今、この瞬間を精一杯生きていますか?

アクセスカウンタ

zoom RSS 若い人の純粋さは時として盲目でもあり・・・・・・

<<   作成日時 : 2014/04/29 17:24   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 18歳で某真宗の団体と関わって、40代半ばまでそこの会員でした。
 その団体と縁があって、4年後くらいに、講師養成の学校が出来ました。先輩や同期、後輩が仕事を止めたり、大学を中退してこぞってその学院に行きました。
 浄土仏教は在家のものだという信念を持っていた私は、どこかの団体の僧侶や布教使になる気はありませんでしたし、今もさらさらありません。
 
 名の知れた大学にせっかく入って、後の人生の成功を約束されたと思っていた子どもたちが、何が悲しくて新興宗教団体の講師になるのかと、親御さんたちは嘆き悲しみ反対しました。それでも本人たちの熱意にほだされて、最終的には応援される方もありましたが、親子の縁を切るような感じで、子どもと距離を置かれた方もたくさんあります。

 はじめ、講師は給料制でしたが、途中から自分たちの活動に対するお布施だけで生きていくように変更になり、彼らの中には極貧状態の人たちも多くいました。
 なぜそうなるのかといえば、自身が御仏に救われていないのに布教するからです。
 信心を賜って、その御恩報謝の気持ちで、御仏の願いをよろこんでお伝えしようと心の奥底からわき出て来る憶いから、説法なり講演なりをするのならたくさんの方々が聞きに来られるでしょう。また、聞かれる方も信心を賜る事もあります。

 しかしながら、自らも信心を賜っていないのに、よろこびもないのに、まして仏教の教学で御仏やお浄土の荘厳さも知らないまま、話をしているという矛盾に彼らは気が付いていないのでしょう。
 教祖を盲信して、彼の言ってきたことをそのまま、九官鳥のように伝えるだけです。もしくは、教祖のビデオを上映します。
 信心を賜っていないのですから、そういうことをしている自分に何の疑問も感じないのは仕方のないことかもしれませんが。

 若いということは素直で純粋ですが、後先を考えずに暴走してしまいます。
 真宗系の新興宗教に限らず、キリスト教や他の宗教の為に身を捧げる人を何人も見てきました。私の中学からの親友は九州の大学で統一教会に出会い、合同結婚式を挙げ、いま済州島で暮らしていると風の便りで聞きました。彼女が大学2年の春休みに奈良の実家で逢って以来、日本にいるのなら、外国でも渡航できるところならもう一度逢いたいと願っていましたが、叶いません。信仰に染まってしまっているようです。

 信心とは性格が明るくなることでも、煩悩で苦しまなくなることでもありません。
 暗い性格は暗いまま、煩悩に翻弄されている人もその状態が消え去る訳ではありません。見かけも変わらず、苦しみの度合いも軽減することはないのですが、そのまま、ありのままで、それでもよろこべる境地になることです。
 酷い病に罹っていても、けがで身体のどこかが痛くても、いつ死のうと生きようと、自分の身体ではありますが、全て御仏や宇宙の真理に身をゆだねた状態が続くことです。
 自分の意志があって無きような状態で、どうなろうとその意外性を楽しめる身になれます。無理に頑張らなくても、自分の得意なこと、出来ることで御恩報謝をさせていただく人生を生きられます。

 どうか、特に若い方は、他人のお仕着せでなく、自分の人生をありのままで、本当に安心満足できるような人生を送ってください。
 人と比べたり、競争したりしないで、出来る人が出来ない人を助け、働ける若い人が働けない人の分までちょっと余計にして差し上げたらいいと私は考えます。
 感謝していること
 体調もベストという訳ではありませんが、何とか死なずに生きていられます。まだ人生から問われている使命が終わっていないのでしょうか。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
若い人の純粋さは時として盲目でもあり・・・・・・ 今、この瞬間を精一杯生きていますか?/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる