テーマ:阿弥陀仏の本願

完全にまかせきれたら独占も執着も要らないのに・・・・・・

 阿弥陀佛のことが何の疑いもなく信じられたら他力に救われ、自力の臭みが消えます。   この世のことでも、大好きな誰かのことが心の底から信頼出来たら、不安は消えます。  自分に対して自信がないから、疑ってしまうのです。人と人は相手の容姿など外見でもなく、能力の有無や名利などの持ち物で一緒にいたいわけではありません。同じ価値観や未来へ…
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人間の間は老病死から絶対逃れられないことにきづかせ、そのままで救われるの方向を示すが宗教の役割

 生死出づる道に出た、生死を超えたといっても、この肉体が老いて病になり死なない身になる訳ではありません。人間として生まれたからには、老いも病も経験しない中折れはあっても、死は回避できません。  加えて、また、煩悩の貪欲・瞋恚・愚痴によって、常に心休まることない一生が展開していきます。そんな中、生死を超える目的を目指して生きるなら、…
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心身の快楽を悦び、他の迷った人間より優れていることを楽しむ慢心が夢幻だとなぜきづかないのだろう?

肉体の快楽は一瞬のものです。スポーツを例に考えるとよく分かるでしょう。気分がいいのはほんの一時のことです。苦しい練習は嫌だけれど、それを経ないと上手くなれないジレンマなどいろいろな葛藤があります。趣味でしていても、いつも楽しい訳でもなく、怪我をしたり、疲労が襲ったりもします。男女の楽しみもしかり。簡単に手に入る異性はすぐ飽きるし、時…
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ひとのいのちを奪う権利はほかの人間にも、ましてや国家にもない

 20世紀は金銭欲を満たすための戦争の世紀でした。国家宗教を使って偽の死後の安寧を騙って多くの人たちが戦場で果てました。国家宗教の代わりに財力を持つ大きな団体によって、今世紀も戦争が引き起こされて、未だ大量の殺戮が止みません。一人一人の命の重みを伝えることでしか、このような状態は変わりません。私たちは真理からの目や耳を頂いて、もう争いや…
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どうにもならないこころの底からの叫び

 心に刺さる説法を聞きました。「響く」というような甘ちょろい感じじゃなくて、「刺さる」でした。  その方の話を私は「本物」だと感じました。その方も同様に感じてくださっていたようでした。本物の感覚を言葉で教えて欲しいという私の願いを大切なことと受け止め、「『機の痛み』を脇に置いていない」という表現で私に教えてくださいました。この世間…
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凡夫そのままのお助けと疑いなく聞く

「自分の計らいではなく、凡夫そのままのお助けと疑いなく聞かせていただいております」 と電話口から張りのあるお声でよろこびを聞かせていただきました。 この世のどんなことよりも嬉しくて仕方がありません。
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最近の記事

最近書いたものをまとめてみました 先日、信心の沙汰をした人と電話で話をしました。疑いが晴れたので、疑っているままで救われるのが尊い本願だと誤魔化すために称えていた念仏と違う念仏が出てくるようになったといわれていました。このまま、しばらく様子を見てくださいとお伝えしました。 「お手次ぎ」と「受け念仏」という概念を知りました。法…
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昨日のこと

「最後の最後、何とかすれば何とかなれるという、自力我慢の心が抜けないその方に、私は何を話したらいいのだろうか」とこんなことを道中考えながら自転車をこぎました。衣笠の大学から、途中、朱雀の自宅で御説法のCDをカバンに入れて深草の大学の正門に向かいました。  「まだ、楽がしたい。現世利益を求める気持ちが抜けません」と仰るその方に言…
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人世の軸となる第三の真理軸

独楽に軸がないと回らないように人生にも軸が必要だと仏教の先生から自身の師もおっしゃっていたと教えていただきました。 他人でも自分でもない第三の真実の軸を賜って明日で10年になります。 御恩報謝が何もできず、無駄な時を過ごてしまい御仏には申し訳なく感じております。
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機抜けの信心

