テーマ:死の解決

ひととひとは愛おしみ慈しみ合うために存在する

 無常のいのちを抱えて不安な者同士が人間として生きています。  それなのに、その無常からくる不安を劣等感という別物にすり替えて、他人を攻撃して見ないように、考えないように遠ざけている人がいかに多いことか。本末転倒です。  ひととひとは真理のとの邂逅を経たら、慈愛、信愛の中で生きられます。真理を各自が平等に受け取り、それを讃嘆…
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死の恐怖に怯える人に対しての応答

 「僧侶、布教師として私は何ができるでしょうか」と友人に尋ねられました。  「話ができずに、ただ本を置いてきました」と言われたのでこのように言いました。  「なぜ、阿弥陀仏の本願の生起本末を分かり易く話してこなかったのでしょうか。あなたがお目当てのお約束ですよ。それを疑いなく信じたら、死後は阿弥陀仏のお浄土に生まれることがで…
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「いのち」「命」「生命」

 宗教的な表現は「いのち」がふさわしいのではないかと、大学院の医師でもある先生から言われました。確かに「命」や「生命」と漢字で書くと何か科学的、無機的な感じがします。仏教的「いのち」は三世を貫くものです。過去、現在、未来全ての「いのち」を問題にします。 ターミナルケアにおける心的援助活動の論文を完成させるべく日々格闘しています…
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真宗カウンセリングがターミナルケアにおいて果たす役割――心の叫びに応える――

  同じテーマの論文を、一昨年の秋から準備して、昨年投稿の今頃、同じところに投稿しようと締め切りを前に同じように考えては書いていました。それでも思うようなものにならず、昨年は見送りました。そして、今年は別のところに学会発表して、論文を投稿しました。その論文の内容は概論的なものになりました。今回の文章はターミナルケアに絞ります。 「…
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死後の世界、どこへ行くのか、どうなるのかが苦になるか否か

 みながみな、後生を苦にするわけではないのですね。  私は物心ついた時から、常に死のことを考え、怖れ続けていました。  人は生まれたからには必ず死にます。  遠いところに住む、知らない他人の死を見聞きしても、あまり驚きませんが、身近な肉親や友人がこの世を去るとどんなにか心が寂しくなります。そして自分もやがて、このように冷たくなって…
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私も後で行くから、お浄土で待っていてね

 「疑いなく阿弥陀佛を信じたら、浄土に参ることができます」。  「私も後で行くから、お浄土で待っていてね」。  このように信頼する僧侶、医師、看護師から終末期の患者さんが言われたら、ふっと救われることがあります。彼らは自分の力で救われる縁も手掛かりもないので、他力を信じるいちばん近いところにいるのです。もし、それらの職業の人…
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観念の死と現実の死の大きな違い

 我が身の後生が苦になり出してからが本当の人生です。それまでは、人生が始まっていません。肉親が不治の病に罹り、余命いくばくもないとき「私は死ぬんじゃないかしら」と聞かれた時どう応えますか?自分の命がもう残り僅かな時、同じように周りに聞いた時どう応えますか?これは人間としての問題です。理屈ではいくら考えてもわかりません。死を目の前に引き寄…
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人間にとって唯一平等なのは必ず死ぬ存在であること

自分も必ず、絶対に死ぬときがくるのだという自覚があると、日常の些細なことはどうでもいいように感じます。どうせ臨終には何も持って行けないのです。それなら目の前にある物を十分堪能して少しでも優しい言葉を掛け合って生きようと分かってきます。  いつまでも生きていられるという幻想から、競争し、お金や地位や名誉といったアクセサリーを取…
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一人でも、何がなくてもよろこべる

 誰かといなくて一人でも、自身の才能、知恵、美貌、物質的なお金や物、地位名誉、何もなくてもよろこべることが究極的な安心満足です。  外界からさまざまなものが飛び込んできます。 綺麗なもの、美味しいもの、功績、勝者などなど。 何か違うと感じてしまうのは私だけでしょうか。そういうものをただの装飾品で、それも薄っぺらいものだ…
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今を問うのがカウンセリング

 カウンセラーという立場でお金をもらって仕事をしたくないのでしていません。それでもここ9年くらいそんなようなことを続けています。初めは仏教の「生死を超える話」・「きづきの話」のために仕方なくカウンセリングもどきをしていました。しかしながら、このカウンセリング的な聞き方を経ないと、仏教の話に進めないことがだんだんわかり、途中、カウンセリン…
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本当に頼れるのは解決の道筋を教えてくれる人

