心の安心 安定=怒られない事

 子どもはたくさん習い事をしてきました。
 当然、同じ数だけの先生の指導を受けました。
 そこで、気が付いたことがあります。
 長くお付き合い出来ている先生には共通点があります。
 ただ、これは私の好みと思って聞いてください。
 
 怒らない、このことに尽きます。

 指導、注意はされますが、淡々と問題点を指摘されるだけで、決して感情的になられないのです。
 俗に言う「キレル」場面を見たこともなく、表面上の言葉は穏やかでも、怒っている感じもないのです。
 人間が出来ているのでしょうか。
 それは目先の損得にとらわれていないこととも通じるのかもしれませんが。

 年齢にも関係するかもしれません。たいてい年配の女性は落ち着いていらっしゃいます。
 
 普段の何気ない会話でも、子どもが大学に通っているまでの方と、もっと上の方とは違うんです。
 やっぱり、怒られる不安がありません。
 子どもにお金が掛からなくなると余裕が出てくるのかもしれません。
 
 でも、それだけではないような気がします。
 子どもの手が離れた頃、還暦近くになったとき、見た目の衰えがやってくる事が大きいような気がします。
 衰える現実に直面したとき、見た目より、もっと大切なことがあることに気付くのが、この年齢なのかもしれません。
 限界が見えてくると、威張ったり、怒ったりしても仕方ないと思える境地にいけるのかもしれません。
 目の前の人をそのままありのまま受け入れて、待つことが出来るのでしょう。
 躍起になって、人と争って、出世して必死でいろいろな職業で働いても、リタイヤした後、家に居てただの隠居したおじいさんになった自分の連れ合いを見ていて、思うこともあるのかもしれません。

 日本でも外国でも若いことが良い事だと思われています。
 何もしなくても、若いというだけで、輝いていられます。
 年配の方で、美しい方は、男女関係無く、皺やしみがあっても、それが、気にならない、内面の輝きを感じることが多いです。私もそういう美しさを持てる様になりたいです。
 (若い人でも、両方兼ね備えている人もいるのかもしれませんが、残念ながら、余りお目にかかった事がないです。)
 
 多分、気が弱いから、他人に、感情的になられると私は、引いてしまいますが、自分の子どもには怒ってしまうのは直さないといけないと反省しています。
 
 

 
 

この記事へのコメント

2013年07月27日 11:30
失敗と思う行為には、怒りがあります。

怒りなく、さとした時は、自分のいうべき事は、伝えた。あとは、本人次第と落ち着きます。

かい牛を水場まで連れて行くのは、飼い主の役目でしょう。

飲むか、飲まないかは、牛が決める事です。

飲もうとしないのに、無理に飲ませようとしても、または無理に飲ませても、そうすれば、二度と水場には近づかないでしょう。一切怒りは発生させないと、決めるべきだと私は思います。

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