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zoom RSS 無明の闇が晴れなくても平気でいられるのはなぜ?

<<   作成日時 : 2018/06/24 05:28   >>

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 物心ついた時から、名前は分からなかったけれども、ほの暗い闇が心を覆い、離れることはありませんでした。それがだんだん色濃いものとなり、9年前に晴れました。その闇を持っている間は、何をしても生きた心地がしませんでした。

 この闇を晴らす方法が見つかったのは小学校の半ば10歳の頃でした。それから、色々な縁を求め始めました。高校2年が終わった春休み、市の図書館で歎異鈔を3回謹書しました。それでも、阿弥陀仏はどのように助けて下さるか、どう信じたらいいのか、どうなったときが本当に救われた時なのか分かりませんでした。親鸞聖人は信心一つで救われると言われるのに、なぜ念仏が書かれているのかも疑問でした。これは唯円が書いたものだろうと言われている書物だと知ってはいるもののあまりにも有名で、この中に無明が晴れる手掛かりがある気がしていました。

 確かに歎異鈔は美文で親鸞聖人がおっしゃったのだろうことが書かれていますが、教行信証やほかの書物や親鸞聖人のお手紙である御消息を拝読した方がいいことをそのあと18歳から真宗の教えを聴聞するようになってきづきました。親鸞聖人が書かれた直接のお言葉を拝読し味わうことが大切です。そのように感じております。


 無明の闇が晴れても、それでも、慣れ親しんだ人間世界が名残惜しい部分もあります。それでも、無明が晴れて何も持たないままお浄土に生まれさせていただけるよろこびの方がどれだけか嬉しいことか。こんなことを親鸞聖人はご自身の書かれた著書の中でたくさん教えてくださいます。歎異鈔はこれを知るきっかけにはなるものの、単体では不十分なところがあります。その一つの大きな問題として、信心を書きながら念仏も書いてあり、信心と念仏どちらで助かるのかが紛らわしいところにあります。




 10歳の時、鎌倉新仏教で法然聖人は念仏、親鸞聖人は一歩進めて信心で助かる教えを広められたと学校で習いました。その信心を獲ることでこのくらい心が晴れるのだろうかと漠然と感じ、歎異鈔を書き写したことから、その後長い年月を経て、やっと信心の本当の意味が分かりました。そして信心の意味が知りたい人のために毎日文章を書いています。ときにはカウンセリングの技法を使って話し、いろいろ試行錯誤を続けながら、私のように無明の闇が引っ掛かり、何とか晴らしたいと感じている人の資助になれたら幸いです。

感謝していること

 心を覆っていた無明の闇がすっかり晴れ、阿弥陀仏を疑わなくなってから、心の景色が変わり、モノクロだったのが天然色になりました。人間というもののよいところもそうでないところも味わいつつ、浄土への二人旅を楽しめるようになったことは有難いです。

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