この言葉を初めて聞きました。 二種深信の法の深信の部分だけが感じられ有難がります。 しかし、機の深信、疑う罪が分かりません。 二つの深信が同時にたたず、化城に陥っている者を指すようです。 化城のほとんどがこれです。 的確な表現でした。
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信心の沙汰を引き受ける条件

いま、ここで信心を賜りたい。 命は、一日に譬えると23時59分59秒。(もう後がない)。 お金、地位、名誉、肉親、友人など何もあてにできなかった。 一度限りの縁で、信心を賜る覚悟がある。 これらが一つでも欠けたら お断りします。
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私はもう死んでもいい!

「信心決定」、「信心獲得」、「信心一つで救われる」、「自信教人信」 これらの言葉をリアルタイムで自分の耳で聞くなんて夢のようでした。 確実に根を下ろして教えが受け継がれていると感じた瞬間でした。 もう私は死んでもいいと思いました。月が綺麗だったわけじゃありません。
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平生業成(二度の臨終)

平成二十六年の梯實圓和上のご葬儀に、天岸浄圓先生が御法話の際、「この度のご往生おめでとうございます」とおっしゃたそうです。続いて、法要読経のあと、梯和上の奥様が天岸先生のお言葉を受けて挨拶されました。 「みなさん私が亡くなったときは、必ず『往生おめでとうございます』と言って下さい!。その時までは今しばらくお念仏を称えながら日暮らし…
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罪悪感の追求から離れられるまで

 真理を受け取ろうと邂逅を望んだ時、いい人にならねばと考える人が多くいます。悪を止め、善を行じる仏教でいわれる廃悪修善のことです。  しかし、悪は底なしです。それを見ていっても、限も際もありません。そして三次元の人間として、生きるためには悪は造らなければならないものです。  問題はそこではないのだときづいたときから、真の意味…
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如来大悲の涙

「或る日の夕方、友人が送ってくれた『法悦』という雑誌を読んでいると、白井助教授の一文がピタリと私の目にふれた。 『その疑情、ハカライ、自力の心があるために、仏の声を聞くことのできぬ私を、如来様は哀れみたもうて、一念一刹那も休む間もなく、大悲の涙を垂れたもうのである』との一文に、ぼくは参ってしまったのです。この文章を通じて生きた如来様の説…
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この世の救い

この世の医者でも、命が助かるように全力を尽くします。彼らは、日々医療技術や理論等を研鑚します。それなのに、臨終や後生が苦になる人たちに対して、自力をすてて、他力に入る話を説き切ることを学ばず、安穏とした日々を過ごしている人たちに対して私は憤りを感じます。
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そもそもチャンネルを持たない人たちがいるという驚き

 首都圏や大都市圏以外の人たちの場所にはテレビの民放が2つしかないところがあるということを九州のとある県出身の人と話していて二十歳前にひどく驚いたことがありました。私が住んでいた地域の民放は、4,6,8,10,12とその当時5つありました。同じ日本でも場所によって差異があるのだと知りました。  最近、異なる考え方を持たないと、わか…
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あげばをわすれたり

親鸞聖人の御和讃が余りにも素晴らしくて何も言葉が出て来なくなってしまったと蓮如上人はおっしゃいましたとご一代記聞書にあります。  中興の祖として日本全土に浄土真宗を広められた蓮如上人の宗教家としてのご布教の能力が優れていたばかりではなく、阿弥陀仏や祖師聖人を尊く感じていらっしゃったことが垣間見れるエピソードです。  この…
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所詮、夢幻の世と信知できたのだから、そこで快適に過ごす道を行けばいいだけ

 全てを真理に委ねて、後生はおまかせなのに、私は全力疾走を止められずにいました。ふと、全力で取り組むやり方とは異なった視座を持ち、にこやかに優雅に生きてみてもいいのではないかという考えが浮かびました。全力で遊びのない生き方は自分ばかりではなく他人も疲れるかもしれません。怠惰なことを恥じ、時間内にできるだけの用事を詰め込んでこなしてきまし…
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海外の日系人社会の宗教的要請ついて

