鉄則 裏切り者は即座にサヨナラ!彼らは改心しない!以後絶対関わるな!

 人間というのは失敗を繰り返して賢くなります。
 それは人間関係についても言えます。
 長く生きていると、感覚の合う人ばかり、いい事ばかりがある訳でもないし、可笑しな人とも出合い、それらの人たちがする不可解なことがすることにショックを受け死ぬほど悩みます。
 
 自分は真摯に正直に生きているのに、何でこの人には通じないのだろう、何でこんな自分なら絶対しないような信義にもとることをするのだろうと必死で考えますが、答えは絶対見つかりませんし、そういう不可解な相手とは、生涯絶対分かり合えません。
 
「去る者は追わず」が私のモットーですが、まだまだ修行が足らず、ついつい自分の甘さから、裏切り者がいつかは反省するのではないかと気の毒に可哀そうに同情しそうになるのですが、もう迷いません。
 たとえ、兄弟姉妹であろうと、何十年も付き合ってきた親友と思ってきた者であっても、「ちょっと」でも不可解で不審なことがあれば、距離を置き、徐々に疎遠になること必要性があります。
 この先、付き合っていても、なあーんにもいいことはありません。
 何にもでなくて、
 なあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんにもです。

 この「ちょっと」でもが肝要です。
 人間の気質というのは赤ん坊の頃から死ぬまでほとんど変わらないのだということを私はずっと言ってまいりましたが、それを気が付いているのに、甘ちゃんでついつい期待を持ってしまって、次にあった時、又は何年かたったのなら、「ちょっと」おかしいと感じた人でも「まとも」になることもあるのだと人を信じたいという心がありました。

 あのね、一度あなたを裏切った人は、絶対またその人に不利なことがあると裏切りますよ。
 社会に出て30年以上、必死に仕事で頑張ってきた人ならわかるでしょう。だって、そういう癖の人なのです。大してその人等は悪気はないのかもれません。真っ直ぐになんてならないんです。治んない病気だから。そういう質の人だから。
 
 自分の目先の損得の為に人を陥れてもなんとも思わないような「不逞(ふていと読み、不埒なという意味)奴」は大衆の面前で死ぬほど恥ずかしい思いをするとか、家族や仕事など何もかも失う経験でもしないと絶対治りません。

 そして、笑っちゃうことに、この先、真摯に生きることもなく、常にそろばんをはじき、その時々の損得で、あっちに付き、こっちに付きふらふらするのですから。
 いくら人間の信頼や信義則などを口を酸っぱくして言って聞かせても、何も考えないし、反省なんてしません。
 奴らは深く考えるのが嫌いだし、苦手ですから。
 そしておまけに底が浅い。いわゆる「凡庸な悪」といわれている輩でしょう。

 変な正義感や責任感や自惚れを持っていた私は、身内だから、目をかけていた人だから、見放したら可哀そうだからと同情して、色々な方法で何とか「真人間」になるように陰に陽に話しましたが、治った人は一人もいませんでした。

 それどころか、私を疎ましがり、悪口を言いふらし、「後ろ足で砂をかけ」「飼い犬に手を噛まれる」というような態度を見せ去って行ってからもさらに、そいつの心地よい居場所であり、私の知らない所で誹謗中傷を繰り返しています。ある意味知らないことは幸せなことです。
 
 それらの人たちが付き合う人たちの間では、世間知らずの私はいい笑い者ですが、それはそれでいいのだと最近は思います。
 あの人たちに私を分からせなくてもいいし、永久に分かりあうことのない、パラレルな世界に住む人たちだから。

 反対に、あの人たちの集団にいて人の悪口ばかりを言い、損得であっちこちに行かずに済む私はなんて幸せなのだろうと嬉しく思うようになりました。
 あの人たちは気の毒ではありますが、あの人たちの大半は、自分の蒔いた種で病気や変な癖を持ち、住んでいるところが違うので、今後交わることは金輪際ないのだと私に教えてくれる役割でこの世に生まれてきたのだと思えば、怒り心頭収まり、有難く感謝さえできます。

