資にしたいからです。
 確かに子どもの頃、小鳥や亀などの小動物を飼っていましたし、可愛がっていました。
 それでも世話をしていたのは母でした。 
 餌をやり、水を変え、水槽の掃除をしてくれていました。
 
 可愛いからだけで、動物は飼えません。
 日頃からいつも愛情をかけてやらないと動物に失礼ですし、動物の尊厳を奪うことになります。
 人間と同様、動物にも尊厳はあると私は感じます。
 ズボラで、怠け者で関心の薄いの飼い主に飼われた動物は不幸です。
 
 それに大抵は、人間より先に死ぬので、喪失感がたまらなくて、これが一番悲しくて、私は動物を飼いません。
 冬にコトッと籠の底で冷たくなっていたインコの姿を思い出します。
 何が悲しくて、こんなに寒いところで飼われて死んでいったのか、とても気の毒でした。
 亀も夏には餌をやると美味しそうに食べて、冬眠して、起きて次の夏を迎えるまでに死にました。
 
 子どもは動物と違いますが、死なせたらいけないのはもちろん、ほかの人や生き物の尊厳を奪ったり、死に追いやったりするような意地悪、モラハラ体質になるようなことは「絶対ダメ!」です。
 それ以外は、出来る限り要望を叶えてやってきているので、子どもは駄々をこねることは余りありません。

 よかったこと
 今年は花見にいっていないので、今日は花見とビール工場見学にこれから行ってきます。
 とても楽しみです!
 
 
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他人の尊厳をないがしろにしない!

2012/04/14 15:44
 会社員の人は、その職場の部署で毎日何時間も過ごすことになります。
 営業職などで、外回りもさせてもらえるなら、事情が違ってきますが。
 まるで、小学校から高校までのクラスの教室のようです。
 逃げ場がありません。
 
 もしも少人数の職場で、意地悪体質やモラハラ、パワハラ、セクハラをする人がいたらとてもいたたまれません。
 朝夕のラッシュや帰省時の満員電車で、おなかをこわしたり、にんにくなど臭いのきついものを食べた誰かが、おならをするより厳しいです。
 おならならやがてにおいも消えますが、底意地の悪いオーラは持続されますのでかないません。
 1日中そんな人と一緒の部屋で、それが相手や自分の所属が変わるまでずっと、続くのは拷問のような感じです。
 ましてや中小企業なら、配置換えもありませんので、辞めるしか手段がないこともあります。
 
 社長など代表者が意地悪なら、その会社は意地悪色の茶色いオーラで包まれていますから、変わりようがありませんが、会社自体はまともな場合は救いがあります。
 意地悪、睨む、怒鳴る、女性に触ったりいやらしいことを言う人を許さない、毅然とした態度を取りましょう。
 
 「それは意地悪と違いますか?」
 「そんなに睨まれたり、怒鳴られたりすると、私は気が弱いので、怖くて、動悸がして倒れそうです」
 「自分の奥さん以外の人に触るとセクハラでアウトですよ!」
 「そんな下ネタは、受けるどころか、聞いていて、気持ちのいいものではないですから、止めて下さい」
 何人かで話し合って、行動を起こしてみましょう。

 多分、人から言われることで、自分の行為は迷惑行為と自覚するでしょうし、効果は確実にあります。
 直らなかったら、別の手段に出ましょう。
 とにかく、ハラスメントは人間として最低の行為「屑」なのだと本人に思い知らせてやりましょう。

 よかったこと
  晴れたので図書館に行ってきます。
 
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意地悪・モラハラは人間の屑

2012/04/13 23:17
 人生短いのに、なぜわざわざ人が嫌がる言動を取るのでしょうか。
 たとえ自分が人から的を掛けられて、嫌がらせを受けても、もっと弱い人にしてもいいということはありません。
 自分が嫌なことは人にしないのが鉄則です。