 生死を超えることにしても、大学に受かることでも、身心の病が治ることでも、実際そういう身になれることを知っていて、どうしたらなれるかを教えてくれるひとでなければ役に立ちません。自分がなりました、できましといくら嬉しそうに語られても、一人で自慢して、よろこんでいる人は信用しません。  どうしたら同じようになれるか知っていて、そうなり…
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仮に瞑想などで人間人格最高峰を極めても、気を抜くと戻り、死の前で無効

 瞑想などで、人格が優れたものになっても、気を抜くと戻ります。 人格の最高の極みに上っても、死の前では何も役に立ちません。  なぜ、そのものズバリの死の解決をしないのでしょうか。  方法を知らないからでしょうか。  そこまで深い考えに至っていないからでしょうか。  私にはよく分かりません。   最期の最期に笑っていられ…
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死後、通夜も葬儀も法事も墓もない人生って?

 最近では、葬儀が密葬、家族葬という形で行われることもあります。身内がいないと行政が火葬して共同墓地に葬られるそうです。何とも言えない気持になります。たとえ自分がお葬式に行けなくても、ほかの人たちが故人を偲ぶセレモニーをされていたなら何となく気が済みます。 遠い親戚が老人ホームに入り、連れ合いが一年以上も訪れず、何も話すこと…
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今生を学び切る覚悟

 だらだら過ごしても、覚悟や決意を持って過ごしても同じ一生です。  今生で果たす目的を終え、その後の使命を私は生きてきました。  それぞれの学びややり方があるのでしょうが、何だかつまらないし勿体ないように感じることがあります。余裕がある、力を出し切っていないもしくは出し惜しみしている。それはそれでその人の自由であり、口出すこ…
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人生の最期はどうしたいですか

 家族や親しいひとたちに看取られて「お浄土でまっているから、元気に仲良く暮らすように」と言って還るのが理想でしょう。それができたら自他共に今生の生を全うできたように感じられます。  80歳を過ぎるといつ何時無常の風が吹き儚くなるか分かりません。心不全でおばあちゃんは夜中に一人他界しました。今日は妹の夫の父親の訃報が舞い込んできまし…
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生きる目的は人間関係の調和ではなく生死を超えること

 いくら仲良く元気に暮らしても、いつかは老いて死んでいきます。  生死を超える体験を少しでも若いときに済ませてしまったならば、残りの人生は特に何も望まなくなります。劣等感もその根底にある死に対する恐怖心もないので、他人に譲る気持ちがあるので、特にどうでもよくなります。  生死を超えるというのは迷いを抜けて目覚める…
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丁寧に憶いを伝え合う

 「どちらが先に還っても、またいつか必ず逢えるから」と言える関係はかけがえのないものです。そんなことを口に出して、または文章ででも、あなたに遇えてよかったとの憶いを込めて言い合えるひとがいることを私はとても嬉しくてなりません。辛い環境にいなければならない、大病をして心細いようなときでも、あのひとといずれはまた遇えるということが心に安寧を…
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心も身体と同様、対症療法では完治しない

 論文作成の為に文献を読み進めていくと、いろいろ知らされることがあります。  その中で、心の問題も対症療法をするカウンセラーでは解決できないということが分かりました。言い換えれば、根本的な問題である「死の解決」ができないでいるうちは、ある問題は解決できても、また、どんなにいいことを言われても、それはその場の痛み止めくらいにしかならない…
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研究、特に人文系、その中でも心理学に関わっている方へ

 研究やその過程において、他人に嫌な気分を感じさせるのはただの自己満足の域を抜けていません。研究とは自身の貴重な学びの時間を切り売りしてまでしているものなので、それに見合うものがもたらされないとなりません。自分にとってでもですが、他人にも恩恵をもたらすものでなければ意味がありません。そこら辺を勘違いしている人が多いように見受けられます。…
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生死出る道を今、ここで求める

 ひとは無常を感じる縁がないといつまでも生きられるという妄想を持ちます。  だから、周りの人が死を以て、そうではないと教えてくれます。無常を教えてくれた方の御心を無駄にすることのないように、生死出る道を今、ここで求めてください。  あの人が死んだ、あの人もまた死んだという知らせを受けても、我が身が死ぬとは本気で感じません。辛…
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私のたのしみ

