今、この瞬間を精一杯生きていますか?

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zoom RSS 結論 人間はたとえ親でも他人に全てを依存することはできない

<<   作成日時 : 2018/08/06 21:25   >>

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 自分以外の他人に依存すると、その人が何もしてくれないか、思うような反応をしてくれない時、相手を恨むことになります。それは甘えであり逆恨みです。

どんなに甘えても、見捨てないのは真理しかありえないことを、人間は娑婆世界で学ぶために何度も生まれるのだと気付きました。
 
 依存は真理から遠のきます。何もできない赤ん坊のような立場の人に対しては、誰かが何かを与えてくれるかもしれませんし、そうでないかもしれません。他人の生き方を見て、参考にする事は出来ます。

 でも、自分の人生に責任を持てるのは自分自身だけです。他人は自分のことで精一杯で自分以外の人の責任など持てないのです。冷たいようですが、が現実であり、学びです。自分自身で何とかできることを、自分でしていかないと学びにはなりません。

ただ、予期していない時に誰かが何かをしてくれることがあります。これは有難いことです。滅多にないことなので有難うと御礼を言います。

自分の力でギリギリのところを頑張っているひとは、いのちのある内に真理との邂逅をしてもらえるように励ます意味で、御仏から予期せぬご褒美があります。仏教では善巧方便といいます。また信心の人からも励まし支えてもらえることがあります。なぜ親切にしてくれるかといえば、真理との邂逅を済ませたひとだという理由からです。また、本人が意識してかしないかはわかりませんが、真理に向かって生きているひとも親切にしてくれます。

 御仏にまことのこころを賜ってから、もしかしたら人間同士でも、心から信頼し合い、甘えても見捨てないひとに出合えるのではないかと探してきました。でも、信心のない人は自身に余裕がないので、全てをゆだねることができないのはもちろんのこと、御仏から信心を賜ったひとでも、煩悩を纏い、三次元で限りある命を持つ人間として生きているので、それは無理なことだと思い知らされました。

 そんな中だからこそ、真理との邂逅を目指している人たちの力になることが私の使命だと改めて感じます。まず、自分で迷っていることを自覚し、その上で私ができることがあればよろこんでいろいろさせていただく気持ちはあります。

 ただ、自ら蓋をしている人に対して、無理矢理その蓋をこじ開けることはできません。どうすることもできないのです。真理との邂逅以外の生活上の援助をすることはかえって本人をスポイルすることにることが多いです。中途半端に末通らない慈悲をかけても、甘えて自立する芽を摘み取ってしまいます。厳しいようですが、自分できづくしかないのです。

 それぞれが、自分の足でしっかり立ち、真理との邂逅ができることを心より昼夜念じて止みません。

感謝していること
 誰かに何かをしていただいたら本当に有難いです。御仏とのお出合いの後は、何の心配もないので、御仏がよろこんでくださることをたださせていただいております。傷を舐め合う、煩悩で傷つけ合うことで無駄にしないよう、残された時間を涼やかに淡々と生き、粛々と使命を果たしてまいります。

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