どちらかというと情緒的でなく理屈が先行しているかもしれません

 感情的に思い込むと、その先に進めないので冷静に物事を進めてまいりました。それもいいときとそうでないときがあるのかもしれません。
人を好き嫌いで判断しないようにしてはおりますが、相手さまが聞く耳を持たない場合は距離を置いて離れた場所で、またご縁があることを願って身を引いています。
 
 他人さまからどう思われようとも、真実は曲げられないし、伝え切らないとなりませんが、縁が熟さない人に話すと反って、御仏を謗る縁を与えてしまうことになり難しいです。よろこんだり楽しい状態は表に表しますが、マイナスの感情は封印してしまい、出せないでいます。
 「無宿善」の人に対しては、残念で悲しいのですが、どうすることもできません。人を選んで厳しい話でも信心を賜るために聞かれる方を選んで話していくことが肝心なのかと、蓮如さまの「御文章」などからも感じます。

 私自身は自分が能力があるとも、偉いとも何とも思っていません。ただ一人でも多くの方に御仏の願いをお話しすることを嬉しく感じております。それだけなのですが、劣等感のある人やわざと曲がって他人を見る人や権威に縋る人とは離れないといけないと最近は知らされます。
 自分が善意でしたことも、相手が受け取らないばかりは誹謗中傷の種になるのであれば、そういう人たちにとは距離を置いていこうと過去に決心したのに、まだ懲りていないのか何度も同じ轍を踏んでしまいます。
感謝していること
 それでもいつも御仏に対する御恩を寝ても醒めても忘れることがないのは不思議です。

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