この10月にブラジルとアメリカ西部の日系移民の地区のお話を聞く機会がありました。  日系人の外の現地人が、日本の仏教を知りたいと思っていらっしゃることに驚きました。文化的側面ももちろんなのでしょうが、教えそのものも聞きたいと思っていらっしゃる方もあるのかもしれないと感じました。  シアトル在住の研究者の方と奥さまとお話しして、来…
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尊いご縁

気持が打ちひしがれて、どうしようもなく辛いとき、仏縁の深い方とのお出合いのセッティングが設けていただける気がします。今日私がお目にかかったご夫妻が一日も早く信心を賜れますようお念じ申し上げます。 When my feelings are overcome and it is hard for me to feel hard, I …
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悲喜交々の人生を生きて

 圧倒的に辛く哀しいことばかりの人生でした。  ある時点から、生きていていいと願われていることがハッキリわかりました。それからの人生を故郷に向かって一緒に歩いてくださるお方との二人旅が始まりました。しかし、同様にどうしようもなく辛く哀しいこともたくさんありました。それでも、私は生きていていいし、いつも一緒にいてくださる方がいてくれ…
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最期にきちんと死ねることが私たちの生きる意味

 きちんと死ぬためには、きちんと死ねるようにする力のある方にまかせるしかありません。それなのに自分の力で何とかしようとするから、生きている間中苦しくて、ほとんどの人達は、きちんと死ねないで後悔する最期を迎えます。  他の事は出来るかもしれないけれど、きちんと死ぬことは絶対に人間の力では不可能だから、真理に身をまかせるしかないと教えてく…
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私の重い苦しみを全部背負ってくださるお方

 真理との邂逅の後、私はずっと一人ではありませんでした。常に護られていて孤独ではありません。一度だけ忘れてしまい、本気で死のうと思いました。でも、ふと、私がお願いしたわけでもないのに、自分の足で歩けない私を不憫に感じて、その私の苦しみを背負ってくださっているお方の存在を思い出し、思いとどまりました。私は重い苦しみを持って生きている、その…
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この世で帰る場所、死んで還る場所

 この世で帰る場所は生家でしょう。両親が他界するなど何らかの事情で帰る家がない人は本当にお気の毒です。私が死んで還る場所はお浄土です。お浄土がどういうところかはお経で書かれている以外には分かりません。行ってみたら、本当はそういうところではないかもしれません。でも全部仏さままかせなので何の心配もしていません。本当は仏さまといろいろお話しし…
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眼に見えないものが大事だってわからない?

 言葉や態度で私は自身の娘や周りの人たちにどれくらいこのことを伝えて来たか分かりません。でも、目に見えないものの重要性を自分が望むようには伝わっている感覚がありません。   態度で見せても、地味であまりにも控えめで伝わらないのか、言葉も表面が行き違ってそれを修復できないままでいるのか、そこら辺がよく分かりません。物事はいのちも含めて…
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仏教が民衆の信仰として残った最後の場所で私ができること

 私が出会った、インド・中国・フィリピンでは、自国の人から阿弥陀仏や南無阿弥陀仏を教えられた人は皆無でした。 阿弥陀仏や阿弥陀仏の本願や日本人から聞いたり、経典や聖教で知っている人はいても、本当に救われる道、真理として知る人はいませんでした。  とても残念で悲しいことです。  しかしながら、大乗相応の地、日域である日本には浄…
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人間の誰に認められなくても真理と一緒ならそれで構わない

 創造主なんていない!  何できづかないの?  真理は誰も造らない。  ありのままを尊重し、よりよく存在できるように力添えするだけ。  気まぐれで、私を造り、罪と罰を与える創造主なんていらないし、親もいらない。  私は私で自由だし、人間の誰がいなくても真理と共にいる感覚が続いている。  それが書け…
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