 意地悪も、モラハラも非生産的です。
 何も生み出しません。
 人を嫌な気分にして、何が楽しいのでしょうか。
 
 言い方や表現の仕方に問題がある場合もあります。
 それと屈折した性格で素直になれない天邪鬼とか。
 
 技術の問題なら、自分から磨いたらいいし、天邪鬼もやめたらいい。
 とにかく、屑がのさばれないような世の中にしていくべく声を上げましょう。
よかったこと
 このごろ疲れが溜まって、頭がふらふらしていますが、まだどうにか生きています。


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サービス残業や雑用を押し付けられないために

2012/04/12 08:51
 「申し訳ありませんが、今していることで精一杯なので、これが済んだらで構いませんか?」とやんわり毎回適当な理由をつけて断りましょう。そのうち、この人には雑用は押し付けられないと、分かってくれるでしょう。
 本来は自分の仕事なのに、何かにつけて部下に雑用を押し付ける人は、事務処理能力のない出来ない上司です。
 そんな人に関わると自分の仕事も疎かになりますので、避けられるなら避けましょう。
 「こいつは仕事が出来る上に、いつもうまくかわす能力のある侮れない奴」と思ってもらうことです。
 無能な上司が近づいてきたら、雑用を言いつけられないように、さっとその場を立ち去るフットワークの軽さも大事です。
 そのためには、いつも心のアンテナを立てて、人の気配を感じ取ることも重要です。

 もっといいのは、仕事の出来る上司ばかりの会社に入ることか、自分で起業することですが。
 いつの毅然として、テキパキ動いて、仕事をこなしていたら、付け入る隙がないので、嫌なことを押し付けられることも少なくなるでしょう。
 何かを押し付ける人は、こいつなら文句を言わないとか、上司に言いつけないという大人しい人を狙います。
 不合理だとか、どうしても我慢が出来ないことがあれば、同僚にも助けてもらって、出来ない上司の上の人に相談しましょう。泣き寝入りをしない奴だと一度思われたら、無能な上司でも気をつけるようになります。
 使えない奴は会社の損失になりますから、自分で気がつかなかったら、その人の上役に注意してもらうといいです。

 出来るだけ人件費を抑えたいという視点を転換させて、少しでも社員のために賃金を上げたいと考える会社は伸びます。
 株主や役員ばかりが、恩恵を受けて、末端の社員と開きのある会社は、社員の労働意欲をそぎ、結局は会社自体の衰退を招きます。
「人は宝」ということを軸に経営する時代に21世紀はきっとなります。

よかったこと
 早起きして、庭の手入れをしました。スッキリして気持ちがいいです。

 
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職業に貴賤無し

2012/04/10 23:45
 常々人生はきづきを賜るためにあるといってきました。
 だから、その人がどんな職業でも、境遇でも、それがきづきの縁になれば、何でも構わないと思います。
 大学時代に私は、飲み屋や風俗以外の仕事をしてきました。
 資格の要るものは出来ませんが、資格を持つ人たちの周りでは働いてきました。
 いろいろ見てきて、感じてきました。
 
 結論としては、仕事に関係なく、誠実な人、いい加減な人がいるということです。
 しかしながら、医師、教師、僧侶、政治家などいわゆる先生と言われる人で、この人はすごいと感じた人には、めったに遇えませんでした。お役所の人たちも同じような感じです。この人たちは頭を下げません。
 
 やはり、サービス業の人たち、特に一流のホテルマンは素晴らしい人が多かったです。
 誠意の塊のようなオーラ、なんともいえない色気(男女とも)があるのです。
 つい最近も、そんな人に会いましたが、雲の上など、別世界のひとのような感じがしてしまいます。
 オーラや色気は無理としても、見るからに誠実な感じがするところは大いに見習わせていただきます。

 よかったこと
  耳掛けイヤホンのパッドをようやく取り替えました。今日は夕方からいろいろな用事を済ませることが出来て気分がいいです。
 
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なぜ大学で「モラハラ」の研究が少ないのか?

