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zoom RSS 煩悩が造る罪悪を超越した救い

<<   作成日時 : 2014/04/27 20:27   >>

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  我が身の罪悪ばかりに目がいって、御仏の超世の尊い願いを知らないならば、生涯ずっと己の罪悪を償う生き方をするのでしょうか。
 某宗教ではその罪をある一人の男が背負うという発想をするらしいです。
 たかが人間などに罪を償える力があるとは到底考えられない私にはとても理解不可能です。
 
 元々人間は有限で迷った存在なので、自身の生命維持のため食べ物や他を奪い合ったり、迷いの世界が暗くてほかの人がよく見えないので、誤解が生じ、ぶつかり、戦い合ったりするのかもしれません。
 だから、罪という考え方は仕方のないものとしか私は捉えられません。人間として生まれてしまった限界としか思えません。
 宗教が言う「罪」を利用していろいろな争いが起こることもおかしな話です。

 御仏の願いさえ聞くことが出来て、救われるなら、温暖な気候で作物が豊富に取れる地域に住むのなら、晴耕雨読の生活が一番いいのではないかと思われます。
 争い事がないなら、弁護士も要りません。心が明るく楽しい平和な気持ちで生きられるなら医者も薬も要りません。
 自分一人もしくは家族に富を集中しても、使い切れないし、死ぬときには持って行けません。御仏と共にありのままを受け入れ、自分が人生から問われている使命をそれぞれが果たしていったらいいのではないかと思われます。
 
 御仏の願いは赤ん坊からお年寄りまで全ての人々にかけられています。
 だから、縁の深い赤ん坊や子どもなら、口はきけなくても救われます。
 無常は大人になるまで待てないかもしれませんから、御仏を疑いなく信じただけで救われます。
 自身の罪悪を見て苦しむことも要りません。
 ただ、有難いご本願だったと自力が廃った状態になれさえすればいいのです。

 仮に救いまでの道が10段だったとすると、初めのホンの数段では煩悩を問題にしてあくせくするのでしょうが、残りのほとんどはどうしたら御仏の願いに対しての疑いが晴れるか、自力が廃るかこの1点に集中します。
 もちろん煩悩は死ぬまで無くなりませんので、煩いの種にもなりますが、煩悩自体が迷いの根源ではないことがわかるので、「疑い」を晴らすことに必死になります。

 救われるには「疑い」が晴れるだけでよかった、ほかには何もいらなかった、罪も悪もそんなもの問題にならないほど御仏のお力は偉大で、素晴らしかったと一日も速く救われることを念じて止みません。本当に何もいらないのです。
 「ただだった」と知らされることは自惚れ強い凡夫にはとても難しいです。赤ん坊や子どもの方が容易く救われることもあります。

 世間的な考え方である、どれだけ苦労して求めたかではなく、御仏とのご縁の深さで救われるのが速かったり遅かったりします。過去世の因縁も大きく影響します。もちろん過去世で縁が余りなくても、今生で一気に御縁を結ばれる方もあり、縁は不思議としか何とも言えませんが。
感謝していること
 昨日お礼と共に投稿を先生にメールで添付してお便りしたところ、「ゆっくり学んでください、連休を楽しんでください」とさっそくお返事がきました。本当にご多用なのに、一学生に心を掛けてくださりとても有難いです。

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