如来大悲の涙

「或る日の夕方、友人が送ってくれた『法悦』という雑誌を読んでいると、白井助教授の一文がピタリと私の目にふれた。 『その疑情、ハカライ、自力の心があるために、仏の声を聞くことのできぬ私を、如来様は哀れみたもうて、一念一刹那も休む間もなく、大悲の涙を垂れたもうのである』との一文に、ぼくは参ってしまったのです。この文章を通じて生きた如来様の説法をききました。さながら剣道の達人から一気に脳天をたゝかれて、ハッキリと降参しました。これでモウ充分です。ぐったりと疲れはてゝ涙も出ない有様でした。むりな病を治せとか、淋しい私を救えとか、地獄があれば見せよとか、早く信心を賜われとか、さんざんにだゞをこねて親泣かせをしていた私の自性に、気づかせてもらいました。私の求道は、結局、如来の無限の大悲で私の我慢心を破るための戦いでありました。」
伊藤康善『死を凝視して』二八~二九頁

白井さんの文章は私も胸が熱くなります。
 「その疑情、ハカライ、自力の心があるために、仏の声を聞くことのできぬ私を、如来様は哀れみたもうて、一念一刹那も休む間もなく、大悲の涙を垂れたもうのである」
 いつか自力を無くすることができ、信心決定する未来の予定を立てて何をするわけでもなく平気でいる、その迷っていることにもきづかない暗い心を哀れみ給う御仏の憶いが確かに静かに伝わってまいります。

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