2012/04/09 08:59
 学者自身がモラハラ加害者であることが多いからです。
 自分がモラハラをしているのに、研究など出来ません。
 加害者なのに、それを気がつかず、自分はひとかどの人物だと勘違いしている人がたくさんいます。
 学者とか、先生と呼ばれる人たちは、勉強や運動がそこそこ出来て、モラハラの被害を受けた経験も乏しく、商売などで間違っていないことで、下げたくない頭を下げたりしたこともない人たちのような気がします。
 
 またモラハラを自身がしている人くせに、「人権」や「援助」などを研究して、もっともらしい論文を書いたり、学会で発表し、自家撞着に陥ってしまってる、笑えない人たちもいます。
 それでは綺麗事を言っても、尊厳を踏みにじられている人の気持ちも分からないし、助けられません。
 「人権」や「援助」を研究しようと思ったら、どういう状態で苦しんでいるのか、その痛みをよく知り、ともに泣いて、そこから抜け出ることを、一緒に考えるスタンスでないと、役に立つ研究とはいえません。

 これからは、本当に助けてくれる、役に立ってくれる人に教壇にたってもらえるように、市民として声を上げていかないと、子どもたちの未来は開けません。
 意地悪やモラハラをしない公平な指針を示してくれる教師を育成したり、大学から保育園までコンプライアンスを求めていく体勢つくりをしていくことは急務です。

 大切なのは子どもたちが、真っ直ぐ、当たり前のことをして当たり前に嬉しかったり、遣り甲斐をもてたり、生きていることが楽しい社会を構築していくことだと感じます。
 そのために何が出来るのか、今まで、ずっと考えてきましたので、これからは、何とかしてくれそうな場所で発言したり、疑問を発して、少しでもたくさんの人が無理をしないで、いじめに遭わない社会を創っていきます。


 手始めに、今年の卒業研究は「モラハラ」についての先行研究と事例を挙げて、その対処を書いていって、少しでも苦しんでいる人の役に立つ所存です。

 よかったこと
  人間は気がつかないうちに、そのオーラで自己紹介してしまっているようです。
  話し方、目つき、笑顔なども小手先の訓練ではなく、自然ににじみでる軽さとか緩さとか優しさとかってあるんだと、
 この目で見ました。
  あるホテルのお客様係りの方でしたが、その人がそこにいるだけで、空気が和んで暖かいんです。
  見習わせていただこうと決意しました。
  
 
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「すきま風」は意地悪で寒く、不安で不満なので取り消します

2012/04/08 10:52
 常々人間関係は水のようにアッサリ、スッキリしているのがいいと書いてきました。
 それは今も変わりませんが、「すきま風」という表現は、私のポリシーに反する気がしてきました。
 何となく引っかかるので、考えてきましたが、意地悪な感じと、不安や不満が残るので訂正させてください。

 「すきま風」はやめて「小春日和」に変えます。
 この冬は「真綿」の掛け布団をいただいて、掛けていたら毎日毎日蚕の中に居る心地で、風邪を引きませんでした。
 油断と疲労から春先に少し調子がよくなかったのですが、これは老廃物を体から出す作用のような気がします。
 すきまなくぴったりと包んでくれるシルクの掛け布団の威力というか保護機能には驚かされました。
 
 やっぱり、人間関係も、安心・満足のいく心持になれた方がいいです。
 子どもたちや周りの人たちにそのように接していく所存です。
 温かいのが一番です。
 すきま風でも寒いのは、落ち着きません。
 何か物足りないのは、今、この瞬間を楽しめませんから。
 「小春日和」の日差しが優しく温かく包んでくれる感覚が私には心地よく感じます。

 よかったこと
  今年は少年補導の役に当たっています。
  回覧板の名簿のチェックシートをエクセルで作りましたが、いい具合に仕上りました。
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