今、この瞬間を精一杯生きていますか?

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zoom RSS ひととしての真摯さ

<<   作成日時 : 2018/06/15 08:22   >>

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 ひととして真摯に生きているひとは、自分が生まれてきてよかったと自分と親を肯定しています。そこから始まります。

これができるまでは、思い遣りや優しさを持つひとではありません。ただの自己愛の塊です。自己愛性人格障害、もしくはモラハラと呼ばれている人たちです。他人は自分の欲望、すなわち讃美するものであり、生活の足しになる手足であり、召使いとしかみなしていません。自分に劣等感を持ち、ありえない理想の自分を演じます。劣等感と理想の間を行き来します。ニュートラルで素の自分を素通りして、見ないようにするので本来の自分とは、和解して仲良くすることはできません。何をしても空回り、達成感も、ほかのひととの温かい心の交流を持つこともできず常に渇いています。

 こういう自己愛性人格障害、モラハラの人たちに素人が関わっても、反ってミイラ取りがミイラになるのがおちです。モラハラ体質の輩は自分の都合だけでひとを判断します。自分に利害関係があり立場が上のひとたちには迎合します。そして利害関係のない下のひとたちには讃美を求め、それをしないなら徹底的に苛め抜きます。関わっても何も得ることがないのに、話を合わせてモラハラ体質の輩の自己愛を満たすのは時間の無駄です。

 ひとは同じようなひとが引き合います。扶養義務もなく、離れられるなら距離を置き、離れるに限ります。肉親、夫妻、子などがモラハラ体質だった場合、距離を置いて、いうことを全部聞かないことです。相手を褒めることもなく淡々と隙間風が吹くような冷たい不気味な関係をモラハラの加害者は嫌いますので、そういう人物を演じるしかありません。それは不本意ですけれど、唯一の防御なので仕方ありません。自己愛が強くない、モラハラ体質ではないひとたちと交流を持つことで気晴らしをしましょう。

 もう立ち直れないほどのショックとか、周りのひとがスウーッと引いていって、一人になったとき、始めてひとの温かさや優しさ寛容さ忍耐などを知るのかもしれません。自分は他人を自分を讃美するためのものであり、奴隷や召使のように扱ってきたけれど、ひととひとは共生するもの、お互いに優しくあるものだときづくのかもしれません。
 きづくのが臨終ならとても悲しいです。若い元気な時にきづいて感謝の念を持ち、思い遣りと優しさの中でみなが生きられることを念じます。

 ひととしての真摯さを持つひとと一緒に生きていき、そういうひとがいいときでも、常に自分を護ってくださる真理と共に残りの人生を歩いてまいります。

感謝していること
 無理なものは無理なのだと知らされた上で、自分ができる何かを模索していこうと決心できてとても嬉しいです。

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