 いい年なのですから、もういい加減に懲りないといけなかったのです。
 自分の直感を大切にしないとならなかったのです。
 なぜ私がこんなことを臆面もなく言い出しているかと言えば、今度の都知事選で、宇都宮健児さんと前回の都議選で一緒に運動していた人たちが、「一本化」を言い出し、その中には宇都宮さんに一方的に降りるように言う人もあり、挙句の果てには細川さんを支援する人まで出てきたことで教えられました。
 
 宇都宮さんの選対人たちにされた演説を何日か前にアップしましたが、日頃の街頭のものとは打って変わって、基本はにこやかではあるけれど怒りを出すような場面もそこにはありました。「私がニコニコしているから、怒らないのだと思う人もあるのかもしれないけれど・・・・・・」という表現もされていました。余程、忸怩たる思いがあったのだとお見受けしました。

 サラ金のグレーゾーン撤廃の運動やほかの大変な依頼での場面で、危ない人たちに種々な危険な目に遭わされ、そこを潜り抜けてこられた強い方です。その間、暴力には穏やかに普通に対処したり、相手のテリトリーに行かないなどいろいろな知恵を蓄えられたようですが。
 
 宇都宮さんをお手本にして、私もそろそろ、要らない苦労は背負い込まないことにしょうと決心しました。
 スルスルと気持ちよく進むことや、気持ちのいい人間関係はGOですが、ほかはソフトランディングで徐々に関わらないようにして、時間を無駄にしないように、有意義な時を過ごす覚悟をしました。

 まだまだ未熟者ですが、信頼していい人、絶対関わったらいけない人を出会って3回以内で見抜けるようにして、本当に困っていて支援の必要な人のために生きていく所存です。
 本当に困っていない人は、利害関係で動き、「恩」を感じることがありません。
 いくら人間の道を説いて「あなたの人間性を疑われるようなことは止めよ」と言っても聞く耳を持ちませんから、本人がそんな状態で生きていても困らないなら、放っておいたらいいのです。
 そういうような人たちが、疑心暗鬼で疑いながら、腹を探りあって、いつ裏切られるか不安な中でそのスリルを楽しんで心身の病を抱えながら生きるの場所に近づかない、見ないように、関わらないようにしましょう。

 おそらく、死ぬ直前まで分かり合えない人がほとんどでしょう。
 一度裏切った人が、本当に困り、どんなことでもするから助けてくれと頭を下げてきたら、その時考えたらいいのですが、残念ながらそんなことは50年に1度くらいしかないでしょう。つまりほとんどないということです。
 人間の心の住まい、棲み分けとは厳粛な見えない厚い壁や段階があるのです。その中に住む人たちは仲良くできて、心が通じ合えますが、壁は厚く、一段の違いでも同じ人間とは思えないほど考え方も価値観も違うのです。

 どんな人でも、話せばわかるなどといったことは甘い幻想です。
 何年でも、何千回でも言うしかないのは自分の産んだ子どもだけであり、ほかは(時にはわが子でも)その人に合うような、まだ辛抱が出来るような、もしくはお金を稼ぐための仕事と割り切れる人に任せて、自分の理解が可能な人たちと付き合っていかなかったら、まず精神がやられ、病気になり、人生から問いかけられた目的や使命が果たせない空振りの人生を送ることになるとよくよく知らされました。

 ここで言っている分かり合えない人というのは、出自やお金や財産を持っているとか、仕事の貴賤などではなく、人間としての真摯さや純度のことです。
 私自身は、自分が優れている人間だとは全然思っていませんが、自身が繊細で我儘で弱いので、本当に優しくて強い人としか一緒に居られません。
気持ちの通じ合う人たちと横につながりを広げていく所存です。
感謝していること
 よくここまで割り切れるように、周りの人たちがいろいろな役者になってくれて、教えてくださるものだと有難く感謝しております。

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