 お浄土でまた有縁の方々と、お目にかかれるのが私の唯一の楽しみです。寿命はそれぞれの業のなせること、私かほかのみなさまが先か分かりませんが、また必ずあえる、このこと一つが楽しみです。本当に今生は佳きご縁を賜りました。様々な辛いこと哀しいことも、このことを思い出すだけで、すっと消えていく気がします。私は今まで大したことが出来ておらず、これ…
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何らかの死の淵を感じる状況に在るあなたへ

 病院で医療器具につながれている友だちがいます。  とても苦しそうです。  代ってあげたいけれどできません。  死ぬのが、私が先か、そのひとが先かなどは誰も予想できません。気の毒だと感じている私が夜中にぽっくり逝ってしまうか、明日交通事故で儚くなってしまうかはわかりません。みんな無常を抱えて生きています。誰もが遅か…
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全く何も要りません、信じようとする心も捨ててください

 自分の力は全部間に合いません。  どうぞ、そのまま、自分が真理だと感じるものに身をゆだねてください。  何か自分の方から差し向けて救われようとしないでください。  真理の側はそれを悲しみます。  何も要らない、そのままのあなたが大好きで愛おしいのです。   何かをすること、例えば良い思いを持つことで…
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今、ここで信じられているかが大切

 他は何も要りません。  学問も教学も変な理屈も間に合いません。  今ここで全く疑いなく信じられて、感謝の気持ちが持続したらそれでよし。  そういう境地に出ていないから理屈で捏ねまわす。  全く以てくだらないし、役立たず。  というより気の毒で可哀想。  この安心満足の身に今ここで救われてください。 …
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「何も考えずただ存在していることをよろこべる」

 ずっと死の不安を抱えて生きていました。ひとときも心が休まる時がありませんでした。誰にも自分の本当の気持ちを打ち明けることもできずにいました。これが人生なら何と苛酷なものだろうと半ば呆れめつつ、もう半分は何とかできる方法を探し続けた毎日でした。親は分からないだろうという確信がありました。大人になったとはいえ、まだ人生の途上で未熟な上に、…
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自惚れが取れない人間の悲しい性

 謙虚であり続けたいと心がけています。  いろいろなことをしてきましたが、それらを誇る気持ちはありません。  何もしていなかったに等しいです。  死の解決の話を求める人に、出来たことが少し嬉しいだけです。  この先どんなことをしても、自分よりももっといい方法や別の何かがあれば、そちらに変わっても構いませんし、学ば…
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研究者でありかつ宗教家としての使命を果たす上での葛藤

 やはり花山信勝氏も同様なこと感じて、似たような評価や批判を受けたのかもしれないと資料を調べていく内に感じました。研究者としてはひよこの私ですが、人々に迎合して教えを曲げることも、死すべき存在であることをごまかし、自分が分らないことを分った風に云う事も、自分の価値観や信念をごまかすことも出来ません。 小林弘忠氏の『巣鴨プリズン…
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まだ死なないと思うので真理に真摯に向き合えない

 戦犯であった土肥原賢二さんが真理を体得したい、そのために宗教に向き合いたいと考えたとき、禅宗では自分は理屈としては分からないこともないが、体験ということになるとピンとこなかった。親鸞聖人の伝記や、浄土三部経や正信偈、蓮如上人、法然聖人の伝記を読み、阿弥陀仏の本願でしか救われないと納得した。その後念仏を称えるようになり、有難くもあった。…
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人生は苦なり――時折ホッと一息つき、また苦しみが続く――

 物心ついた時から、人生は火のついた家にいるか、もしくは水中で溺れていて時折水面に顔を出すようなものだと感じていました。家は安心する場所なのに火がついていて、どんどん燃え広がっていく。それなのに、その危機の中にありながら、まるで火事場にいるを忘れ、熱さに慣れてしまいますが、炎や火の粉が降りかかってきて、こんなことをしていてはいけないと我…
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放って置いてくれないひとたち

 政治家・芸能人は特にプライバシーなど無きに等しいです。 様々なスキャンダルを記者が狙っています。お金になりますから。 芸能人はともかくとして、政治家は公僕・公人として使命を果たさなくてはならないので、せめて在職中は身辺を綺麗にして、怖い言葉を使わず、言いたくないことは微笑みでスルーするくらいしか放って置いてくれないひとたち…
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